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妊娠出産の話 - 2015⑦ 君の名は

救急車が転院先の△□大附属病院につくとすぐに坊ちゃんは小児科病棟内のNICUへ運ばれていった。

NICU内で処置が行われる間、私は談話室で問診票や書類に記入をしつつ待機だという。

指定された談話室にはいくつかのテーブル、電子レンジ、冷蔵庫、子どもの遊べるスペース、テレビ、DVD、おもちゃ、などの子どもの好きなものが様々置かれており、壁には子どもの描いた絵や工作物がたくさん貼られていた。この小児科・NICUに入院する子どもの入院期間の長さや切実さが感じられた。うちの子も今日から仲間入りだ。まじか。信じられない。

談話室のテーブルで茫然としている私に、坊っちゃんの引き渡しを終えた小児科医が声を掛ける。

「先に戻ります。気をつけて戻ってきてくださいね。」ペコリ。

「では。」救急隊員2名も続いてペコリ。

「ありがとうございました…。」空の保育器を乗せたストレッチャーを涙目で見送る私…

え??

ちょ、待てよ!

初めて知る事実「付き添い者は救急車に同乗して帰れない」。

それで財布を持たされた訳ですよ。ますます茫然。脱力。


書類は15分ほどで書き上がってしまった。ペタペタと印鑑を押して乾かす。

暇であった。が、さすがに本棚の漫画でも読むか、という気持ちにはなれなかった。手元のスマホでニュースサイトなどをだらだらと読んでいた。無事出産の連絡、友人らに昨日送ってしもうた…早まったのう…取り消すか…でもなんて?搬送されちった★テヘとか?

それから1時間半、ついにお呼びがかかる。

わが子との対面を前に、マスクを着用の上、扉の前で1回・入室後に1回と計2回石けんで手を洗い、アルコール消毒をする。コロナ対応ではない。NICUの入室作法である。

人生で初めて入るNICUは私の知っている「ホヤホヤの赤ちゃんの部屋」ではなかった。薄暗い空間に並ぶ保育器、その横には様々な機械。常にどこかでピンロンピンロンと何かのアラームが鳴っているのに静かだった。赤ちゃんの泣き声がしない赤ちゃんの部屋というものはこんなにも静かなのか。

その一角で坊っちゃんはぐでんと寝ていた。鼻に通されたチューブの取り付けはいくらか簡易になったが、その代わりに呼吸器が付けられている。それから手足の管が何本か増えた。

あ 小さく生まれただけの話じゃない

この時に初めてそう思った。

これまで、坊っちゃんはあの明るく賑やかな新生児室で、正産期に2,500g以上の体重で生まれた赤ちゃんに少しずつ追い付いて行くのだと信じて疑わなかった。

搬送されるに至っても、私はどこか楽天的であったし、24時間常に看護を要するという状態がどういう意味かちっともわかっていなかった。

NICUという場所が「しっくりくる」坊っちゃんの姿を前にようやく理解した。

処置を行った新生児科医から状況の説明と今後について説明を受ける。

「①現在、息子さんの状態は安定しています。②血液検査の結果、呼吸障害と哺乳困難に直結する感染症はありませんでした。③今後も引き続き、呼吸と哺乳の管理を中心に様子をみていきます。④その間に各種検査をしていきます。⑤明日からの面会については看護師の方から説明します。」

説明のお手本のようであった。簡潔、明解。(本日2回目)

ここでバトンタッチされた担当看護師のあっちゃんさん(前田のあっちゃん似だったもので…)から各種説明を受けたのだが、あっちゃんさんは開口一番、坊っちゃんのことを「可愛いですねぇ〜」と言った。この日イチ泣けた。


さて、「うっうちのごをっよろじぐおねがいじまず…」とぐずぐずめぞめぞしながらあっちゃんさんに坊っちゃんを託したあと、私は自力で元いた産院へ戻らなければならなかった。

そう!私も入院患者!なんてったって産婦!お腹切って7日!

猛烈に腹がつらい。帰りたい。帰って横になりたい。

ところがなかなかエレベーターに乗れず、病棟から出られない。なんてったって大病院。エレベーターは常に混んでいる。

と言ってもエレベーターは複数台もあるのだから、↓を押して待ち、開いた扉へ向かいスッと歩いて乗れば良いだけなのだ。

やや混みのエレベーターがくる、スッと歩いてひとりかふたりかずつ乗る、そうやって同じフロアの人はどんどん下へゆく中、腹の痛みでスッと歩き出せない私は取り残されている。

くっ…こいつら(他の皆さん)だって病人だったり術後だったりするだろうになんでだ…なぜ追いつけぬ。なぜ追い越せぬ。

解せぬ。でも気付いてしまった。行き倒れている人を見かけないのは、術後だろうがなんだろうが涼しい顔して根性で歩いているからなのだ。地獄の伏線回収。私もそうするしかない。しょうがねぇ、こっちだって男見せてやんよ!


漢気で受付・会計のあるフロアまで降りた私に大病院はさらなる洗礼を浴びせてきた…まあ、洗礼とか言ってみたかったから言ったけどあれです、迷子です。
タクシー乗り場への案内が見当たらないのである。総合案内等で聞けば良いのだが、案内もまたどこにあるのかわからない。し、探して歩き回るのはつらい。

出口から外へ出て、道で拾うとか…?

とおそらく正面出入口と思われる自動ドアから外に出てみたらば、そこは2階であった。道が遠くに見える。大病院てやつは出入口が1階正面じゃねえのか!?※たまたまこの病院がそうなっているだけです

そしてみぞれまじりの雨。激寒。入院出産している間に季節が変わっており、薄手のコートでは太刀打ちできない気温になっていることに気付く。雨の中、道までよちよち歩いていける気がしない。

外から病院の建物を見上げると、ずいぶん高く見えた。産院の2倍はある。右にも左にも病院の建物が続く。うち一棟はもはやタワマン。そして目の前にスタバ。病院にスタバ…え、大きな病院界隈では普通なの?わからない、私わからないよ。

坊っちゃんは今、生きていくのにこんな大きな規模の病院の力を必要としているのかと思ったら、これまで楽観視していたことを申し訳なく感じた。

とぼとぼ病院の中に戻ると、最初に目があった人を引き留めてタクシーの乗り場を聞いた。2時間前に救急車で到着した入口の10m先であった。もう何かをつっこむ気力もない。寝たい。


その夜、産院をたずねてきたコロ助氏に新生児科医完コピで坊っちゃんのNICU入院を説明し(本日2度目)、切に健康を願いながらふたりで坊っちゃんの名前を決めた。

命名、ぷく。もちろん仮名。

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