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まあちゃん

8月17日夜遅く病院からの連絡で駆けつける。意識混濁の中で、話しかけるとやっと頷く。明日また来るよと帰りのタクシーに乗っている時に、再度病院から着信。戻った時に息はなく。親や親族が着くまで、静かになった従兄弟と自分だけの時間。病室の天井を見あげたり、すべてが0を表示するモニタリング機器をぼーっと眺めていた。プロはこういう時に写真撮る人もいるよなとは思ったけど、カバンからGRを出す気持ちにはならなかった。

今春に15年近く疎遠だった従兄弟が訪ねてきた。人づてに癌であることは聞いていた。「生まれた時からお世話になったここには来ておきたかった」と、痩せた体でゆっくり小さな声で話した。次の治療が効かなくなったら緩和ケアに移るので身辺整理を急がなくちゃと帰っていった。その後、7月、8月と訪ねてきて一緒に鰻を食べたりした。最後に来た時の帰りがけに「この15年が悔やまれる、自分だけでもこうして来ていれば良かった」と呟いた言葉が忘れられない。

周囲からは真逆の性格だねと言われてきたし、正直いって気の合う相手ではなかった。様々な分野に博識で、どんな話題でも持論を展開できる物知りで、頭が切れるタイプ。プライドが高くて相手を言い負かすことで友達を失くすこともあったと聞く。
それでも、子供の頃からの数少ない親戚の、同い年の従兄弟だ。亡き父と3人で東北や北陸によく渓流釣りに行った。不思議とボクの気まぐれな行動には黙って付き合ってくれた。なんだろう、そんな従兄弟なのに、ボデイブローのように重く効いてくる。

結局、覚悟した時期よりずいぶん早く逝ってしまった。3週間前にトルコ旅行から帰ってきたばかりだ。死後の準備はこれからという時だった。

一緒に釣りに行った時にボクが撮った写真を遺影にさせてもらった。葬儀に来てくれた人みんなが、良い写真ですね、これこれこんな人だったと思える写真ですね、と言ってくれた。最後に役立てたのなら嬉しいと思う。

まあちゃん、人生を楽しめた?向こうでゆっくり釣りでもするといいよ。安らかに眠れ。

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