役にたたないもの
【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】
最近マッキントッシュというコンピューターを手に入れた。奮発してCDロム付きである。これでいろんなゲームソフトやその気になれば話題のエッチソフトも楽しめるわけだが、今僕が一番欲しいのは、そういったゲームソフトではない。百科事典のソフトなのである。
前から百科事典が欲しくてたまらなかったのだが、決心がつかずにいた。本になっているものを買うとしたら、二十巻以上あるはずだ。あの分厚くて重い本が二十冊分、と考えると象が引っ越してくるくらいの覚悟が必要だろう。気が重くなる。
それがなんとCD一枚に収まっているというではないか。フリスピーよりも軽い、あの吹けば飛ぶようなCDの中にシュタイナーの功績やらOAECの理念やら前方後円墳の図解やらが入っているわけだ。まったくデジタルというか、コンピューターはすごい。それに比べて、と思う。僕の頭の中にはいったい何が詰まっているのだろう。
部屋の書棚を眺めると本がひしめきあっている。小説や、歴史、映画や音楽の本などが並んでいる。全部一度は目を通しているはずだが、情けないことに1ページとして完璧に記憶しているページはない。(全部頭の中に入っているとしたら、この書棚は不要となるはずなのだが)
今、僕の頭の中に入っているものといったら、簡単な料理ものレシピ。仕事場への道順。ビデオの予約の仕方。楽器店の電話番号。好きな曲のコード進行。友人の誕生日。明日の予定。えーっと、それから……。うーん。
本当にこんなものなのだろうか。この試みはおもしろいが、自己崩壊しそうになる。自分の頭脳の作りに不安を抱かずにいられない。記憶の総量だけではない。自分の頭の中をのぞけたとしたら、おそらくその乱雑さと不鮮明さにあきれてしまうに違いない。
頭のいい人、あるいは知識の豊富な人というのはコンピューターのように、きちんとした入力システムがあってデータが整然とプログラムされている人をいうのかもしれないなあ。しかし、待てよ。考えてみれば、コンピューターと張り合う必要なんてあるのだろうか。むしろ、それらの仕事をコンピューターが代わりにやってくれることによって、人間の頭はもっと違うことに使われてゆく可能性だってあるのじゃないか。それがどんな分野なのかははっきりと言えない。しかし、思考パターンを含めて、今まで役に立つと思われていた知識や情報がどこでもだれにでも手に入るようになったとしたら…。少なくともそれらの価値は変わってくるだろう。ひいては人の個性って何だろうってことにもなる。
確かにコンピューターはたくさんの情報を処理し、頭の中を機能的に整理してくれさえする。しかし、その便利さを享受すればするほど、なんだ知識ってこんなものか、便利さってこんなものかって気がしてくるから不思議だ。人間はそれ以外のところに存在しているという確信が増してくる。さて、なるべく役に立たないことを思って始めたこの連載もついに最終回。マッキントッシュなら真っ先にゴミ箱行きのファイルに違いありません。しかし、あえていえば、僕はそういう情報や知識以外のすきまにこそ無限を感じます。
関口コメント:
今やクラウドの時代も超えてビッグデータやAIの時代、ネット上の情報も溢れかえり、百科事典のCDロムが欲しいなんて思ってた頃とは隔世の感がある。しかし、それはただの情報なのだという僕の基本的な考えは今でも変わっていないと思う。
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