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ある女の子についての架空の物語。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】

「出会いたい人」というリストを僕は持っている。いろんなジャンルの中で、一度話してみたい、と僕が興味を持っている人たちの名前を手帳にまとめてあるのだ。

 彼女もそのリストの中のひとりだった。

 幸いにも”出会えた”その女の子のことを僕はこれから書こうと思う。といっても、僕が彼女について確実に知っているのは、空を見ることと旅をすることが大好きだ、ということくらいだ。生いたちや経歴といった、誰でも調べればわかること以外の事柄、つまり、もっと彼女の内面的な事実というものを僕が格別知っているとは思わない。だから、これから書くことは僕の想像にすぎない。架空の女の子の物語、と思ってもらってもいい。

 彼女は、大きな庭のある家で、兄弟に囲まれて幸福に育った。幸せだったと思い返せるくらいの幸福なのだと僕は推測する。

 詩や絵を書くことは好きだったが、それがどういうことなのか、自分の意識の中に正しくとらえることはできなかった。埼玉の大学を出てからも、とりわけしたいことが見つからず、九州の実家に舞い戻った。

 やがて、彼女は趣味で野菜を育て始める。小さなトマトやレタスなどだ。友だちのやっているスーパーに卸したりもした。彼女は自分の野菜に愛情を注いだ。植物が成長する不思議さといとしさを彼女はしっかり受けとめた。そして、彼らが目ざす方向を彼女は見たのだ。

 さらに、野菜を育てることとと、詩や絵を書くこと、これらに相通づるものがあり、同じような不思議さといとしさがあることに気がついたのだ。

 彼女は、音楽のための詩を書き始めた。200ほどその詩がたまった時、彼女はそれを東京のレコード会社宛に送った。それが最良の方法かどうかは判断がつかない。しかし、少なくとも彼女がそのたくさんの詩の中に願いをこめたことは確かだった。

 それが、あるプロデューサーの目にとまり、彼女は東京に呼び出された。いきなり大物シンガーの作詞家としてデビューし、以来、彼女は売れっ子作詞家として知られるようになった。

 しかし、作詞という仕事はそれ自体で完成されるものではない。曲とアレンジで、そして歌い手がいて初めてひとつの作品になるのだ。

 そんなことを考えるようになった頃、彼女は本を作ろうと思った。詩と絵をまとめた本だ。彼女は1個分のサンプルを作り、出版社に持ち込んだ。それが最良の方法かどうかわからなかった。つまり、断られたら最良の方法じゃなかったと思うかもしれない、ということだ。しかし、彼女は自分のやり方に願いをこめただけなのだ。彼女の最初の本はそうやってできた。

 写真と詩を一緒にした文庫サイズのシリーズを彼女が出版できるようになったのも同じように彼女自身が企画、提案したからだ。僕が彼女に出会ったのは、ちょうどその文庫の一冊め、つまり、彼女にとっては4冊めの本が出たばかりの頃だった。

 僕が「”出会いたい人”のリスト」の話をすると、彼女は「おかしいね」と言って笑った。しかし、そう言う彼女も”やりたいこと”のリストをいつも心の中に持っているのだ、と僕は思う。

 毎日、月の写真を撮っていることや、気に入っている映画の話などを、僕は会うたびや電話するたびに少しずつ彼女から聞いた。端で聞いたとしたら、とても間延びしたテンポだったに違いないが、僕は不思議に心地よかった。

 それは何かというと、頼りなさそうな彼女の話し方とは裏腹のいさぎよさ、そして、肩ひじを張らない、自然体の勇気といったものを感じたからなのかもしれない。

 すべてが流れていく毎日の中で、つかみたいものをのがさずつかみとる人間というのは、そういう透徹した勇気を持った人なのだと僕はその時思った。

 ある時、僕がこんなレコードを作ったらどうだろうという話をしたことがあった。彼女は少し考えてから、きっぱりこう言った。

「私は、私が聞きたいな、って思うレコードを作りたいの」

 僕はそのきわめて聡明な答えをうれしく思うとともに、ドキリとした自分を恥ずかしく思った。そして、彼女はもう詞だけの提供はしたくないと言った。自分のイメージに合った歌い手を探して、全部自分で作詞作曲したアルバムを作りたいのだと話してくれた。僕は、彼女の話す声がそのまま歌になったような透明でゆったりと心地よい音を想像した。

 以来、彼女とは会っていない。たまに電話でその声を聞いたりはするが……。存在するだけで誰かに勇気を与えてくれる人間。僕は何人か、そういう人を知っているが、彼女は確実にそのひとりだ。そして、願わくば僕自身も誰かにとってそういう存在でありたい、と常に思う。

 かくして、今、僕の手には『バランス』というタイトルのCDがある。とても透きとおった銀色夏生の詩の世界が浮あがり、悲しみやよろこびが、大きなひとつのものであったことを思い起こさせてくれる。

 僕は、またひとつの勇気をもらった。


関口コメント:
銀色夏生さんと実際に会うまで、僕はてっきりあれらの詞を書いているのは男性だと思っていた。時にフェミニンな装いで現れる彼女の素顔が、実はとっても少年っぽいっと知った時に、彼女の世界にハマってしまっている自分に気がついた。
彼女を僕に紹介してくれたプロデューサーのK氏は彼女を発掘した人でもあるが、
上京したばかりの彼女を連れて、当時渋谷西武の詩集ばかりを並べていた書店に立ち寄った時のエピソードを僕に語ってくれた。そのとき、「私の本もここに並ぶのね」と彼女は呟いたのだという。当時は作詞家として駆けだしにすらなっていない女の子がなんてことを言うんだとその時K氏は驚いたそうだが、実際数年後にはその書店に彼女の書いた詩集やエッセイの本が並んだのである。

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