「自分に点数をつけるのを辞めた」話 (Part3)
自分が嫌い。
いなくなればいいのに。
消えてしまいたい・・・そのほうがいくらか二酸化炭素の排出は減らせるし、地球も社会も良くなるんじゃない?
そんな思いを、常に心の奥底に持っていた。
2回目のメンタルダウンの原因は間違いなくそれだった。
そして、その思いを手放すことができるようになった経緯をつづっていきたいなと。
恥ずかしながら、2回目のメンタルダウンの引き金を引いたのは、当時お付き合いをしていた彼に三股をかけられていた・・・というのが発覚したことだった。
ショックだった。もともと自分には大した価値がないと思っていたわけだけど、その思い込みを不幸にも強化してくれちゃうような、「お前は3番目だ。代わりがきく存在だ。」と、突き付けられたような出来事。
涙が止まらなかった。
が、それ以上に、その精神状態を職場に持ち込んでしまう自分が本当に本当に許せなかった。
前職で尊敬していたひとは、プライベートでどんなにつらいことがあっても、職場ではいつも笑顔で明るかった(ように見えた)。そしてわたし自身も、そうあらねばならない、というのを自分に課していた。
ちなみにそのポリシーは、わたし自身が、母のネガティブな感情を見るのが苦手だったことからもきている。
母はちょっとヒステリックなところがあった。そしてわたしは、母の怒鳴り声が、ため息が、叫び声が嫌いだった。
悪くなくても「ごめんなさい」と言って、なんとか母を鎮めようとしていたけれど、その「ごめんなさい」すらも母の神経を逆なでし、「ごめんなさいって言うな!わたしが悪いみたいじゃない!」とよく怒鳴られていた。
結局自分にできることは何もない・・・心がえぐられて、自分の居場所がなくなるような、そんな感覚に陥っていた。
だから、その辛さを自分の後輩たちには味わってほしくなかった。なのに自分の感情が制御できない・・・とにかく自分を責めた。
外資系から日系に転職して、そのカルチャーが自分に合わなかったことだったり、いろんな事情が重なってのことではあったけど、わたしのメンタルのコップの水は溢れてしまった。朝起きても体がもう動かない。ぐったりしながら出社しては、帰り道に道端で泣き出す始末。休職を余儀なくされた。
休職後、復職できないまま退職。
産業医が「この子はもう、Excel入力するだけみたいな単純作業しかできません。そういう職種を会社につくってください」と会社に提言し(ま、それもどうかと思うけど)、会社がそれを拒否したことによる自動退職だった。
こうして晴れて毎日がホリデー(つまりニート)になったわたし。
就労移行支援事業所で2年間自分と向き合い、「自分に点数をつけるのを辞め」た。自分を肯定するのでも、否定するのでもなく、ただただ受け容れる。そんなことができるようになるまでの話を、Part4で書くことにする。