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「咲かない人は、いない。」/「花のいのちはみじかくて」(2023年春の坂道シリーズに思う)

■ 過ぎていく時の流れ

 ひたすらライブを見ていたら2月が終わっていき、春がやってこようとしている。日向坂46・4期生の「おもてなし会」、乃木坂46の「11th YEAR BIRTHDAY LIVE」、櫻坂46の「SAKURAZAKA46 Live, AEON CARD with YOU! Vol.2」と、3期生の「おもてなし会」。このひと月で9公演を見届けたことになる(配信のあった8公演はすべて配信、および櫻坂46・3期生「おもてなし会」初日を現地で)。

 乃木坂46のバースデーライブはデビュー記念日を祝うライブであり、かつ今回は期別のライブと秋元真夏の卒業コンサートでもあった。いつも以上に、“世代”や“歴史”をひりひりと感じさせる内容となっていた。
 新加入メンバーの「おもてなし会」は、日向坂46(ひらがなけやき)と櫻坂46(欅坂46)にとっては恒例ともいえるイベントである。日向坂46・4期生の会場は5年前の2期生のそれと同じ(幕張メッセ・イベントホール)といった巡りあわせの妙もあり、新メンバーの初々しさのなかに未来を見るとともに、これもまた過去が思われるライブでもあった。

 また、タイミングとしては、ちょうど日向坂46・4期生の「おもてなし会」から、いわゆる「声出し」が解禁になったことになる。おおよそ3年ぶりの、コールと歓声が轟くライブ。特に改名を経た“櫻坂46”にとっては、それは初めての経験でもあった。これもまた、時間の流れを思わせるものだったかもしれない。

 筆者自身の話をすれば、ろくに友達もつくろうとせず、ひとりでひたすら坂道シリーズのファンをやり続けて、もう8年目になる。どうしようもなく時は流れてしまったし、これからも流れていく。


■ 風も吹くなり/雲も光るなり

 ここでまた前稿に続き、3年前の乃木坂46「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」の話になってしまうのだが、あのときのDAY1のオープニングは、坂を上っていく遠藤さくらの映像から始められていた。最初のカットは、秋葉原方面から御茶ノ水駅に向かう「淡路坂」(ヘッダー写真の場所である。これは2014年に筆者が撮った写真なのだが、偶然にも構図が近かった)。
 「風も吹くなり/雲も光るなり」。世代でいえば筆者よりも上、遠藤からすると親くらいの世代なのではないだろうかとも聞こえる女性の声が、そこにナレーションをつけていく。

風も吹くなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあはせ)は
波間の鷗のごとく
縹渺とたヾよい

生きてゐる幸福(こうふく)は
あなたも知ってゐる
私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり

原典:林芙美子(1903-1951)の詩

 遠藤ら4期生は、加入から1年と少しというタイミングであった。このあとの1曲目に演じられた「夜明けまで強がらなくてもいい」のセンターに抜擢された彼女を筆頭に、がむしゃらに駆け抜けていた頃。「花のいのちはみじかくて」とは、そんな彼女に投げかけるには、あまりにもぴったりのようでもあり、一方でやや趣味が悪いようにも思えた。
 VTRは、美しい花々に囲まれた、海を臨む幻想的な場所で、遠藤がこう語りかけて終わる。

 「限られた時間という、美しさがある。
  だから私たちは、この一瞬に、命を燃やす


■ 時間、ないしは“卒業”への態度

 「アイドルでいられる時間は短い」とよく言われる。ファンも言うし、メンバーも(このような演出がつけられる場面でなくても)口にすることがある。
 一方で、メンバーの卒業が相次ぐようになってからとみに思うが、「卒業発表までは、まるでずっと卒業なんてしないような態度をとる」ことが、一種のマナーのようなものとして定着しているようにも思う。

 秋元真夏がかつて口にしていた「46歳までグループにいる」はさすがに冗談だったとしても、卒業発表をしたメンバーが語る「あのくらいの時期に卒業を決めました」という時期は、いつもいつも、思ったより早い。
 あるいは、いまパッと思いつくだけでも、衛藤美彩、伊藤かりん、堀未央奈、北野日奈子と、「25歳をひとつの目安として卒業すると決めていた」というような語り方をするメンバーも散見される。生駒里奈、大園桃子、渡邉美穂あたりは、それが「大学に行った同級生が卒業する22歳」であっただろうか。
 オーディションで選ばれてメンバーとなり、大人数で動いているのだから、それもなかなか難しかろうとは思うけれど、「××歳で辞めると決めています!」と加入直後から公言するようなメンバーが、ちょっとくらいいてもいいのに、と思わないでもない。

 ここ1年の卒業メンバーでいえば、菅井友香は「25歳とグループ改名で卒業を考えたけど、まだ続けると決めた」、樋口日奈は「写真集は出すけど、まだぜんぜん卒業とか考えてない」、というようなことを口にしていたことが印象的に残っている。和田まあやが「アンダーライブを東京ドームでやろう」とぶち上げた29thSGアンダーライブからも、まだ1年も経っていない。
 でもそれを、ファンは裏切りや嘘ととらえているわけではおおむねないし、メンバーもメンバーで、うまく言葉にできないが、すべてが最終的に本当でなくても、いまの時点では本当であることとして、現実と“アイドル”の狭間での誠実さとして語っているのだとも思う。
 こう言語化してみると、なんとも奥ゆかしいカルチャーだ。


■ 「苦しきことのみ多かりき」

 林芙美子の「風も吹くなり……」は、無学浅識の筆者は当然ながらバースデーライブのあの日に、あの形で知ったのだが、林芙美子自身はその晩年に「花のいのちはみじかくて/苦しきことのみ多かりき」のみの短い形で色紙などに書くようなことが多かったのだといい、これが名句として紹介されたり、辞典に掲載されたりもしているようである。
 「風も吹くなり/雲も光るなり」で始められ終えられる、フルバージョンともいえるものは、舞台「放浪記」において著名であったものの、長く発祥がはっきり知られていなかった。しかし後年、村岡花子の遺品から直筆作品が見つかったことで、形としても彼女の作品として知られるようになったのだという。

 「花のいのちはみじかくて/苦しきことのみ多かりき」と区切ってしまうと、いかにも夢がないというか、儚いもののように思える。デジタル大辞泉はこの短詩を「女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの。」と説明しているが、晩年の林芙美子がこれを書き残し、あるいはそれがひとり歩きしていったのかと思うと、寂寥感のようなものに襲われてしまう。
 でもフルバージョンは違うのだ、本当は人生には幸福があり、風が吹き雲が光るのだ、みたいな方向にもっていきたいのではない。
 「苦しきことのみ多かりき」と、「苦しきことのみ多かれど」は、まったく同じことだとは言わないけれど、表裏一体なのだと思う。あるいはそのどちらでもない、あわいの部分で、彼女は生を全うしたのだと思う。

 秋元真夏は、グループで過ごした日々について「楽しいことばかりだった」というような語り方をする場面があったように思う。そんなことはないだろう、と思ってしまうけれど(彼女たちももちろん、「大変だったこと」についても振り返っているのだけど)、でも、それが真実なのだろうと思う。
 「生まれ変わっても絶対乃木坂になりたいし、乃木坂のキャプテンを務めたい」。卒業コンサートのスピーチを彼女はそう締めくくった。

 これに重ねて思い起こしたのが、筆者が特に思い入れの深いメンバーであった北野日奈子のことだ。
 壁にぶつかってばかりだったようにも見え、「涙が止まらない日」や「前を向けない日」があったと、現役当時からはっきり口にしていた北野だったが、「来世でもみんなで乃木坂46をやろうね」というメッセージとともに卒業していった。

 どんなに長く言葉を並べてもすべてを語り尽くすことはできず、あるいはだからこそ、短い言葉にこそパワーが宿る。
 「苦しきことのみ多かりき」も「苦しいことのみ多かれど」も、本当だけど本当ではなくて、本当ではないけど本当なのだ。


■ ふたつの「おもてなし会」

 長年アイドルとして走り続けたメンバーたちの華々しい卒業を目の当たりにしたことは、加入したばかりのメンバーたちのたたずまいも際立たせた。

 「花のいのちはみじかくて」からは最も遠い場所にいて、「限られた時間という、美しさがある」というような演出をつけられるにもまだまだ早い。
 それでも、日向坂46/櫻坂46であらねばならず、グループの名前を冠したステージに上がらなければならない。「お見立て会」ではなく「おもてなし会」。ファンとしてはうなずいたり笑ったり声を上げたりして楽しんでいたばかりだった気がするが、やはり独特の緊張感もあったかもしれない。

 日向坂46・4期生についていえば、パフォーマンスという意味ではすでにグループ全体でのライブに幾度か出演していたし、「日向坂で会いましょう」にも集中的に出演しており、キャラクターもファンにはすでに伝わっていた。
 それで容易いステージになったというわけではまったくないのだと思うが、それだけの経験をふまえてそこに立っている様子が見てとれてもいた。

 その意味で櫻坂46・3期生は対照的であった。ライブのステージに立つのは初めてで、「そこ曲がったら、櫻坂?」初登場回の放送すらまだという状態。村井優と山下瞳月のふたりに至っては、研修期間は同期と同じスケジュールで過ごしていたものの、学業の都合でプロフィールの公開は3月に入ってからであった。
 残る9人も、YouTubeなどでパーソナリティが伺えたほかは、オンラインミート&グリートを経験していた程度で、対ファンという意味ではぶっつけのデビュー戦だったと言っていい。

 イベント全体としては、MCとして「そこ曲がったら、櫻坂?」ナレーターの庄司宇芽香が迎えられるなど、「お見立て会」との折衷を思わせるようなバックアップ体制もとられていたが、ライブパートについてはそうもいかない。
 グループ最高難度といわれる「BAN」を課題曲として与えられ、研修中の合宿で涙を流して苦しむ様子がドキュメンタリー映像として公開されてもいた。それはメンバーのパフォーマンスの価値を再確認させたが、同時にハードルを上げることにもなっていたかもしれない。

 「咲かない人は、いない。」——彼女たちのオーディションは、そんな力強いキャッチコピーとともに行われていた。短い言葉にはパワーが宿る。その11文字に、最後に背中を押された者もいたかもしれない。
 ライブパートのOvertureの映像でも、それは印象深く用いられていた。やはり力強い言葉だ。先輩メンバーの背中を追わなければならない3期生を改めて勇気づける言葉にもなったかもしれない。
 しかしもう半面では、プレッシャーでもあったかもしれない、とも思う。「あなたたちは、咲かなければならない」とでもいうように。「花のいのちはみじかくて」、そんなことを思う余裕など、露ほどもなく。

 ふたつの「おもてなし会」は、おおむね成功裏に終わったのだと思う。だからこそそれは、先輩メンバーたちがつくってきたグループやそのパフォーマンスをいくぶん相対化した。
 相対化されたそれは、受け継がれる部分もあろうし、化学反応が起きて変化する部分もあるのだろう。そうやって時間は前に進み、グループは坂を上っていく。


 まとまりはあまりないのですが、このへんで。
 4月には櫻坂46と日向坂46は大きなライブがありますし、乃木坂46もここから5期生を含みこんだ完全な新体制で走り出していくことになります。
 手垢がついた言い方をすれば、春は別れの季節でもあり、始まりの季節でもあります。例年にましてそんな表現が当てはまりやすいような、時代の結節点みたいな感じだな〜と思って、なんとなく書いた文章でした。

 ブログ、ちょっとずつまた書き始めています。よろしくお願いします。

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