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【積読日記7】まっすぐ帰るのもちょっとなぁという金曜の夜/韓国が嫌いで

なんかまっすぐ帰るんはちょっとなぁ……という日がある。仕事で頭を使ったつもりやったのに何も進んでなくて、前によく行ってたラーメン屋さんでハイボールも飲んだけどちょっと落ち着かへんくて、駅までの道で妙に周りを気遣える酔っ払いとすれ違い、帰宅ラッシュは終わってるけど、夜の予定が終わってから帰るにはまだ早い、なんか妙に空いた電車で自宅の駅に着いた金曜日とか。そんなときの選択肢その1、どっかで軽く飲み直して帰る。いや、お酒は控えようと思ってたとこ。一杯だけでいいやん、ラーメンも食べたし。その2、初台を経由してfuzkueに行く……のは惹かれるけど、ちょっと時間が短いか。その3。本屋に寄って帰る。よし決定、そうしよう。
改めて言うけど、最寄りの本屋が11時まで開いてるのは本当にありがたい。この選択肢が選べる。職場の近くの本屋は一番遅いところでも9時に閉まる。早い。本の街やのに。

で、そうして寄った本屋で、買いたいと思っていた本もあるんやけど、それは割と重い本というか、しっかりとした本で、金曜日の夜に読み始めるには心持ちヘビーなもので、やっぱりここは、小説が、物語が読みたいと思っていたところで手に取った。

本の存在は知ってて、このカバーに穴開ける加工があっても製本屋さんはカバーかけるの機械でやるんかな、ぐらいに思いながら手に取って裏返して、「女もすなるフェミニズム小説というふものを、男もしてみむとするなり――」というキャッチコピーを見て、あぁこれは男の人が書いたものなんやと思い、少し立ち読みし、レジに持って行って、この本を買って帰った。

いま、日本で韓国文学を読もうとするとき、フェミニズムの文脈は無視することはできひんと思う。で、日本の社会で男が不当に……「不当」という言葉が適当かわからないけれど、でもやっぱり不当に恵まれていることはあると思うし、そうじゃなかったとしても女性が女性であるというだけで入試で点数を引かれるような状況であることはほんまにクソやと思うし、うまい言い方ではないことはわかった上で、あえてこんな言い方をすること自体が「そもそもお前わかってない」ってのを覚悟した上で言うんやけど、実は昨今のフェミニズム的なものの盛り上がりをちょっとうらやましく感じるときがある。そのうらやましさが何なのか、まだうまく言葉にはできてないけど、例えば自分は生きづらい、怒ってる、こんなんは嫌いや、イヤや、と言うこと、声を上げること、そういうものに対してかな、とタイトルを見ながら思ったりする。
もちろん、繰り返しになるけどそんな見方ができていること自体が、当事者を差し置いて自分が無意識に立っている場所を示してると思う……さっきの例で言えば、公平だと信じて努力してきたのに、自分の性別を理由にした不当な差別が行われていたとしたら、どう?って言われたら何も反論できひんし、それ以前にそもそもそんなことが行われていなければそれで済む話やのに、そうなってない現状……と思うと、なおのこと言葉も出ない。

例えば、キム・ジヨンはわりと出たてのタイミングで読んだし、韓国以外、文学以外も含めて色々読んでると、違和感じゃないけど、共感していいのかな?って思ってしまうときがある。男の自分が読んでいいんかなって。ふと胸に手を当てて、勝手に若者のSNSに乗り込んでいくおじさんになってない?って聞きたくなるような感じ。
それでも、今この瞬間に自分が思うこと、感じていることというのは、「もっと辛い人がいるんだから……」的な相対評価でなくて、自分の、自分だけの絶対評価であっていいのだと、その上でその責任も負ってく、ほか人のも尊重するのが、社会の中で自分の人生生きることなんやと、頭で分かってても、たまに忘れてしまってることがありませんか。僕は、ある。

この本を手に取ったのはそういうのを再確認するためなんかもな、と思いながら、読みます。


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