母の通院
母が精神科に通院し始めたのは、1回目の病状が出た時からだったと思う。
父が連れて行っていたけど、私にはあまりそのことは話さなかった。
当時は私も小さかったし、精神科の病院に行っていると言ってもわからない、或いは子供にはあまり言いたくなかったようなことを、大人になってから聞いたことがある。
通院してたのだから、お薬も飲んでいたと思う。
でも、1年くらいで飲むのをやめていたように思う。
もう大丈夫と思ったからか、というか、母は、
自分が精神的な病気になったことを認められてなかった。
なんで自分がこんな薬飲まなあかんの?と父に怒っているのを何度か見たことがある。
自分が病気にかかっていることを認めたくない、というのは、大変なことなんだなというのをその時、少し感じた。
そして後々、そのことはとても重要なことなんだと実感する日々が、たくさんやってきた。
やはり、薬を飲んで抑えている病気なので、飲まなくなると症状が出やすくなる。
そんな薬を飲みたくない、こんな病院に通いたくない、そもそも自分がこんな病気だなんて信じたくない。
となると、もう何も変わらない。
自分が病気だと認められないのは、治す気がない、良くなりたくないのと同じだ。
なんて厄介で悪循環な病気なんだろう、と大変さと辛さを感じた。
自分は大丈夫だ!と発狂している母、それがもう大丈夫じゃないんやで、、って静かに見ながら、悲しかった。
でも、今思えば、母の認めたくない気持ちも少しはわかる気がする。
母は運動神経がいい人で、短距離が速くて市の代表に選ばれたり、スポーツも良くできた。
学生時代は英語が好きだったようで、勉強もそこそこできたように聞いたことがある。
なんとなく、私なんかよりできた人だったんだろうなと思う時がよくある。
そんな快活に学生時代を過ごしてきた人が、自分が精神病だなんて思いたくもないだろう。
そして、まだまだ精神病の情報も少なく、イメージもあまりよくない時代だったり、
田舎という、噂が回りやすい環境に住んでいたりというのも、母を苦しめたのかと思う。
マイナスな自分も認め、受け入れることができていたら、もう少しラクだったんじゃないのかなと思う。
そして、今のような、多様な人や価値観に溢れていて、マイナスな部分も魅力にできるような時代だったら、もっと生きやすかったのかもと思ったりする。
と、周りが言うのは簡単だ。
もし自分が、母と同じ世代で同じ病気だったなら、同じように苦しんだのじゃないかと思う。
一昔前の精神病の知識や価値観は、今と全然違う。
で、母の通院は、2回目の入院後からは、遠方の有名な精神科に1人で通っていたと思う。
2回発症したことで、少しずつでも、自分の病気と向き合おうとしてたのかもしれない。
一応、市内にも大きな精神科はあったけど、周りの目もあってか、遠方のが評判がよかったからか、そちらに通院していた。
この通院は長く続いてたと思う。遠方に電車で出かけるのも、気晴らしになっていたようにも思う。私を連れて行くことはなかったけど。
しかし、またこのルーティンが崩れはじめる。
2回目の発症から5年、3回目の発症が起こる。
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