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適度に、ほどほどに

何事も、「すぎ」ることには注意が必要です。

寝すぎは床ずれになるし、太りすぎは大病リスクが、働きすぎは他に大切にすべきものを犠牲にしている恐れがあります。

呑みすぎで急性アルコール中毒、食べ過ぎで後悔。ほどほどの飲酒や食事であればとても楽しい時間を過ごせるのに、「すぎ」てしまうとその時間の感想は全く逆のものになってしまいます。

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今回はSNSで流れていて目に留まった、KEIVIVOさんという方のブログ記事から。

ある本についての紹介記事です。

その本のタイトル、「技術で応えられるサッカー選手を育てる 中央学院高校の教えすぎない育成哲学」。

ここにも出ました、教え「すぎ」。

教えること自体が全く悪いわけでは無いです。ファーガソン、ビエルサ、ヴェンゲル、オシム、名将と呼ばれる監督のトレーニングメニューの豊富さは、目にしたことがある方も多いとは思いますが、それだけ教えてきていることの証でもあります。教えて伸びることは多いでしょうし、それが勝利に繋がっていたからこその名将なのだと思います。

オシムさんを例に挙げると、一度として同じ練習メニューは無かったといわれるくらいですが、そのメニューについて細かく説明することは無かったそうです。

メニューを上手くこなせるようになるために練習をするんじゃない、試合に勝つために練習をするんだ、といったところでしょうか。

とかく少し前の日本的教育では、過程が大事、努力が大事、その先に結果が付いてくるといった考えが主流ですから、「練習を上手くこなす」ことが重要だと思ってしまうところがあるのかも。でも、それでは目的がブレてしまっているのです。

本の帯に書いてあるこの言葉。

教えすぎると指導者の想像を超える選手にはならない。

現代人の想像力の低さが嘆かれて久しいですが、想像に当てはめようとするのも考えものです。オシムさんは練習メニューという、いわゆる"気づき"を与えるのみで、その先、どう解釈して血肉にしていくかというのは選手に委ねた、というように考えられます。

管理型の組織と自律自走型の組織。

マネジメントし易いのは文字通り前者ですが、総合的な組織力、予想以上の成果を手に入れる確率が高いのは後者だと思います。その分、マネジメント面で不安はありますが、それはメリデメの天秤、目的が明確であればあるほど、その不安は薄らいでいくでしょう。

管理型に傾くほど、教え「すぎ」の傾向は強くなる、そしてそれは日本的であるとも言えます。オシムさんはその逆で、実際にサッカーをプレーするのは選手なのだから、という哲学で指導にあたっていました。

中央学院高校の濵田寛之監督も、どちらかと言えばオシムさんよりと言えます。ただ、そこには、本のタイトルにもあるように確固たる「哲学」があってこそ、です。

自分で考え、自分で立って、自分で動くことがより求められていく時代。指導者に求められるのは教え「すぎ」ることではなく、濱田監督やオシムさんのような考え方、哲学なのではないか。KEIVIVOさんのブログ記事からそんなことを感じました。

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ここまでつらつらと偉そうに書いておきながら、紹介頂いている本は全く読んでおりません。

この本が出たのが2019年12月、その後の選手権予選では準決勝進出、と、哲学の成果が着実に実を結んでいるようにも見えます。

今年の選手権、まだ先だな、と思っていましたが、気づけば来月には予選が始まります。

中央学院高校の躍進が取り上げられる前に、一度、この本を読んでおこうと思います。それでは、また。


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