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おとなこども

わたしの血を継ぐこどもはいないけれど、いままでに、親しい友人のこどもの相手を頼まれることが何人も、何回もあった。

保育士免許も持たないわたしに頼むのだから、お互いに信用がなければいけないし、そう思ってもらえてることが嬉しい。

おむつ替えをしたり添い寝をしたり、離乳食を作ったりお風呂に入れたり、少し大きくなった彼らと、一緒にごはんを食べたり遊んだりする事は、本当に楽しい。共働きの友人に感謝しかない。

一時期忙しい友人の頼みで、頻繁に会っていた子には、特に思い入れがある。言葉が話せなくても通じるというのは、とても居心地が良いものだ。

初めて立ち上がったり、初めて丸が描けたりの、「初めて」に遭遇してしまった時、親よりも先に目撃してしまった申し訳なさもありつつ、簡単な言葉では言い尽くせ無い感情と、湧き上がる高揚感を噛み締めた。素直に「予測不能の贈り物をもらった」、と喜んだ。彼らの初めては、わたしの初めてでもあった。

親といる時と、わたしと二人きりの時では態度が違うのも面白い。その中でも一番印象的だったのは、イギリス人の2歳になりたての女の子だった。出掛けにギャン泣きして、お母さんを引き止めようとするのだけれど、扉が閉まった途端に、「さぁ、今日はわたしに何をしてくれるの?」という圧を、こちらに声も発せずに向けてくるのだった。それは本当に、「すごいなぁ」と関心してしまうほどだった。わたしには、彼らと「ともだち」でいられる距離が丁度よかった。

つい先日、小学校三年生男子と遊んでいる最中に、彼の家の電話が鳴った。

「はい はい... いまお母さんはいません。 あっ いまともだちが来てるので... (略)」と言ったのを聞いて、なんだか嬉しい気持ちになりつつ、「こどもの成長は早いから、いつまでともだちでいられるのかなぁ」と、子供の頃にともだちと呼べる友達がいなかったわたしは、あっという間に大きくなってしまう彼を想像して、少しセンチメンタルにもなったのだった。

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