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毎日noteを公開するだけの人になってました

最近、毎日noteを公開できていて、「あぁ、俺ってえらいなぁ」とそんなことを思っていました。書くことへのハードルが下がり、毎日、何かしら考える時間を作り、投稿を続けることで、仕事のスキルまで上がっていくような気分でいました。

そんなちょっとした慢心の中、私も毎日noteを書く中、いつもよりちょっとだけ長い時間を使って書いて応募した「#2000字のホラー」の発表がありました。

そして、百物語として、受賞作以外の「#2000字のホラー」の応募作品が並んでいました。

うわー、おもしろい… 
あまり怪談に恐怖を感じるわけでもないですし、物語としてすごく練られたものばかりではないですけど、どれも、普段の日常や、誰も経験したことの隣にある、ちょっとゾッとしそうな場面があって、それがまたよく書けていて。自分が書いたものがちょっと紹介されないかな… なんて一瞬でも想像したことが恥ずかしくなりました。

そして、恥ずかしい気持ちになった後に、この記事をツイートで見かけました。

毎日ではありませんが、ほぼ日さんで結構頻繁に更新されている「神田の写真」シリーズです。

朝の風景、空間、鳩との物理的な距離、鳩との心の距離、鳩の動き、…
写真だけでなく、その文章に惹かれます。文章の良しあしとかを考えるでもなく、「いいなぁ」を感じながら、鳩のことを考えていました。そして、読み終わり我に返って、あぁ、こんな文章を書きたい、と思ってしまいました。写真家としての視線、それを言葉にすることをずっとやってこられた方なので、一朝一夕に追いつけるものではありませんし、目指して書けるような文ではないでしょう。でも、いつもただただ書き散らかしている自分と比べて、あまりにも… また恥ずかしくなり、そして凹みました。

そして、これですよ。

初めてnoteを書きました、とnoteに投稿されたのが、2021年の12月。それからしばらくして、この方のnoteを読みました。

元から文章を書かれていて、noteへの投稿が最近だったというだけかもしれませんけど、、最近見つけたばかりの人があっという間に認められて、そしてほぼ日さんのような場所で連載を持ってしまう。きっと経験も読書量も語彙力も比べようがないことは頭で理解しつつも、くやしさや嫉妬が混じった憧れを感じてしまいました。

でも、私も9歳の男の子の父親なので、子どもの行動の前にワタワタとする気分がありありと湧いてきて、大変だけど、楽しい、明るい、日常を来月も楽しみにしている自分がいました(絵もそれに合っていて、すごくいい!)。

木曜日の昼、立て続けに、いい文章に出会ってしまって、感心、感動を感じる間もなく、凹んでしまいました。

彼らに追いつけるなんて思いませんけど、毎日書くnoteは、一個でもいいからおもしろいこと入れよう。一か所でいいので、書いた後、表現をおもしろく直そう。感じたことを雑な形容詞じゃなく、わかるように伝えようと思った木曜日でした。


いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。