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【エッセイ】ゆっくり介護(9)

ゆっくり介護(9)<気持ちは昔にもどっていく>
『介護は親が命懸けでしてくれる最後の子育て』
*この言葉は「ぼけますからよろしくお願いします」(著:信友直子)より引用


 母は毎朝、起きるのが早い。起きると、仏壇にお線香をあげ、家族に気を遣いながらそっと玄関を開け、外に出る。そして、庭の植物に水を撒いている。雨戸も開けたいようだが、薄暗いうちにガラガラと音を立てて雨戸を開けるのはいささか考えたのか、家族が目を覚ましてから開けるようになった。夜明けが遅い冬場でも早朝から目を覚ます。

「もっとゆっくり寝ていればいいのに」

私が声をかけると、

「目が覚めて、布団の中でじっとしていてもねぇ。じっとしている時間が長くてね」

 母は動き出すもっと早い時間から目を覚ましていたのだ。外がやっと明るくなるよりずっと前から布団の中で目を覚ましていたのだ。確かに寝るのが早いので目覚めが早いのもわかる気がする。

 母は、庭の植物に水を撒き終えると、ポストから朝刊を取り出し、家族が起きるまで応接間で新聞を読んでいる。
 最初に見る新聞記事はコロナの感染者数だ。その記事を読んで毎朝「昨日の感染者数は・・・」と私に話を切り出す。スマホですでにわかっているニュースなのに母は私に丁寧に話す。それだけではない。同じニュースの話題を同じように数回も話すことが多い。

 ある日の朝、私が「仕事に行ってくるよ。今日も暑いからエアコンを入れるんだよ」といつものように母に声をかける。いつもなら「うん」という返事で終わるのだか、この日は違った。

「マスク、持った?」

 母の頭の中には新聞で読んだコロナ感染者数のことがあったのだろう。それにしても「マスク、持った?」という母の口調は、私が幼い頃、母が私によく声をかけていた「ハンカチ、持った?」という口調と同じだった。

 母は毎年、歳を重ねるが、なぜか気持ちは私が幼かった頃に戻ってきているようだった。いい歳をした私を子供の頃の私と思っているのだろうか。親の子を思う思いは幾つになっても変わらないものなのかもしれない。

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