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すれ違う見ず知らずの人よ(乃木坂46・真夏の全国ツアー2023“前半戦”によせて)

■ 沖縄公演2DAYSを経て

 2023年7月22-23日、乃木坂46の「真夏の全国ツアー2023」の沖縄公演が開催された。グループとして初めての沖縄でのライブ。筆者はモバイル1次先行で1日目のチケットに当選したほか(すべての先行抽選に応募したなかで当選したのはこの公演のみであった、さすがに厳しい)、一般発売で2日目のチケットも手にして、両日ともに現地で立ち会うことができた。

 グループ全体のライブとしては、近年では非常にまれな現象だと思うが、直前まで一般発売のチケットは発売を終了しておらず、「望めばチケットは手に入る」状況であった(2日目のチケットが1日目の開演前にまだ購入できる状況であったことを確認している)。全体ライブではスタジアム・ドームクラスの会場で開催された2018-19年の全国ツアー以来の現象といえるだろうか(あるいは2019年10月の上海公演以来かもしれない)。
 しかし、現地で見た限りでは客席はほぼすべて埋まっていたような状況で、最上階のブロックに1列か2列くらい、「あれは空席なのか?」という空間があった程度であった。各地方をめぐる全国ツアーとはいえ、一定以上には“遠征組”の存在が前提でもある。アクセスの面で他会場よりハードルのある沖縄公演2DAYSをここまでもってきたことは、まごうことなき大成功であろう。

 地元出身の伊藤理々杏の存在についても、当然ここで語っておかなければならない。シングルでいえば10作ぶり、期間でいえば約4年ぶりの選抜メンバーとして活動するこの夏。初のアンダーセンターを経たのちのシングルとして、選抜入りについては「最後のチャンス」「ここでいかなければもう無理かも」(「乃木坂工事中」#418)という思いすらあったと口にしていた。
 理々杏本人の悲願でもあったという沖縄公演。その実現と選抜入りは軌を一にする動きであったようにも見える(もう少しわかりやすくいえば、「“運営”が描いた大きな絵の一部」みたいなことだ)。でも、そんな絵が描けるところまでグループを押し上げたのだって、その理々杏であろう。グループが理々杏の夢を叶えたし、理々杏がグループの夢を叶えた、そういうことだ。
 2日間にわたって何度もMCで話を振られた理々杏は地元開催の喜びをステージで爆発させ、2日目のアンコールでは感極まる様子も見せていた。理々杏は「きっとまたここで皆さんと会いたい」と少し遠慮がちに表明したが、キャプテン・梅澤美波はそれをふまえて「来年もまた必ず戻ってくる」と力強くグループとしての決意を語った。「乃木坂が『ただいま』といえる場所が増えた」という、一ノ瀬美空のことばも印象深かった。
 前稿「思い出という名の守護神(2023年夏の坂道シリーズに思う)」では、セットリストを中心とした構成面にグループの現在地を見たことを書いたが、沖縄公演ではまた違った角度、メンバーのことばやたたずまいの面から、グループの現在地を見た気がした。

 また、沖縄公演では、33rdシングル表題曲「おひとりさま天国」の初披露もなされた。冒頭の“夏曲”ブロックに挟み込まれる形で披露された同曲はセットリストに自然に溶け込んでおり、地方公演としては“後半戦”のスタート、明治神宮野球場公演まで含めたツアー全体としては“前半戦”の終わりとなる区切りであった沖縄で、「真夏の全国ツアー2023」のセットリストがさらに完成に近づいたような、そんなふうにも見えた。
 センターを務める井上和は、1日目の披露後には緊張から解き放たれた部分もあったか、ライブ序盤にもかかわらず涙を流していたが、2日目には前夜の初披露時について、客席からの声が聞こえないほど追い込まれてしまっていたと明かし、しかし2回目となるこの日の披露では声がすごくよく聞こえた、と語った。
 メンバーが、グループが、公演ごとに前へ進んでゆき、それを見守ることができる。“遠征組”のひとりとしては、それもツアーの醍醐味のひとつだな、と思う。

■ 変化と“チームの力”

 また、今回の公演は向井葉月・佐藤璃果・松尾美佑・矢久保美緒を新型コロナウイルス感染によって欠いた公演でもあった(矢久保は「体調不良」とのアナウンスで休演後、新型コロナウイルス感染であったことが判明)。特にアンダーブロックにおいては13人中4人を欠く状況となったが、「錆びたコンパス」のセンターには松尾に代わって吉田綾乃クリスティーが立ち、5人のみとなってしまった3・4期アンダーメンバーによるMCも清宮レイが軸となって会場を盛り上げるなど、グループとしての引き出しの多さが発揮されていた。
 あるいは筆者個人としては、この前に参加したのが北海道公演であったため、早川聖来のいない今回のツアーのステージを見るのは初めてであった。早川の不在をあえて意識させるようなセットリストや演出では当然なかったわけだが、早川にとっては初選抜の曲でもあった「ごめんねFingers crossed」のカット割りなど、ああそうか、もういないんだな、と感じてしまう場面もいくつかあった(筆者は広島公演を見ていないのでそれが当初の想定通りの形であったのかは判断がつきかねるが、そのポジションにいたのも吉田綾乃クリスティーであった)。

 こうした局面で毎度感じるのは、グループがもつ、ひとつのチームとしてのしなやかさであり、強さである。前稿でも書いたところだが、今回のツアーのセットリストは現役メンバーのセンター曲と期別曲を軸に構成されており、「先輩メンバーのポジションに入る」というストーリーはおおむね排されている。しかしそのようななかでも、確実に“乃木坂46のステージ”をつくるための柔軟なフォーメーションが、新たな機微を生み出してもいるのだ。

 そして、そのような“フォーメーション”とも異なる角度での編成で毎公演披露されているのが、セットリスト中盤に歌唱中心で届けられる「シンクロニシティ」である。
 日替わりで中村麗乃または久保史緒里による語りと歌い出しから始められ、その後も中村または久保のチーム数人が中盤までを歌唱するが、終盤には全員が揃って合唱となる。中盤まではソロやペアでの歌唱をつないでいく形がとられ、それぞれのチームは歌唱力に定評のあるメンバーで構成。筆者の記憶が正しければ、両チームのメンバーに重複はなかったように思う。
 名実ともにグループを前線から引っ張る久保史緒里や井上和、舞台経験が豊富で今作新選抜の伊藤理々杏や中村麗乃、5期生を、ひいてはグループを歌唱力の面から引っ張っている奥田いろはや中西アルノと(記憶をもとに全員を確実に網羅できる自信がないのでこの程度に留めることをご容赦いただきたい)、平時のフォーメーションの力学とは異なるメンバーが居並ぶパフォーマンスは、これもグループの引き出しということであろう。
 歌が中心の演出なんだから歌が得意な子が出てくるのは当たり前でしょ、と片付けてしまうのは簡単だけれど、しかし「この曲を届けたい」となったときに、グループがそれに適した形を確かにとれるというのは、やっぱりチームとしての強さだと思うのだ。

■ 「言葉を交わしていなくても」

 「シンクロニシティ」歌唱前の語りで、中村麗乃はこの曲を「私たちに勇気を与えてくれた曲」と紹介し、久保史緒里は「辛いときに何度もこの曲に救われた」と口にする。曲がもつ前向きなメッセージを伝えるべく歌唱するのだという思いを感じる語りであったが、逆にいえばそれ以上の具体的な説明はなされていない。
 3期生が選抜/アンダーに本格的に合流したタイミングだとか、グループが二度目のレコード大賞を受賞した作品だとか、筆者みたいな人間がついつい付け加えてしまうような情報には触れられていなかったし、セットリストの特異点ともいえる選曲の背景が語られるようなこともなかった。
 だからこそ聴く者それぞれが、それぞれ違うメッセージを受け取ることができたのではないかと思うし、ひょっとするとそれを歌うメンバーたちの思いも、個々のパーソナリティや過ごしてきた時間を反映して、それぞれ違っていた部分もあったかもしれない。

 (筆者の文章にはやっぱり野暮ったい説明が多くなってしまうことをご容赦いただきたいのだが、)「シンクロニシティ」は生駒里奈が卒業するタイミングのシングル表題曲であった。この20thシングルは、当初は生駒をセンターとする“卒業シングル”として構想され、生駒本人にもその打診があったことが明かされている。そしてそれを自身が固辞したということも、ほかでもない生駒自身によって語られている。
 でも、選抜発表の放送を経て楽曲が解禁され、MVが公開され、パフォーマンスが披露されていくうちに、「それでも生駒里奈の横顔がちらつくような、むしろそれを描いているような、そんな曲だな」と思うようになっていた。「グループとそのプロデュースの執念」みたいなことを言っていた覚えもある。
 具体的にどこにそれを感じていたのかは、いまとなってははっきりしない。でも、優美さとともにテンポのいい疾走感があることは、総体としての乃木坂46と生駒との関係性や距離感を反映していたようにも見え、あるいは、2列目の中央に立つ生駒がMVなどでもクローズアップされたこともあっただろうか。
 そして何より「言葉を交わしていなくても/心が勝手に共鳴するんだ」と、離れた場所にいたとしてもすべての人がお互いを思って「遠くの幸せ(を)願う」歌詞も、この曲を聴いた誰もがそれぞれの形でもっていた生駒との心の紐帯をどこか思わせるようにも感じられていた。

 その「シンクロニシティ」でセンターを務めたのは白石麻衣。押しも押されもせぬ乃木坂46の顔であったが、単独での表題曲センターは「ガールズルール」以来約5年近くぶりであった。「東京ドーム公演が実現したら白石は卒業する」みたいな根拠のない噂がただよっていたくらいだったから、1期生のなかでも年長組であった白石より先に生駒が卒業するだなんて、想像できた者はなかなかいなかったのではないだろうか。
 しかしその白石を先頭に新体制で走り出したグループは、生駒の卒業直後には全メンバーでの「ミュージックステーション」出演があり(「シンクロニシティ」では二度目の出演であった)、「シンクロニシティ・ライブ」と題した明治神宮野球場・秩父宮ラグビー場での2会場同時開催ライブがあり、年末には二度目のレコード大賞の受賞があった。
 白石は、自らのグループ卒業を考え始めたのは「25歳超えたぐらいのとき」で、この時期に「(スタッフに卒業の意思を)言ったんですけど、『もうちょっといてほしい』って言われた」ということを、後年になって明かしている(「なりゆき街道旅」2023年5月21日放送回)。これを字義通りにとるならば、まさに「シンクロニシティ」の時期の出来事ということになる。

 これはまったくもって筆者の個人的な思いにすぎないのだが、「シンクロニシティ」は、その生駒と白石が「引き寄せた」曲である、というようにずっと見えてきた。そこにはは、ここまで述べてきたようなことに加え、デモ曲の段階では必ずしも乃木坂46の曲と確定していたわけではなかったようだ、という経緯もある。
 プロテューサーを務める作詞家・秋元康の手がけている楽曲の数は尋常ではないから、おおむねどの曲もそんなものなのかもしれない。でも特に「シンクロニシティ」は、当時欅坂46で“絶対的センター”と呼ばれていた平手友梨奈が、「秋元(康)さんからデモ曲としていろいろ聴かせてもらってて、あの曲が来て。これは絶対欅でやりたいと思ってたけど、まさかの乃木坂さんになっちゃって」(『ロッキング・オン・ジャパン』2019年6月号 p.69)と明かしている。
 平手の思いは相当であったようで、欅坂46は「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」(大阪公演、2019年4月4-6日)においてこの楽曲をグループ全員で演じている(振り付けは欅坂46のために新たにつくられたものであった)。その後も、2019年の「紅白歌合戦」では、坂道シリーズ3グループ(に内村光良を加えた「権之助坂46」)によって演じられ、2020年12月21日の「CDTVライブ!ライブ!クリスマススペシャル」では日向坂46とのコラボで演じられるなど、他グループにもさらに広がりをみせるような展開もあった。

 それでも「シンクロニシティ」は乃木坂46の楽曲だと思うし、はじめからそうでなければならなかった、とも思う。生駒の卒業後まもなく、そのポジションに立つようになった梅澤美波は、白石の卒業後にはセンターを務める形が定着している。松村沙友理が、生田絵梨花が、樋口日奈が、秋元真夏が、齋藤飛鳥が、卒業コンサートで最後にセンターに立ったのも印象深い(生田は落ちサビから梅澤と入れかわる形でセンターに)。あるいは、「23rdシングル『Sing Out!』発売記念ライブ〜4期生ライブ〜」(2019年5月25日)において、遠藤さくらが自ら選曲してセンターに立ったのさえ、まだ記憶に新しいくらいだ。

 続いての曲でセンターを務めさせていただきます、遠藤さくらです。
 今回、全員センター企画で、自分のやってみたい曲に挑戦させていただけるということで、私は真っ先にこの曲を選びました。
 でもこの曲は、乃木坂の楽曲のなかでも、とても難しいパフォーマンスが要求される楽曲だと思っていたので、正直「自分にできるのか」と不安にもなりました。少し前の自分なら、勇気も自信もなく、やる前から諦めていたかもしれません。
 でもこの春、私はプリンシパルという舞台を経験して、いろいろな感情を表現する楽しさと同時に、悔しさも知りました。この曲は、表情や感情がとても大切な曲だと思うので、今回、自分の感情を出して表現することに挑戦してみたいと思います。
 少しだけ……少しだけ成長した私を見てください。

「23rdシングル『Sing Out!』発売記念ライブ〜4期生ライブ〜」(2019年5月25日)
遠藤さくら「シンクロニシティ」披露前スピーチ

 2023年7月1日の「THE MUSIC DAY」では「グループを変えた曲」という切り口で、しなやかなダンスをグループにもたらした楽曲として、音楽番組で久しぶりに演じられてもいた。
 グループにとって“運命の楽曲”であった「シンクロニシティ」の歴史はグループの歩みそのものであり、オリジナルメンバーの大半がグループを離れた現在にあっても、グループがあるべきひとつの形として届けられ続けている。演じるたびにグループを力づけ、メンバーを勇気づけてきた。そんな曲であるともいえるかもしれない。

■ “偶然の一致”を重ねて

 急に自分の話を混ぜ込むようで申し訳ないのだが、「シンクロニシティ」がリリースされた2018年春、筆者は心身の調子がかなり悪く、夏ごろからしばらく仕事を休まざるを得なくなってしまった。体調は一進一退を繰り返すばかりで、結局約1年の期間で2回、休職の形をとることになる。
 自分でももうどうにもできなくなっているような状況のなかで、配信が始まったばかりの「シンクロニシティ」をずっとリピートで聴いていて、春の温かい色の光が差す最寄り駅までの道を必死に歩いて会社に向かっていた、そんな一瞬の情景のことを妙に鮮明に記憶している。
 だから、筆者にとっても「シンクロニシティ」はある意味「勇気を与えてくれた曲」で、でもそれと同時に、「勇気を与えてもらわなければならなかった自分」を思い出す曲でもある。

 ついでなので少し書いておくと、不調を感じていた期間にも、無理のない範囲でライブなどには足を運んでいた。通院が始まり休職に入るより前に当たっていたチケットを無駄にしたくなかったのが半分と、楽しいことが何もできなくなったら本当の絶望がやってくると思って、目に見える形の“楽しいこと”にすがった、というのが半分だった、そんな感覚がある。
 でも正直、そんな状態だったから、どのくらい楽しめていたのかはよくわからない。できるだけ毎日夕方に散歩をするようにしていたが、それ以外はライブのときくらいしかちゃんとした外出はできていなかったし、それもだいぶ無理をしていたのだと思う。2018年の終わりから2019年の秋くらいまでは特に記憶がはっきりしていない感覚があって、それは服薬の量が特に多かった時期と重なる。
 そんな体たらくの自分が座席をひとつ埋めていたことが申し訳ないくらいなのだが、だからこそ、あの時期の坂道シリーズにはすごく執着がある。映像化されたものを特に丹念に見てきたのもこの時期のもので、現地で見てきたつもりでも、結局あとから再構築した記憶について書いているだけかもしれないと思うこともある。でも、だから、書かずにはいられない。

 筆が乗ってくると、例によって北野日奈子の話になる。筆者が心身の調子を崩していたのは、北野が“体調不良”と休業を経験していた時期の、だいたい1年くらい後のことになる。それより前から普通に応援していた北野が、“体調不良”で苦しんでいる様子を目にして、前のめりになって応援しているうちに、自分も自分でつまずいて転んでしまったような、そんな感覚および時系列であった。
 2回目の休職に入って、すっかり絶望していたときに見たのが、「Mステスーパーライブ2018」で、星野みなみのポジションに入って「シンクロニシティ」を演じる北野の姿であった。「日常」でアンダーセンターを務め、すっかり復活を印象づけていた頃である。
 それはいろいろな事情がからみあった結果でもあったのだが、選抜でもアンダーでもなかった時期の「シンクロニシティ」で、北野が選抜扱いのポジションに立って音楽番組に出ているということが、すごくまぶしく見えたことを覚えている(厳しい時期の彼女を見てきたからというのもあるし、一方で自分が本当にどうしようもない状態でもあったから)。
 筆者はそこから苦しんだ時期がだいぶ長かったのだが、境遇に関するその“偶然の一致”に、ずいぶんと救われてきたように思う。一応書いておくと、2019年の暮れあたりから筆者の体調は少しずつ上向き始め、2021年の夏に通院を打ち切っており、それ以来特に不安を感じているようなこともない。

■ あなただけの場所がある

 自分自身に関するそうした経緯もあり、筆者は休業を経験しているメンバー全体に対するまなざしが、ファンのなかではやや強いほうだと感じている。
 その北野のころを契機として、坂道シリーズ全体でも、休業を経て復帰するメンバーがぐっと多くなったような印象がある。少し前には、中元日芽香や今泉佑唯の経緯もあり、休業に入ると復帰して長く活動するのはやっぱり難しいのではないか、というような印象がある時期もあったように思う。
 しかしそれから、久保史緒里や山下美月、大園桃子、濱岸ひよりなど、休業期間を挟んだメンバーがほぼ元通りといえる状態で復帰した例が増えていった。少なくとも、かつては確実に存在した、「ここで休んでしまったら自分の椅子がなくなる」といったような不安感は、一定以上には軽減されているのではないかと思う。

(前略)……休業をするのもすごく勇気が必要でした。出遅れたらもう選抜に二度と戻れないんじゃないかと思っていたから。ボーダーライン上で必死にしがみついていたのに、そのラインから手を放すことはすごく怖かったです。

北野日奈子2nd写真集『希望の方角』インタビュー

 やっとの思いで摑み取った選抜の席。戻ってきたらもうなくなっているだろう。身体をボロボロにして、進学の道を断って、友人と遊ぶことも諦めて、ようやく手に入れたポジション。何ものにも代えがたい宝物でした。

 失うものの大きさはわかっていました。それでも、もう限界でした。

中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.93

 コロナ禍の期間を経たのちも、松田好花や宮田愛萌、小坂菜緒、小林由依が、ある程度まとまった期間を休業したのちにグループ活動に復帰している。小林は「体調不良」という言葉選びをせず、「活動休止」「休養」という表現にとどめてもいた。このほか、岩本蓮加や清宮レイなど、「一部休止」のような形で活動をセーブするケースもあった。
 メンバーの活動休止そのものが、望まれる状況であるとはもちろんいわない。メンバーをそこに追い込んでいるものがあるとすれば、厳しく問われなければならないと思う。しかし、生きていれば体調の変化はあるものだし、タフで忙しい日々を送っているアイドルであればなおさらだ。人生において休む必要がある時期がくれば休むことができる。当たり前で、でもどうしても難しいことが、ある程度可能な状況になっていることは、確実によいことだろう。

 もっといえば、グループアイドルというしくみが、それを可能にしている面もあるように思う。メンバーそれぞれが“個人仕事”にも取り組んでいるとはいえ、グループでの活動は体調をみながら調整することもできる(そのノウハウも蓄積されてきているのではないだろうか)。
 あるいは、グループアイドルの宿命ともいえる“ポジション”に関しても、プラスに作用させている向きがある。象徴的だったのは、日向坂46が7thシングルのセンターに、長期の活動休止が明けたばかりの小坂菜緒を据えた上で、その両隣を佐々木久美・佐々木美玲とするという布陣をとったことである。
 休んだからポジションが大きく変わるわけではなく、元通りにチームに戻っていくことを前提とした上で、体調面や体力面などの課題についてはチームの力で解決をはかる。センターとしたことについてはいくぶん積極的な措置のようにも見えたが、それも含めて、それは「活動休止」についての明確なメッセージだったように思う。

 体調に関することばかりではなく、学業との兼ね合いやセカンドキャリアの面などについても、少し前からすると、雰囲気が変わってきたな、と感じることも多い。それは時代の要請かもしれないし、ある意味ではグループの余裕や矜持でもあるのかもしれない。そしてそれは巡り巡って、グループ自体を守り、価値を高めることにもつながっているようにも思う。

■ “80億分の一”であること

 一方で、そうしたすべてが必ずしもうまくいっているわけではないし、うまくいっていたとしても、それは至上の価値ではない、ということも、どこかで心に留めておかなければならないと思う。あるいは筆者自身、グループのファンをやっていて、それが少し、心にちくっとすることもある。
 メンバーを守ることの目的が、グループのゴーイングコンサーンのため、となってしまっては、本末転倒ではないだろうか。本来であれば、すっぱりアイドルだったり芸能活動だったりは辞めてしまって、次のフェーズに進むタイミングであるところを、遅らせてしまっているのかもしれない。そんなふうに思うことも、時たまではあるが、ないではない。

 アイドルを辞めるのは難しい。卒業の時期については、グループが大きければ大きいだけ調整が入るし、区切りの作品やイベントを設けるのだって、記念としての位置づけや卒業メンバーへの感謝や労いとともに、ファンの気持ちを整理するための意味もあるだろう。
 出役としての生活を続けることにしても、世間やファンはまだ“アイドル”として見る時間が続くことも多い。表舞台を去るにしても、強火のファンは“永遠の推し”だなんて呼んだりするし、それが美談のように語られることもある。
 きらびやかな舞台に立って人気商売をしていたのだから、そのくらいは仕方ない、とする向きもあるかもしれない。でも、それをみながすべて受け入れろと強いるには、入り口であるオーディションのしくみはやや暴力的でもあろう。

 前項ではあえて省いたのだが、最後のライブ出演を終え、現在グループからの卒業を控えている早川聖来も、“体調不良”による活動休止を経て復帰しているメンバーのひとりだ。体調を見ながら徐々に活動のペースを戻していき、「齋藤飛鳥卒業コンサート」においてようやく、再びライブにフルに参加するに至ったのだが、そのときにはもう、卒業が決まった状態であったのだという。
 早川は卒業とともに芸能界を引退するとしており、発表に際しては、演技の仕事での共演者などからも惜しむ声が多かったように思う。早川は演技やラジオの経験も豊富で、芸能界でのキャリアの未来予想図も描きやすいタイプのメンバーだった。ファンとしても、もったいない、と思ってしまう。それが本人の意志であるならば、もったいないことなんて何もないはずなのに。

 “アイドル”というシステムは恐ろしいもので、本当ならば人生において袖が振り合うこともないような、どこまでも他人であるメンバーのことが、どうもまるっきり他人とは思えなくなってしまう。
 卒業するメンバーもまだのメンバーも、あるいは卒業後、芸能活動を続けるにせよそうでないにせよ、これからもどうか元気でいてくれればと思うけれど、特に芸能界引退となると、遅かれ早かれ、消息を知れることもなくなっていくのだろうか。
 芸能界は特別な世界だけれど、われわれの生きる場所と地続きでもある。メンバーは架空の存在ではないし、こと坂道シリーズについていえば、みな本名で活動してもいる。これからも、例えば早川聖来が、“早川聖来”としてこの世界を生きていくことは希望であるし、しかしどこかで、うっすらとした絶望感もある。身勝手なものだ。せめてその身勝手に対して、自覚的であらねばならないと思う。

心の優しい、思いやりのある大好きな仲間と、たくさん努力を惜しまない後輩たち、そして未来で乃木坂46になる子たち。
「乃木坂46」という物語はこれからも続いていくと思います。

私は一人の早川聖来という人間となって、笑顔でその物語を見守りたい。


私は「私」という物語の途中で少し立ち止まり、「乃木坂46」という物語のページを開く時があると思います。

その時、私はきっと笑顔だと信じてください。

早川聖来公式ブログ 2023年6月16日「栞と物語 早川聖来」

 早川のグループ卒業は、23歳の誕生日である2023年8月24日。その数日後に発売される1st写真集のタイトルは、『また、いつか』。
 往々にして、アイドルは最後の最後までアイドルで、優しい。

 「また、いつか」のタイミングは、われわれが直感的に思い浮かべるような形では訪れないかもしれない。でも、そうだとしても、たまたま同じ曲を聴いているかもしれないし、同じものを食べていることもあるかもしれない。満月の夜には同じように空を見上げているかもしれない。あるいは夏の夕暮れを見て、あの日の神宮のことを同じように思い出しているかもしれないのだ。
 多くの人々にとってオンリーワンだったアイドルは、やがて80億人のなかに消えていく。でもそんな目に見えない偶然によって、80億人とつながっていればいい。いまは、そう思うことにしたい。


 沖縄公演のことを書いていたはずなのに、例によって北野さんについて挟み込みつつ、最後には早川さんの卒業で着地する、なんだか変なnoteになりました。相変わらず、話が連想ゲームで四方八方に飛ぶ文章で申し訳ないです。愛想を尽かさずに読み切れた方、おられるのでしょうか。
 でも、ブログはある程度まとまりをもって書くとして、noteはもう少しタイムリーかつなんとなく書く、というすみ分けが、なんとなくできてきたような気がします。

 2018年リリースの「シンクロニシティ」の歌詞は、「世界中の人」を「76億」としています。昨年には地球の人口が80億人を超えたと推計されており、2050年までには100億人に達すると見込まれているそうです。
 それでも「シンクロニシティ」で歌われるのは、「76億」だったころの世界です。歌詞に時代を閉じ込めるのが上手いなと、秋元康の詞に対してはよく思ったりします。これからも歌い継がれるといいな、と思います。

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