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流されないように自分らしく生きること

「自分らしく生きる」というような価値観が最近の世の中のトレンドのように感じる。
たぶん誰しもが一度は「自分らしく生きられたらいいな」と思ったことがあるだろう。
そして、その思いを実行に移して今を自分らしく生きている人もいれば、何かしらの理由で挫折したり諦めたりして、今の自分に我慢をして生きている人もいるだろう。
人生にはその人なりの事情や背景があるだろうから、どちらが正解、不正解ということはないのかも知れない。
しかし少なくとも今の私は、前者のような自分らしい生き方がしたいと常々思っている。

「自分らしく生きる」という概念そのものも実に幅広く、明確な定義はないのかも知れない。
では、今の私にとっての「自分らしく生きる」とは一体何なのだろうか?

それは、「流されない」ということなのかも知れない。

私は自分の意見を言うことがとても苦手だ。
というか、いざ意見を言おうと思ってもそれが出来ない。
なぜなら、頭の中で思っていることを上手く言語化することが至極苦手だからだ。
それは今までの私の生き方が、親や周囲の顔を伺ってお利口さんでいることに努めたり、人間関係の中で省かれることが怖くて周りの雰囲気に合わせたりして、自分の意見を表明するということから逃げ続けてきた結果の弊害なのかも知れない。
一般的にもよく、「日本人は同調性が強くて自分の意見を言うのが苦手だ。」と言われるが、私はそれが顕著な一人だろう。

しかし、ここ最近は色々な人の影響(特に自分が「この人の生き方は素敵だなぁ」「こんな生き方を自分もしてみたいなぁ」と思う人たち)もあってか、「周りに流されない」という生き方を実践しつつある。(まだまだ流されることの方が多いのだけれど。)
「流されない」という生き方をしてみて気付いたのは、意外とそれでも社会の中で生きていけるということだ。
むしろ、周りに合わせている時の方が息苦しく感じることさえある。
周りに合わせたり、周りと比較をしていると、自分の足りないことばかりが目に入ってきて、自己嫌悪になったり、相手に羨望や嫉妬したりしてしまう。そうして益々生きづらくなってしまう。

勿論、人は社会の中でこそ生きている生き物だから、全く人と関わらない、他人と協力しないということは不可能だ。
それは、「流されない」ということとはちょっと違うと思う。
相手への不義理を働かない、相手が不快にならないようにする、といったマナー(礼儀・礼節)を守りつつも、あくまでも自分の声を無視したり、殺したりすることなく、「何で自分はそう思ったのか?」「その素直な自分の思いを実現するにはどうすればいいか?」を考えて行動していくことが大切なんじゃないかと思う。

そして、私たちの周りにはうっかりすると流されてしまいがちな物事や声が溢れている。
世の中のトレンドや、「当たり前」や「常識」として慣習化してしまっている事象、身近な人からの「こうした方がいい」というような恐らくは親切心からのものであろうアドバイス等々。
そして、自分でも気付かないうちにそういったものに流されて、無意識のうちに自分を見失ってしまう。
気付いた時には、「本当にこれが自分のやりたいことだっけ?」「自分にとっての幸せって何だろう?」と自分が分からくなってしまっている。

だから私は、こうやって自分の思いを文章として表現したり、思いついたことをノートにまとめたりして、自分の気持ちから目を背けないようにしている。
そして、ポジティブなこともネガティブなことも自分を肯定してあげて、自分にとってより良い生き方は何なのかを考えて、少しずつ実現している。
今はまだ道の途中なのだけれど。

でも確実に言えることは、そうやって「流されない」ことを意識してから、日常が前よりも生きやすくなったこと。心が軽くなったこと。
だから、もしこれを読んでいるあなたが「今」に生きづらさを感じているのなら、ちょっと試してみるのもありなんじゃないかな。

「流されない」ということを。

日常の中でちょっとだけ立ち止まって、今の自分の心を客観的に見つめなおす時間を持つことを。

勿論、「流されない」を実践することは最初はちょっと怖いかもしれない。
だから、いきなり大きなことをしなくていいと思う。
出来そうなことから、周りに気付かれないような小さなことからでもいい。
ちょっとの勇気を持って、少しのチャレンジをしてみて欲しい。

たぶんその先に、きっと今までとは違った景色が見えるはずだから。

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