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また会いましょう、桜の木の下で

【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】

 東京ではちょうど桜が見ごろだ。家の近くにある自衛隊の駐屯地には見事な桜並木があって、この時期の週末になると、敷地を一般開放する。正面の門から裏門まで、幅六ー七メートルの道の両側にいい枝ぶりの桜の木が並んでいる。近隣の町内会や会社などがこぞって花見にくり出し、出店が立つわ、ブラスバンドは出るわで、かなりのにぎわいになる。

 ふだんは鉄格子の門が閉ざされていて、警備も物々しい。その同じ所で、いきなりああいったドンチャン騒ぎをする。考えてみれば変だ。一面ピンクの飾り付けのせいもあるが、とても同じ場所とは思えない変わりようだ。”花見”は日本公認の無礼講なのだろう。なにしろ、おてんとさまの下で公然と酔っぱらっちゃうのだから。大声で歌ったり、芝生でもハイキング場でもないところに新聞紙をしいて寝転がったりするのだから。

 花が人間に及ぼす心理的効果や、お花見の歴史的文化的考証をうんぬんとするつもりはない。しかし、桜が咲いている、わずか二週間くらいの間の浮き立った気分は不思議といえば不思議だ。家にじっとしていられず、僕はこのところ毎年、最低四ヶ所は都心の桜並木を見て回っている。今年も、その自衛隊の桜には三日通った。

 花見の人出でにぎわう中、犬と一緒に縁石に腰を下ろして、ばかみたいに桜を見上げていたら、いつのまにか初老の紳士が犬をなでていた。よその犬を見つけて落ち着かないわが愛犬に向かって「そうか、おまえは寂しいんだね、きっと」などと話かけている。

 10年前までここで働いていたというから、職員だったのか、それとも自衛隊の士官か何かだったのだろう。「今はどちらにいらっしゃるんですか」と僕が尋ねると、「いやあ、退職したんですよ、定年で」と笑った。白髪だが、体つきもしっかりしているし、身なりもこざっぱりとしていて、年齢よりはずいぶん若く見えた。

 それ以上のことは聞かなかったが、おそらく退職してからも毎年この日になると、彼はここへやってきて、桜を眺めて歩いたのだろう、働いていたときと同じように。昔なじみには挨拶にも回ったりするに違いない。たぶん年月がたつたびに、知っている顔も少なくなっていくのだろう。しかし、それでも彼にとって、その日は格別の日であることに間違いはなかった。酒も入ってなさそうなのに、その顔は満開の桜のごとくほころびっぱなしだったからだ。

 彼は別れ際に手を差し出し、にこやかに僕を見た。「来年もまた会いましょうね。来年もまたここで会いましょうね」彼はそう言ったのだ。「はあ、はい」と僕はいくぶんあっけにとられたまま、その手を握った。

 その人と僕とはおそらく生活だけでなく時間の流れ方そのものが違うはずである。全く異質の一年を過ごすに違いない。また会いましょうね、という言葉を思い出しながら、僕は妙な気分になった。

 勝手な僕の思い込みだが「感動や共感の広場でのみ、人は出会うことができる」そんな風に彼が言ったような気がしたのだ。

「きれいですね」桜の下ですれちがう人たちは、きっと無言で挨拶を交わしている。


関口コメント:
自衛隊中央病院のお花見が中止になったのは、あれから僕が覚えている限り2度だけ。一度はオウム事件の後、そして昨年2020年のコロナ禍である。

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