東京大空襲を忘れない
1945年(昭和20年)3月10日未明、約300機のB29爆撃機による無差別爆撃がありました。現在の江東区や墨田区など木造民家を中心に、33万発の焼夷弾の投下。一夜にして民間人死者10万人という無差別大量虐殺。広島15万人、長崎7万人の死者数と比べてもその悲惨な内容は明らかですが、原爆や3.11東日本大震災ほど取り上げられることもなく、約80年経ちました。
火の海と化した中を逃げ惑う人たち。翌朝、小学校のプールには、熱さから逃れるために飛び込んだ死体の山ができたといいます。その中に、ボクの祖父と祖母と叔母がいました。母親は集団疎開で千葉県茂原の寺にいました。当時11才。
国は軍人を祀り、お詣りをします。遺族に対しては軍人恩給も支払われました。国のために命を捧げた人に対する当然の行為だといいます。でも、空襲犠牲者の霊を合祀した震災記念堂を、毎年訪れる政治家がどれだけいるでしょうか。(政治家のお詣りがありがたいわけでもないですけど)
そして、母親のように、一夜で両親を同時に亡くし、路頭に迷ったたくさんの戦災孤児たち。幼さゆえに声も上げられずに、長く辛い日々を送った子供たちに、国は何もできませんでした。彼ら彼女らも戦争の被害者なのだということを忘れないで欲しいと、この日になるといつも思います。
「二度と戦争などしない」と言っていた人が「今戦わずにいつ戦うのだ」に豹変する危険は、いつの時代にもどんな政権にも潜んでいます。そして今、戦争できる国に変えようとする人たちが政権を持っています。それこそが独立国としての権利だと言わんばかりに。そこに歯止めをかけるルールが、これからも守られますように。
黙祷。
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