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楽しく、やがて悲しき『KALI』の音楽。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】

  時々、小学校の校庭を思い出すことがある。僕が通っていたのは、田舎の小学校だったから、別に広い校庭のまわりに塀もなく、誰でも自由に出入りすることができた。放課後や日曜日、そこには雨が降らない限り、必ず何組かの子どもたちが遊んでいたものだった。

 二百メートル走のできるトラックの内側と外側のスペースには、芝ともいいがたい背の低い雑草がびっしりはえていた。いったん、そこで遊ぼうものなら、白いズック靴には必ず緑色の草のシミがついてしまうのだった。

 僕らの間で”ガエロッパ”と呼ばれていた「オオバコ」の茎同士で引っ張りっこをすれば、ちぎれて負けた方が、勢いあまって後ろに倒れたりした。また、気持ち悪くなるまで走り回って、草の上に寝ころべば、深い息とともに、土や草の匂いが鼻孔の奥まで入りこんできた。

 身体が、本当に軽かった時代でもある。

 良質の音楽は身体を軽くする、と僕は常々思っているが「KALI」のアルバムを聴いた時は、まさしく”身軽な”子どもたちが駆け回って遊んでいる光景が、真っ先に浮かんできてしまった。

 それは、あくまでも軽やかで、楽しく無邪気な姿だ。聴いている自分がいつのまにか子どもたちに重なり、踊りだしたくなってくる。

 その衝動はエキセントリックなバスドラのビートによる強制されたもの、とはあきらかに違う。音楽そのものに応えるような、内側からの衝動だった。

 しかし、不思議なことに、そんな楽しく心地よい音の中にそこはかとない悲しさみたいなものを感じてしまうことも確かだ。説明しにくい悲しみである。

 それは、ちょうど僕が小学校の校庭を思い出す時の、懐かしいような、そしてもどかしいような気持ちにとても近いような気がする。

 「KALI」のジャケットのセピア色の写真は、KALI自身の住むマルチニーク島のものである。実は「マルチニークの少年」という映画のスチールであることを後で知った。

 「マルチニークの少年」は、’30年代のマルチニーク島を舞台に、被支配者階級に生まれた黒人の少年を主人公にして作られた映画だ。

 ほのぼのとした物語の中に、差別と抑圧という深刻なテーマだけでなく、ゆるやかな老い、あっけないほどあっさりとした死、そして生きていることの輝きと希望といったさまざまな、そして人間にとって根源的なテーマが、隠されている映画だったように思う。

 その映画の光景、つまり’30年代のマルチニーク島をジャケットに使ったことでも推測できそうだが、アルバムの音楽(なかみ)は伝統的な曲で構成されている。

 ちなみに、現在この辺のカリブの島々では「ズーク」と呼ばれる音楽が流行っている。それは、エレクトロニクスを駆使したトロピカルサウンドで、世界的な人気させ得ようとしている勢いである。それに対して「KALI」がやろうとしていることは、まったく正反対で、生楽器を使った「ビギン」を始めとする伝統的な音楽を取り上げている。いわば、時代遅れで流行はずれなことをやってのけたわけだ。

 あらためていうまでもないが、それが人びとに受け入れられたのは、音楽(おと)そのものに力があったからに他ならない。つまり、それは懐古趣味ではなく、もともとそういった伝統的な音楽の持っていた素晴らしいものを新たに作り出すことができたからだということだ。

 「発散」と「解放」。このふたつは似ているようだが、本質的にはまったく違うものだと思う。

 たとえば、ズークのようなビートのきつい音楽が「発散」だとすると、「KALI」が伝統的な音楽の中に(結果的に)表現したものは、「解放」なのではないかという気が僕にはするのだ。

 何からの解放なのだろうか。「歴史の重み」か。「老いと死」か。それとも動かし難い「現実の重み」からなのか。いろいろな見方はできる。しかし、どんなに楽しげな音も、もしかしたらそれは「解き放たれたい魂の叫び」であるともかんがえられないだろうか。最後の曲「ラシーヌ」は、そんな格別の意味を持つ美しい曲だ。

 人間は、大部分の種類の音楽から、「解放」を身体で学んでいるのだと僕は感じる。そして、考えてみるのだ。いったい何から解き放たれれば、子どものように身が軽くなるのだろう。

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