“メメント・モリ’’ を体現した人生。全国を巡った卵オタク・登希代さんが目指す“養鶏”とは?
こんにちは!農GIRL×農LIFEプロジェクト事務局です。
農GIRL×農LIFEでは、全国の農業女子の皆さんと共に、農業のイメージ向上や魅力発信、コミュニティづくりに取り組んでいます。
SNSでの農業女子紹介や、農作物のプレゼント企画、直売所での加工品販売など、様々な企画を実施してきましたが、
『農業女子ひとりひとりの魅力をもっと伝えたい!』という想いから、
このnoteでは農業女子により密着したインタビューを配信しています。
《前回の記事はコチラから↓↓↓》
今回は、福岡県・飯塚市で養鶏を営んでいる山﨑登希代(やまさきみきよ)さんにお話を伺いました!
卵が好きすぎて養鶏家に・・・多くの苦難を乗り越えながらメメント・モリ(※)の精神のもと邁進する。日本一こだわりが強く、我が子のようににわとりを愛し、愛されている『登希代さん×農LIFE』をお聞きしました!
※”死を忘れるなかれ・死を想え”という意味の警句としてヨーロッパで用いられてきた格言。人が必ず死を迎えることを意識することで、謙虚さや内省を促し、現在を大切に生きることの重要性を表しています。
就農まで厳しい道のり
Q.登希代さんが養鶏家を目指したきっかけを教えてください。
ーーー 母子家庭4人姉妹の長女として、決して裕福ではない家庭環境で育った幼少期、卵を一人一個食べることが出来ませんでした。卵が本当に大好きだったので、大人になったら卵をおなかいっぱい食べたい!と野望を抱いて育ったのが、養鶏家をめざしたきっかけです。
Q.実際に、養鶏家になるまでの経緯はどのようなものでしたか?
ーーー 18歳で就職して自身で所得を得るようになってからは「美味しい卵」と検索して気になった卵を全国から取り寄せて食べる卵オタク🥚になりました。 その中でまた食べたいと思った美味しい卵は、どれも鶏が過ごす環境に配慮された「平飼い」の卵だと気づき、飼い方の違いを知りました。
それから、卵の味は何で変わるのか?餌はどんなものを食べているのか?が知りたくなり、各地の養鶏場を訪ねていくようになりました。
結婚して子供が生まれた後も家計の為に乳酸菌飲料の販売企業に勤めながら、各地の養鶏場巡りや卵集めを継続しました。養鶏場は、どこも自然いっぱいで子どもたちも楽しそうに付いてきてくれたので、仕事が休みの日に一緒に行っていましたね。たくさんの養鶏家の先生と出会い、鶏を育てることや卵ができるまでのこと、養鶏にかける思いに触れ、素直に「こんなにかっこいい仕事があるのか…」と思うようになりました。
それからは「養鶏家になりたい!」と周りに言いまくり、農業普及センターにも数回行きましたが、土地なし、金なし、経験なし、人脈なし、若くて女性で子育て世代で…の私は、全く相手にされず「スーパーのレジ打ちしていたほうが儲かるよ」と辛いことを言われたこともありました。
養鶏場の求人に応募しても受かることはなく、土地を探してみましたが見つかることもなく、悔しさもあって自宅の庭に夫と二人で鶏舎を建てました。それからは先生たちに教えてもらった知識や書籍を参考に、鶏の孵化をはじめ、仕事が休みの日や子どもたちが寝た後に餌の調達や配合を行い、8羽からの小さな養鶏業を1人でスタートさせました。
Q.なかなか就農までの道のりが険しいですね。(あかね農場を経営元である)「株式会社メメント」の代表とはどのように出会い、現在のあかね農場を設立させるまでに至ったのでしょうか?
ーーー 実は、採用で落とされてしまった養鶏場の代表という繋がりからなんです。当時大刀洗町に住んでいた私は、近隣の養鶏場の求人がでたら、とりあえず面接に行きまくっていて、代表が立ち上げた養鶏場にも面接に行きました。
そこに落ちたらもう後がなかったんですが、通勤に1時間かかることや、子供がまだ幼いこともあり「卵がすきです!」と熱量を伝えたものの、採用はされませんでした。その時は、女性で子育て中だから落とされたのだと思い、腹も立てていました。
不採用にショックを受けつつも自分の庭で養鶏を始めて、その様子をSNSで発信するようにしていたら、代表が私のSNSを見つけてくれ「頑張っているね!よかったら、養鶏に関して相談に乗ろうか?」とDMをくださったんです。実際1人でやっていくには、わからない部分も多かったので、相談をしてみることにしました。すると、代表から「今の養鶏を誰かに渡して、別に人材の会社を立ち上げようと思っている」と言われたんです。
「今を一生懸命生きていくメメント・モリの精神で行動する仲間たちで、人材事業をやっていきたいんだ」と言われました。
代表は、元々養鶏業をやる前に人材会社で働いていたので、人材事業に関しては経験がありました。
その「今を大事に生きるメメント・モリの精神でやっていきたい。」という言葉に、強い衝撃を受けて、代表についていきたいと思いました。
その後働いていた乳製品飲料の販売会社を辞め、代表の会社に入社しました。
そして、人材事業をやっていたある日…あかね農場の事業譲渡の話が舞い込んできたんです!
前のオーナーから養鶏場を守ってほしいとお話があり、そこで、「養鶏事業をやってみない?」と代表からお話をいただきました。
会社として人材事業を少しペースダウンさせ、人材事業と養鶏事業の2つに分けて私が養鶏事業、代表が人材事業を担当しました。
そして、今の“株式会社メメント”(養鶏事業部・人材事業部があり、登希代さんは、養鶏事業部の代表者)の形が出来上がりました!
Q.そんな経緯があったんですね。養鶏における技術については、どのように学ばれたのですか?
ーーー 餌の配合は養鶏家さんによって違うので、鶏が健康に生きるためのベースは教えてもらった知識を元に整えつつ、オリジナルでも気になるものは試していきました。より技術面を磨きたいと思い、農業学校の入学説明会に行ったこともあったのですが、時間的にも金銭的にも実際に入学する余裕ありませんでした。そのため、なにか課題にぶつかったときは養鶏家の先生方や代表に連絡して教えてもらっていましたね。
Q.就農してから、苦労したことや辛かったエピソードがあれば教えてください。
ーーー 始めた当時は、全てが大変だったと思いますし、「本当に、大丈夫かな」という不安は常に付き纏っていました。今も悩みは尽きませんが、過去を振り返ってみても辛かったことや後悔はありません。養鶏家になる時も周囲の人の99%は反対だったので、それを振り切って”我、道を進む”ということを意識してやっています。
卵オタクのにわとりに対する愛情
Q.卵に対する"こだわり"について教えてください
ーーー あかね農場には、大きく分けて3つのこだわりがあります🐔
①まずは、”飼育環境” です。
あかね農場では、日本に5%しかない希少な平飼い飼育を行っています。
にわとりたちは、ふかふかの地面を歩き回ったり、砂を浴びて体を洗ったり、日向ぼっこをしてリラックスしたりとストレスフリーな環境でのびのび健康に育っています。鶏舎はとても清潔に保たれていて、にわとり特有のにおいが全くありません。にわとりたちは、卵を産む道具ではありません。にわとりへの配慮や飼育環境の整備など、愛情は必ず行動に現れ、それは卵そのものの品質に繋がります。
あかね農場は、動物福祉(アニマルウェルフェア)の考え方のもと、人にもにわとりにもやさしい生産を行っています☘️
②次に、“味”です。
健康なにわとりが産む卵は、臭みがなく、その味は格別です。
長年研究を繰り返した飼料のレシピもまた、美味しさの秘訣です。
何が使われているかわからない市販の「完全配合飼料」は使用しません。PHFとうもろこし(PHF=ポストハーベストフリーのこと。収穫後に防腐剤・防カビ剤などの農薬を使用せずに出荷されたとうもろこし)を全量使用した安心安全な餌をベースに、旨味成分の素となる完全無添加の鰹節・海藻類・ヨモギなどを自家配合しています。
また、にわとりが飲む水にもこだわりが詰まっています。ホタルが住むほど綺麗な山奥の地下水をろ過したものをさらに浄水した水を使い、飲む度に入れ替わるポンプ式の給水器を使用しているので、にわとり達はいつも冷たい新鮮な水を飲むことができます。
③最後は、 “作り手” です。
なんと言っても作り手の愛情がたっぷり。我が子のように可愛くて仕方がありません。そんな、にわとりが可愛くて可愛くて仕方がない日本一のにわとり愛好家にしかつくれない卵と胸を張って言えます。にわとり達がにわとりらしく生きていける環境と、人も鶏も社会も健全で、幸せになれる良い卵を提供していきたいです✨️
Q.「あかねの虜」というブランド名には、どのような想いが込められていますか?
ーーー あかねという地域に養鶏場があることが由来です。日の丸の中心の赤い丸「茜染め」の発祥の地といわれることから地域には「あかね」の名称が強く根付いています。この「あかね」の地で日の丸にあやかり、日本一を目指して頑張りたいという思いから「あかね」と名付けました。虜は「鳥の子」と「虜になる」をかけました😄
Q.気候変動なども養鶏に影響はあるのでしょうか?
ーーー もちろんあります。にわとり達は、常に羽毛を纏っているので、夏バテをするんです。食が細くなったり暑くてストレスがかかる影響で、産卵率が大幅にダウンします。にわとり達は、暑い夏が苦手なので、扇風機を回して風通しを良くしたり、水をポンプ式にしていつでもフレッシュな水を飲めるようにしたりと工夫しています。
餌を食べなくなってしまうこともあるので、そういう時は無理やり飼料はやらずに、にわとりの動物的本能を活かして、餌を動かして食べてくれるようにしています!このように、にわとり達の体調・気持ちにも気を配っています。
働く方のメメント・モリを実現するための農場全体のこだわり
Q.他の農園とうちの農園は「大きくここが違う!」という特徴があれば教えてください!
ーーー 新しいこともどんどんトリ入れます!(鶏だけに🐔)
平均年齢24.5歳と若いエネルギーが溢れる農場ですから、ただ型にハマるだけの養鶏ではもったいないと考えています。社員個々のスキルや強みはもちろん、素直さ、向上心、これからの可能性は無限大です!
Q.農園のHP・取材記事等・・・メディアでの発信の充実さに驚きました。どのような想いで情報発信を行っていますか?
ーーー 日本で「平飼い」を知らない人をゼロにしたい!という想いです。平飼い卵の魅力が日本で全く浸透していないので、養鶏への理解を深めてほしいですし、こんなに良いものが知られていないのはもったいないと思います。平飼い卵を、買うか買わないかの選択以前に、まずは知ってもらわないことにははじまらないと考えています。
Q.なぜ平飼いは認知度が低いのでしょうか?平飼い卵への理解を広めるために今後していきたいことがありましたら教えてください。
ーーー 平飼いの認知度が低いのは、高齢化に伴い担い手が少ないこと、そして消費者の方へ平飼いについて伝える手段を工夫していないことが原因だと考えています。実際、SNS・メディアを通じて平飼いに関して発信していく人はなかなかいません。
私は、自分自身が平飼いについて知る入り口になればと思い、SNS・メディアでの活動をしています。また、定期的に異業種の方との交流としてインスタライブでコラボをさせていただいたり、中学校のキャリア講師として講演させていただいたりと様々な活動もしています。1人では難しいですが、多くの方に協力してもらうことで消費者の方に知ってもらう入り口を広げていっています。
平飼いについて知ってもらうには、動物愛護という面からでも良いと思っています。入り口はどうであれ、心に響く想い・言葉を伝えていき、最終的にあかね農場の卵の魅力を知ってもらうことに繋がればと思います🐔🥚
Q.販路拡大や商品開発等・・・今後あかね農場としての目標はありますか?
ーーー 日本一従業員の所得が高い養鶏場を目指すことです。生産量や販路拡大はもちろんですが、それに伴って商品の質やサービスが落ちるのでは、やる意味がありません。誠心誠意一生懸命働いて、ちゃんと儲かってちゃんと還元して循環していく、楽しく明るい企業を目指したいです。
「卵が売れない時期があった」農場で単身赴任をして、にわとりと向き合い続けた就農してからの日々・・・
Q.実際に、養鶏を始める前後でギャップや、驚いたことはありましたか?ーーー のほほ~んと鶏を育てていれば卵が産まれて、購入してくださったお客さんが喜んでくれるようなイメージで農業に参入したので…こんなに日々課題にぶつかって解決して、専門的な知識や技術に限らずできることが増えていくとは思いませんでした。
そして、業界問わず色々な方と出会えて、自己成長を感じられる、良いことも大変なことも全部含め、本当に充実して日々を送れるんだと驚きました😲
Q.就農して今年で何年目ですか?また、1年目と現在で変わったことはありますか?
ーーー 現在2年目です。1年目に比べて、柔軟になったと思います。思い通りにならなかった時は大きく落ち込んでしまったり、かと思えば目先の良いことがあると明らかにご機嫌だったり、悪い意味で感情のアップダウンが激しい性格でしたが、この1年で、人として、養鶏家として、自分がどうなりたいのかのゴールが明確になり、揺るがない軸を持てたイメージです。
就農して1年目、卵が全く売れなかった頃はかなり追い込まれましたが、今日の自分にできる精一杯を取りこぼさないように、子どもたちを夫に任せて約半年間あかね農場に住み込みで働きました。通勤時間の1時間がもったいないと感じたからです。
子どもたちは「ママに会いたい」と泣いて、私も「家族に会いたい」と泣いたこともありましたが、夫に「こっちは大丈夫やけん、頑張って」と背中を押してもらい、養鶏家の師匠でもあり今の会社の代表に「まだやれる」と腹をくくりなおしてもらい、今の自分がありますね。
Q.1年目、卵が売れない時期があったとのことですが、どのように挽回したのでしょうか?
ーーー 元々あかね農場では、別のブランド卵(「つまんでご卵」)を作っていましたが、2024年度になってから”あかねの虜”へのブランドの切り替えを行ったんです。
お客さまには前のブランドに対しての深い愛情があったので、試食していただいても、なかなか新しいブランドであるあかねの虜を受け入れていただけませんでした。このままではまずいと思い、農場に住み込みで働いて少しでも農場に力を入れていくことにしました。
具体的なアクションとしては、まずECサイトやり方・経営関連の本を読みあさりました。他の会社さんで行っている商品の定期便や魅力あるサイトを見て「なぜ魅力的に感じたのか」「なぜ商品を買いたいと思うようになったのか」と解像度高く分析していきました。
また、実際に購入してみて「流通経路・動線はどんなふうになっているのか」も細かく確認しました。
ブランドデザインは、はじめからデザイナーさんにお任せすると完璧を求めてしまいそうだったので、私自身の感性を重視して無料アプリを使用してデザインしてみました。
「日の丸」「千(の海を超えていく)鳥(にわとり)」「波紋様(穏やかな波)」をイメージしました!
とにかく、大量の本やサイトを調べ、実際にうまくいっている方法を真似することを意識しました。
そうすると徐々にですが、お客さまが頑張りを認めてくださり、購入してくださる方が増えるようになりました。また、メディア・SNSを通じて私を知っていいただく機会が増えたことも大きかったと思います。
Q.農業を始めて一番「良かったこと・嬉しかったこと」は何でしたか?
ーーー にわとりが好きという思い、自分の得意なことや好きなことに価値があって誰かや何かの役に立っているという実感があった瞬間は嬉しかったです。また、人・もの・ことに対して感謝できるようになったことも成長を感じ、嬉しくなります。
「登希代さん×農LIFE」
Q.登希代さんがお仕事をする上で大切にしていることは何ですか?
ーーーメメント・モリという言葉です。意味は、今を一生懸命生きること。明日死ぬとしたら今日をどう生きるかを常に問うことを指しています。
これは代表に農場を継がないかと言われた時に、いただいた言葉です。
この言葉が、常に私のエネルギー源になっていますね。
また、ヨシタケシンスケさんのメメントモリという本も私にとってバイブルになっています。
Q.登希代さんが、子育て中のママさん・お子さん達に卵を通して伝えたいメッセージはなんですか?
ーーー 1度きりの人生、素直に自分の感性のまま受け取って、自分の頭で考えて行動して、のびのび自由に生きてほしいという思いを卵にこめています😄
Q.子育てと養鶏との両立は大変そうですが、その中で嬉しかったことはありますか。
ーーー 仕事にママを奪われているのに、卒園式の発表で「たまごやさんになりたい」と言ってくれたことがすごく嬉しかったです。
Q.HPを拝見したときに、企業の福利厚生として卵の購入を提案するといった面白いアイデアがありましたが、アイデアの着想はどのようなところからくるのでしょうか?
ーーー 全部に通ずることですが、まずどんな未来になりたいのかゴールを思い描き→現状とのギャップを見える化する→ギャップを埋めるために必要なことを考える、このように整理して考えてます。
ほとんどの場合自分の持っているアイデアでは思いつかないので、人に会って話してみたり、うまくいっている人の書籍を読んだりすることからヒントを得ることが多いです🕵️
Q.これから農業を始める人に伝えたいことはありますか?
ーーー 準備は大事ですが、今心配していることはほとんど起きないか見当違いなので「始めたい」と思っている今、小さくても何かできることを始めたらいいと思います。私は、始めた当初を振り返ってみてこれをしておけばよかったと後悔していることはありませんが、もっと思いきり楽しんでやってみても良かったと思うことはあるので、思いきって行動して、しっかり楽しんでほしいです。
Q.登希代さんの今後の目標・チャレンジしたいこと・夢があれば教えてください!
ーーー 日本で、平飼い卵といえば!「あかねの虜」というブランドになること。
日本で、平飼いを知らない人をゼロにすること。
日本で、卵といえば、鶏といえばこの人!という人になること。
「とりとりちゃん」をキャラクター化させることです!
最後にあかね農場さんからのお知らせ!
Q.あかね農場さんの農産物を購入できる販売場所(実店舗・ECサイト等)を教えてください!
ーーー HPから購入可能です!まずは、食べて感じてください!よろしくお願いいたします。
あかね農場さんのHPはこちら👇
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