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教育にできること、それは環境を整えること(改)


のはLaboです。

以前投稿した記事について
改めて感じたことがあるので
編集しました。


内容は

「教育」について


コロナウイルスの影響もあり、
学校教育も新たに考えなければならないことが
出てきています。

というよりも、

そもそも考えておかなければならないこと
でもあるし、

いつであっても考え続けなければならないこと
なんだろうな、

と、

改めて思います。


ということで、

あなたは教育者と聞いて、
どのような人をイメージしますか?


また、
学校の先生と聞いて、
どのような人をイメージしますか?


そして、

あなたは学校の先生は好きですか?


今回の記事では、

あなたが誰かに何かを伝えるとき
あなたが教える立場になったとき

意識できるといいな、
ということが伝わると嬉しいです。



この記事があなたの「学びの種」に
なりますように。

結論:
「教育は環境づくり」



教育の限界?

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例え話でよく言われることですが、

誰かが馬を水辺に連れて行っても、
馬にその意志がなければ絶対に
馬は水を飲みません。

たとえそれで死ぬとしても。


同様に、
どんなに最高の教育者がいたとしても
最終的に行動を起こすのは本人です。

そしてその責任を負うのも、
本人です。

だとしたら、
私たち教育者にできることは何なのか?

しかも、

教育を受ける側にとって
現状からの変化は、

人間にとっての本能に逆らうことに
つながる場合もあります。

どちらかというと、
その方が多いと言えます。

だからこそ、
教育する側が思うようには
いかないものです。

そこをなんとかするのが教育者の仕事でしょ

そうなんですが、
”なんとかする”を勘違いしてしまうと、

なんともならなくなるどころか、
逆効果ということも・・・。


教育への疑問

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教育に関わる仕事をするようになり、


相手が望んでもいないのに、

「無理やり相手を変化させようとしてないか?」

という疑問をずっと感じていました。

それも、
教育する側にとって”正しい”
信じている方向へ。

どうしてそうするのかはわかりませんが、
先生と呼ばれる人の多くが、
そんな教育を受けてきたからだと思っています。



他の先生たちの言葉を聞いていると、

「生徒をなんとかしなければ」
「自分がなんとかしてみせる」

という想いが透けて見えるのです。

とても素晴らしいと思うのですが、

正直わたしはそう思えませんでした。

「今、それを、その相手に求められているのだろうか?」

いやいや、子どもは自分で判断できないからこそ、
先生がなんとかしてあげないと。。。


子どもは自分で判断できない、、、

と感じている時点で、子どもときちんと対峙していない。




子どもは自分で判断できない、、、

であるならば、
そうであるからこそ、

自分で判断できるようにする。



先生がなんとかしてあげないと、、、

と思ってなんとかしてあげることで、
子どもに力をつけさせることができないばかりか、

「なんとかしてくれるだろう・・・」
という人間に育ってしまう。

と最近感じています。



どうして変わったのか?

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わたしも昔は、
「生徒をなんとかしなければ」
「自分がなんとかしてみせる」
という人だったかもしれません。



かなり昔の話ですが、
中学生(女の子)に本気で叩かれたことがあるんです。
ビンタです・・・。
(もちろん変なことをしようとしたわけではないです)


その時の私は、相手の中学生に

「分かってもらいたい」
「変わって欲しい」

いや、

「変われよ」

という想いだったのでしょう。

こちら側の”正義”をふりかざしていました。

しかし、
中学生から叩かれた瞬間、

私自身は
「あ、そりゃ叩くよね」
感じたのです。

「彼女の人生に土足で介入してたな」と。




そう感じながら、その後の対応を
他の先生と話をしているときに、

大きなギャップを感じてしまったのです。

「そんな生徒は大問題」(他の先生)
VS
「生徒の人生に土足で介入するのは大問題」(私)


それから「相手を変えよう」という想いが
なくなっていった気がします。


自分で決められる環境づくりを

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相手が大人であろうと、子どもであろうと、

自分で決められる環境づくりが
大切だと思います。

「その人の人生はその人のもの」だから

中学生や高校生などの子どもであっても、
その子の人生の主人公はその子

「目を覚ませー」と伝えても
「叩き起こし」ても

起き上がって歩き出すのは
本人です。


そういえば、
私が尊敬する人も、

「受講生に本気を出させることが一番難しい」

と言っていました。
*ちなみにその人は学校の先生ではないです


環境づくりには、

・物理的な環境
・正しい質問
・正しいフィードバック
・正しい背中押し

などがあるでしょうか。


最近新たに感じたことは、

・相手への尊敬
・横の関係づくり
・相手の行動の目的理解(つまり相手理解)


詳しくは、
また改めて記事にしていきたいと思います。



最後に

教育する側に関わり始めて20年弱、

何かがわかったと思ったら、
何もわかっていないことに気づかされる。

そんなことの繰り返しかもしれません。。。


教育する側、教育される側

”側”を意識しすぎると
お互いにとって良くない意味での
依存になってしまいそうです。


「子どものために何でもしてあげるわたし」
「わたしが何でもしてくれると思っている子ども」

ちょっと気持ち悪いですね。


教育において私にできることは、
やっぱり「環境づくり」を全力で!

子どもだけでなく、
どちらかというと大人に向けて
やっていけるといい気がします。

そんな立場になってきました。


今回の記事を書くことで、

「自分の結果は自分が全てを引き受ける」

という学習者としての意識も変わりました。


水を飲むのも、歩き出すのも
結局は自分ですから


その意識を育んでいけるように
教育者という役割を果たしていこうと思います。


そして、
そのことを改めて気づかせてくれたのがこの本です。


この本は自己啓発系の本だと思っていましたが、

ずばり教育書ですね。

教育に関わる人は読んでほしい!!


ということで、
教育について考えてみました。

何かのお役に立てると幸いです。

今日もありがとうございました。


〜あなたがあなたである意味を知ろう〜
〜人生は実験だ〜

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