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BORN TO BE WILD

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】

 1枚の写真がある。
 木もれ陽のかかる田舎道をバックに、3歳の男の子と4歳の女の子が並んでいる。半ズボン姿で色白な男の子は、所在なそうにしゃがんでいる。その後ろに立っている女の子は、水玉模様のワンピース姿。男の子の貧弱な身体に比べると、明らかに骨太。なによりも、まんべんなく日焼けしたその顔が、黒光りしているのが印象的だ。
 なんの説明もなければ、誰も2人が姉弟だと気づきはしないだろう。そう思われるほど、2人の類似点はなかった。姉弟だとしたら裏表と言ったほうがいいのかもしれない。2人は外見だけでなく中身も違っていた。

 姉が生まれた時、鼻の低い、やんちゃな猿のような赤ちゃんだと、親戚中で評判になった。ミルクが嫌いで、すぐ大人と同じものを食べたがる。泣き声がデカくて、よく動きまわる子供だった。フスマに穴をあけたり、花ビンを倒して壊したりしては、叱られていた。
 弟は人見知りで、おとなしく、いつも姉の後ろにくっついている、そんな子供だった。X脚なのは骨が弱いせいだ、と親は、彼にカルシウムの錠剤を飲ませることにした。ところが人目を盗んで、ほのかに甘い味のカルシウムをポリポリとかじっていたのは、他ならぬ姉のほうだった。

 3歳と4歳の姉弟は、少し離れた保育園にバスで通っていた。ある日、帰りのバスの中で弟が眠ってしまったまま、目をさまさなかった。姉は何度か起こそうと試みたが、もう降りるべきバス停がせまっていた。そこで、彼女はどうしたかというと、眠りこけている弟をシートに置き去りにして、ひとりでバスを降りてしまったのだ。その頃のバスはベンチシートだったから、運転手も車掌さんも、シートの陰の小さな子供に気づかなかった。弟が目をさましたのは町から遠く離れた路線バスの車庫。日はすっかり暮れていた。目ざめた時の弟の衝撃は想像にかたくない。

 2人が小学生の時、姉は、弟の友だち皆から「オニババ」と呼ばれ、怖れられていた。なにしろ、弟の友達が家に遊びに来るたび、彼女はホウキを持って追いまわしていたのだ。「オニババ」なんて言われようものなら、それこそ鬼のような形相でホウキを振り上げた。ついには「お前んちのネエちゃん、怖いから、もう遊びに行かない」と言い出す級友まであらわれた。

 母親はよく2人に言ったものだった。男まさりの姉と引っ込み思案の弟。2人の性格が逆だったらよかったのに、と。しかし、姉の乱暴さと身勝手さは、当時の弟にとって、嫌悪の対象でしかなかっただろう。

 そして今、すでに30を過ぎてしまった弟の僕は思う。もし、嫌悪するがゆえに、僕がそういうものを身につけずにきたとしたら……。つまり、姉の生活はこうだ。突然だーっと泣き出して、翌日にはケロリとしている。登山やスキー、テニス、とにかく身体を動かすのが好きで、ガハハと思い切り笑って毎日過ごす。

 もしかしたら、そんなダイナミズムこそが僕にもっとも足りなかったものではいか、と我ながら思う。ワイルドに生まれなかったことを嘆くつもりはない。それも自分が選びとってきた道だと思うからだ。ただ、ここまで来て、姉のような生き方をフェアに見れるようになった、というのは、自分がこれから先、それを選んだってかまわない、ということである。
 うむ、ワイルドで行ってみるのも悪くないかも。

BORN TO BE WILD
 1968年、5人組のステッペンウルフのデビュー・ヒット・シングル。後に映画「イージー・ライダー」のテーマ曲に使われ、話題を呼んだ。

関口コメント:
結局のところ、ワイルド路線に舵を切ることもなく、マイルドなまま現在に至っているのは、みなさんご存知の通りである。姉貴とは今でも普通に仲良しであることもお伝えしたい。

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