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ありがとう。のくすぐったさ

「ありがとう。」はくすぐったい。
胸の奥の、心の端っこを触られるような感覚。

私は「ありがとう。」を与えるのも、受け取るのもちょっと苦手だ。
良い歳をして情けのないことだと世間一般では思われるかも知れない。
でも、これが私だ。

本当は誰かに対して心から素直に「ありがとう。」を言いたいし、言えたらいいなと思っている。
また、誰かからの「ありがとう。」をもっと素直に受け取れたらいいのにな、とも思う。
「ありがとう。」を素直に言える人や、小さなことにもしょっちゅう「ありがとう。」を言っている人を見ると心から尊敬する。
以前だったら、そんな自分と周りを比較して自己嫌悪に陥ることばかりだった。
でも、今は少し違う。
そんな自分を「ありのままの自分」として認めて、少しの勇気を出して「ありがとう。」を言ってみる。
勿論、まだまだ「ありがとう。」をすんなりと言えずに、機会を逃してしまうこともあるけれど、それでもいい。
少しずつ。


ありがとう。が言えないのは何でだろう。

以前だったら、素直に「ありがとう。」が言えない自分に対して嫌悪感を抱いていた。自分で自分を傷つけていた。
でも最近、それでは全く意味がないと気付いて辞めた。
なぜなら、そんなことをしたところで結局何も生まれることはなく、自分も周りの人も全く幸せになれない非建設的な行為だと思ったから。

ある日、私はふと気付いてしまった。
そんなことを長年繰り返し続けてきた今の自分を少し距離を置いて見つめ直した時に、日を追うごとに、時を重ねるごとに、どんどん「ありがとう。」が言えなくなっていることに。

詰まるところ、「ありがとう。」が素直に言えない今の自分は、自分に対して「ありがとう。」が言えない、つまり、今の自分を認めてあげられていないからなのだろうと思った。
勿論、「ありがとう。」を素直に言えないことは、一人の大人としてどうなのだろう、と思うこともあるけれど、まずはそんな自分を否定せず、認めてあげるところから始めてみたい。


ありがとう。を受け取る。

前述したとおり、私は「ありがとう。」を心から素直に言うことも、「ありがとう。」を誰かから素直に受け取ることも苦手だ。

「ありがとう。」を受け取ることに関して言えば、誰かから「ありがとう。」を言われたときに、「自分にはそんな価値がない。」「相手の思いすぎだ。」「お世辞で言っているだけかも知れない。」などと思ってしまう癖がある。

おそらくこれも、自分が自分を信頼していない、自分を認めてあげられていないことの副作用なのだと思う。

そうだ!
今この文章を書いていて、ふと思いついた。
誰かが「ありがとう。」を言ってくれたとき、私も「こちらこそ、ありがとう。」と、「ありがとう。」を「ありがとう。」で返せばいいのだ。
そうすれば、「ありがとう。」を受け取ることも、「ありがとう。」を言うことも、かなりハードルが下がるはず。

「ありがとう。」を受け取ろう。そして、それに対して「ありがとう。」を返そう。
まずはそこから始めてみよう!


ありがとう。の私のこれから。

恥ずかしながら、いっぱしの大人が「ありがとう。」に悪戦苦闘しているわけだが、これを読んで今の私を鼻で笑う人や蔑む人もいるだろう。
でも、私のように生きづらさを感じていて共感してくれる人もいることを知っている。私はこの文章を、そんな人のために書いた。
この文章を読んで、「こんな人もいるんだ。」「私だけじゃないんだ。」。そう思って、少しでも誰かの心が軽くなってくれたら、勇気を出して書いた甲斐があるかな。

私の「ありがとう。」の挑戦はまだまだこれから。
誰かにとっては、挑戦なんて程でもない他愛もないことかも知れない。
でも、私にとっては確かな小さな挑戦の一つ。
そして、こんな私に共感してくれた数少ない人たちにとって、この文章が生きる小さなヒントになってくれたらとても嬉しい。

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