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たとえ世界が行き場所を見失っても

バラ色の日々 / THE YELLOW MONKEY

日本に限った話では無いですが、国の財政赤字がどんどん膨らんでいきますね。

covid-19の影響で、補償だ補填だ救済だ、と、当事者の困窮は想像するに余りあるのでそこを否定はできないのですが、しかし都合よく国に頼りすぎるのも怖いな、と考えてしまいます。国、つまり、国民全体で痛み分けをする、という流れの先に、社会主義や共産主義化が見えてきてしまうのは私だけでしょうか。

世界を見ると、日本もその中の一つですが、民主主義や資本主義の考え方を採用している国は多数派です。国、若しくは国家に財産等を管理されることの対極にある、この考え方。個々人が財産や働き方を自由に選べることがその特徴ですが、良い面もあれば悪い面ももちろんあります。その悪い面に直面した時(まさにいま)に、共産主義的な考え方を求めていくことが、長期的に見て自分たちの首を絞めることになってしまわないかな、という点を、個人的には恐ろしく感じています。短期的に見て「必要だ」という意見もわかるだけに、難しい問題ですが...。

さてさて。難しい話しをこれ以上展開すると、自分の無知さがバレてしまうので、今回はこの件に関連して読んだWeb記事についてコメントしていきたいと考えています。

↓読んだWeb記事はコチラ↓

冒頭でも触れたcovid-19については、1年近く経った今でも、何を信じたらいいかわからない状況が続いています。そんな中で、先頭に立って日々尽力いただいているのが"政府の分科会"の方々だと思います。政府はこの方々から出された「提言」を受けて、様々な対応をして下さっています。

個人的に、ちょっとイヤな気分になるのは、国会で分科会の方が議員から"追及"されているようなシーンを目にした時です。「どうしてこんな状況なのか」「どう対策をするべきなのか」と質問を受けていて、もちろんきちんと回答を述べて下さっているのですが、それがどうしても"攻撃"されているように見えてしまうのです。この方々が悪いわけではないのに何故...、とモヤモヤ。

上にある、トイビトさんの記事を読んで、このモヤモヤが少し晴れました。例えば、この2文。

目的は市民に正しくリスクを理解してもらうことであり、「こういうリスクがあるからこうしなさい」と、選択を強制することではありません。
情報を受け取った後の判断は本来各自がすべきなのです。この前提が市民の間で共有されていない現状に、リスクコミュニケーションの専門家はとても歯がゆい思いをしています。

恥ずかしながら、今回、初めて「リスクコミュニケーター」という言葉を耳にしましたが、この専門領域についてもっと理解が広まるといいな、と思いました。感じていたモヤモヤはまさに仰って頂いている通りで、前提が人によってバラバラであるために、やることにズレが生じてきているのです。

リスクという言葉の認識も、今回また新たになりましたが、

単に危険だというのではなく、その先には何かしらのメリットがある。それを踏まえた上でどちらを選ぶか、

都合の良い側面だけを切り取るのではなく、まずは両面から正しく理解する、しようとする姿勢が大切なのだと思います。

人生は選択の連続、とは、どこかの広告にありそうなコピーですが、でも、それはその通りです。何を信じたらいいかわからない状況では、何かを頼ったり、何かに委ねたくなったりします。でもそれは全て、まわりまわって自分に返ってくる。そうなのであれば、「全ての結果は自身の選択の結果である」ということを、心に留めておいた方がいいのかもしれません。

作者の言葉を借りて、本日のnoteは終えたいと思います。一日も早い収束を願って。

民主主義において、どう生きるかを決めるのは、なんといっても自分自身なのですから。

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