三味線とエレキギター
【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】
先日のレコーディングは三味線のダビングだった。たいていはシンセサイザーの音やサンプリング音で代用してしまうのだが、ゲーム音楽のCDだからこそ生音を使いたい、という僕の希望がかなえられ、生の和楽器のレコーディングが実現したのだ。
音楽の仕事をしているといっても、和楽器に接する機会はそう多くはない。とにかく最初から驚かされた。スタジオに現れた三味線奏者の女性は三味線を持っていなかったのだ。あれっ、と思って眺めているとブリーフケースくらいの大きさのバッグの中からお弁当箱のような三味線の共鳴部が現れた。なんと組み立て式だったのだ。棹(さお)の部分にいたっては三つに分かれていた。組み立て式の弦楽器というのはまず聞いたことがない。
三味線も近代化しているんだなあ、などと感心したが、組み立て式以外は相変わらずのようだ。弦は三本、絹製。棹の部分にはギターのようなフレットはない。音はといえば、あの通り、音程の定まらない(つまりノイズ成分が多い)ペンペンという軽い音である。
もともと洋楽用にはできていないから当たり前なのだが、半音進行を多用した西洋音階のメロディーは弾きづらそうだった。作りといい、音といい、かなり原始的な楽器という印象がした。
もともと三味線は大陸の学期で、沖縄を経て日本に伝わったといわれている。
沖縄に残る三味線の原形は三絃(さんしん)だ。三絃と三味線の違いはたくさんあるが、何よりも大きな違いは、三絃が沖縄でいまだにポピュラーな楽器であるのに比べ三味線はそうではないということだろう。
確かに日本中で三味線を習っている人の数はエレクトーン教室の生徒数より少ないに違いない。新宿の舗道や代々木公園で、三味線を弾いている若者は見当たらない。喫茶店やパチンコ店でも三味線の音色の入った音楽を聞くことはまずない。
どうしてそうなってしまったかは知らない。「江戸の音」(田中優子著、河出書房)という本を読むと、三味線の音が日本中に蔓延した時代もあったということだ。どうやら江戸時代には伽羅(きゃら)のにおいが立ち込める芝居小屋で人々は三味線の音色と踊りに夢中になったらしい。そのくだりを読むと、おっこれはロックコンサートだな、と思う。立ち込めるスモーク、カラフルな照明、派手な衣装。ダンス、そしてギンギンにゆがんだギターの音。
そうか、三味線は昔のエレキギターだったのか。そう言えば、あのテケテケテケもフィードバック奏法も旋律ではない。和楽器で言う「サワリ」つまりノイズである。しかも外国から入ってきて、それまでの雅楽の上品な楽器たちと違った画期的な音色だったというではないか。「タコと三味線は血を狂わす」と言った人もいる。あるいは三味線の音は淫声(いんせい)であると。そういう二十数年前はエレキギターは不良の楽器として禁止した学校が多かったっけ。旋律というよりあのリズミックでノイジーな音色そのものに興奮させられたというのも一緒だ。
三味線はプログレッシブな楽器だった、そう思うと音色も新鮮に聞こえる気がする。しかし、エレキギターの将来はどうなる?
関口コメント:
「新桃太郎伝説」というTVゲームのサントラアルバムを製作していた頃だったと思う。「好きなように作っていいよ」という原作者さくまあきらさんのお言葉に甘えて、ゲーム収録の音源だけでなく、新録音で生の和楽器をふんだんに使った新録音を加えた豪華なアルバムが仕上がった。和風なゲームミュージック自体が珍しかった時代で、我ながらいい曲をたくさん書けたと思っている。
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