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ドラゴン・タトゥーの皇帝ニコライ2世

COBRAの2024年8月4日の記事「Dragon Activation」で紹介された記事「Nicholas II: the Tsar with the dragon tattoo」を翻訳しました。

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”崑崙山脈のすぐ南のチベット高原に主要拠点のあるネガティブなアガルタネットワークもあり、地球上のあちこちに小規模な基地ネットワークをもっています。このネットワークの中核は、26,000年前に惑星地球にやってきたネガティブなアンドロメダ人で、現在はチベット北部のごく小さな仏教僧院の地下にある巨大な地下基地に存在しています。彼らはさらに、別の宇宙からやってきた極めてネガティブな少数の生命体によって補強されました。彼らはオカルトに精通しており、地球周囲の非物理面をある程度操作できます。彼らはラーカーと密接に協力しあっています。彼らはロマノフ王朝の崩壊の原因となりました。”

元記事

March 16, 2019 by Paul Gilbert

ニコライ2世の右前腕に昇龍の刺青

1890年、当時のロシア皇太子であり、大公の称号を持つニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ(後の皇帝ニコライ2世)は、帝政ロシア装甲巡洋艦「パーミャチ・アゾーヴァ」に乗り、極東への9ヶ月の旅に出た。その旅で、オーストリア・ハンガリー、ギリシャ、エジプト、インド、セイロン、シンガポール、シャム、中国、日本を経由した。鉄道15,000km、海路22,000kmを走破し、総走行距離は51,000kmを超えたという。

日本の大津を訪れた時のことであった。護衛巡査官であった津田三蔵(1855-1891)が、なんとロシア皇太子の顔に突然サーベルを振り下ろしたのだ。額の右側に長さ9センチの傷跡を残したが、ニコライ2世は命に別状はなかった。


ロシア皇太子は日本の伝統工芸に大きな興味を示し、長崎を訪れた際、自分の右腕に刺青を入れることにした。日本では、刺青といえば犯罪者か下層階級が入れるものであり、地元住民は当然この行動に驚いた。

19世紀半ばごろから、欧州の若い貴族の間ではタトゥーが流行していたのだ。イギリス君主で最初に入れ墨を入れたのは、若かりし頃の「ヨーロッパおじさん」、後の国王エドワード7世である。

当時はまだ王位継承者の一人だった彼は、胸にエルサレム十字架のタトゥーを入れた。長男のアルバート・ビクター王子とジョージ(後のジョージ5世)とも父に倣って、当時は世界最高のタトゥー技術を持つことで有名だった日本を訪れ、刺青を入れたという。

1891年4月、有栖川宮熾仁親王(1835-1895)が京都で開催した公式行事の際、ニコライは主催者側に地元の刺青師を紹介してくれないかと要請した。翌日、長崎から2人の刺青師がロシア艦隊の旗艦に乗船した。そのうちの一人が、ツェサレヴィチの右前腕に、黄色い角、緑色の前足、赤い腹を持つ黒龍の像を彫った。作業は7時間に及び、ニコライはそれを耐え切った。

ニコライ2世が右腕に「ドラゴンタトゥー」を入れていたことをはっきりと示す写真は、他にも多数存在する。どうやら左腕にも、似たような刺青があったようだ。上の写真はリヴァディア宮殿で撮影されたものである。皇帝は娘たちや皇室ヨット「スタンダルト」の士官たちと一緒にテニスをするのが好きだった。上の画像も、テニスの合間にくつろいでいたニコライが、龍の刺青を見せてくれたところを写真に収めたのかもしれない。

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