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SILENCE IS GOLDEN

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】

 おとなしい。口数が少ない。寡黙。口が重い。静か。口下手。寡言。温厚。ーーこれだけいろんな表現があるのに、僕に向かって投げられるのはいつも「ムクチなんですね」のひと言。
 このムクチという言葉自体、ずいぶんホラー的で乱暴な言葉だとかねてから思っていたが、こんな言葉でひとくくりにされた日には、おとないい人も口数が少ない人も寡黙な人も怒り出すゾ!ーーなんてことはないだろうが、要するにいろんな種類のムクチが存在するはずだと僕は言いたいのだ。

 たとえば「うまくしゃべれない人」と「しゃべらない人」、この2つを混同してはいけない。「うまくしゃべれない人」というのは、他人の会話のテンポについていけなかったり、自己主張ということに不得手だったりする人のことだ。何人かで会話している際に、どうも口をはさめない。よし、言おう、と決意した時には、すでに話題が変わっていたりする。つまりこれは、ナワトビの時に、グルグルまわるナワの前でどうしても立ちすくんでしまう子どもの状態に似ている。もちろん僕もこういう事がよくある。とにかくペースが違うのだ。丸一日、一緒に歩いたりしたら、この人たちとも仲よくなれるだろうになあ、とため息をつきたい気分になる。

 さて、「しゃべらない人」というのは、簡単に言えば聞き上手な人のことだ。とことん人の話を聞いてみたい、という砂漠直送のスポンジのごとき吸収力をもっている人でもある。 
 僕は「うまくしゃべれない人」であるにもかかわらず、時々「しゃべらない人」なのだと誤解されてこともある。 

 他にも、何をしゃべっていいのかわからない、という時、僕はムクチになる。警戒心や自意識の強さのせいなのだが、これは時間が解決してくれる問題なのだろう。それでもなお、しゃべることが見つからない場合は、相性の問題だ。お互いのためにもう会わない方がいい、と僕は思うことにする。とにかく、いずれにしろムクチに悪いヤツはいないと結論づけたいわけだが。

 世の中には、逆に沈黙が怖くてたまらないという人もいるらしい。会話が止まるのが怖くてしゃべり続けてしまう人だ。僕の知る限り、そういう人たちも愛すべき人たちだ。ムクチと出会った時には、彼らの方がずいぶん迷惑をこうむってしまうのだ。

「昔に比べたら、ずいぶんしゃべるようになったね」と先日、人に言われた。やはり、今までずいぶん迷惑をかけてきたんだなあ、とあらためて思う。しかし、自分ではけっして話し上手になったつもりはない。相変わらず、ムクチですね、と初対面の人に言われたりする。なにが変わったのか、自分なりに考えてみた。

 どうしても話したい事。つまらない事だけど同意が欲しい。相手が喜ぶに違いない事。あるいはひとりで持ちきれない感動。そういった、伝えたい事、そして伝えたい人、が少しずつ増えてきただけなのじゃないかと思う。そして気まずい沈黙だけでなく、輝くような沈黙もあるということを少し理解してきたせいだ。

 自分の言いたい事を、うまく自分なりの言葉で表現できた、と思ったとき。そして、それが相手に確かに受け取られた、と感じるとき。たとえば、水位の違う2つの水槽がそこにあって、その間にバイブの水路を作る。片方から水がゆっくりと移動し、もう一つの水槽の水を揺らしながら、少しずつ水位がそろえられる。やがてそれが水平になり、静まり返る水面、そんな状態だ。そういう時に訪れる沈黙には輝きがある、と僕は思う。

SILENCE IS GOLDEN
1967年、トレメローズの全英ナンバーワン・ヒット。トレメローズは知らなくてもこの曲のタイトルとメロディを知らないポップス・ファンはいないというほどの名曲。


関口コメント:
無口を標榜する僕だったが、自身のラジオ番組をいくつか持たせてもらったり、年長になったせいで最近ではパーティーやイベントで挨拶を頼まれることも多くなった。たまに喋りが上手いですよね、なんてことも言われたりするが、義務感や使命感がないと喋らないのは相変わらずである。

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