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僕の肩の上の横綱

【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】

 仕事で地方のホテルに泊まったときには、寝る前にホテルのマッサージサービスを頼む事がよくある。ジジくさい、と言われるかもしれないが、おふろに入った後で、体を揉みほぐしてもらって、そのままうとうと寝入ってしまう、これほどの気持ちよさは見つからない。僕の場合、書く仕事が増えてからは肩凝りがひどい。もはやこの先、温泉とマッサージのない人生は考えられない。

 さて、先日仙台に出張した。地元の放送局の人たちが設けてくれた宴会も早々に引き上げ、ホテルに戻ると早速マッサージサービスを頼んだ。チェックイン時ちゃんとサービスの終了時間を確認し、それに間に合うようにホテルに戻ったのだ。ぬかりはない。

 部屋に来てくれたのは、五十歳くらいの男性のマッサージ師だった。なんとなくうまそうな人だった。マッサージ師にも当たりはずれはある。はずれだと、ただ痛いだけだったり、翌日の揉み返しでひどい目にあったりするからだ。

 さいわいなことに、その人は見掛け通りの腕前、つまり大当たりだったわけだが、いかんせん僕のほうもゲーム音楽作りの疲れがたまっていて、肩も首もガチゴチゴリゴリの状態だった。少し触っただけでも痛い。「うーん」と思わず声が出る。

「お客さん、こりゃすごいですわ」と マッサージ師はまるで感心したように言った。

「いやあ、こんだけ凝ってる人も珍しい」。気持ちいいやら痛いやらでほとんど昇天状態の僕が「そんなにすごいですか」と聞き返すと、彼はなんと、こう言ったのだ。

「相撲でいったら、横綱ですな」

 これには笑った。正確にいうと、痛さと気持ちよさのうえにおかしかったわけだから、見た目にはケイレンの度合いが少々増加したくらいにしか映らなかったかもしれないが。

 なにしろ、相撲でいったら、である。ものごとを大胆にも「相撲」で換算したわけだ。

 うーむ、僕の肩凝りは曙太郎か、そりゃ確かにすごいぞと思う。そんなものが肩に乗っているのだから、並大抵じゃないという気がする。はっきりいってその時の僕はうれしかった。そこまで言い切ってくれたことに対して、である。さらに横綱という響きに、なんとなく褒められたような気がしてしまったのかもしれない。

 相撲以外の尺度はあるだろうか。「野球でいったら、巨人だな」「えっ、そんなもんか」これは使えない。「政治でいったら総理大臣だな」総理大臣はそんなに偉いかというと疑問だ。影にいるやつのほうが実力があったりするからな。山でいったらエベレスト、動物でいったらライオン、ダメだな。まったく尺度のない時代になったものだ。

 というよりも世の中の絶対的価値観や権威というものがなくなっているのだろうか。だとすれば決して悪い事ではない。不便だと思うとしたら「ねぇ、私の事どのくらい愛してる?」とたわけた質問をされた時くらいではないだろうか。しかし、解決策はすでに見つかった。ぜひ相撲で換算してみてほしい。

 ちなみにマッサージのかいあってか、今の僕の肩凝りは前頭三、四枚目くらい。琴別府あたりかな。

関口コメント:これほど時代を感じる文章もなかなかないかもしれません。白鵬は一時代を築いたけれど、今は絶対的な横綱は見当たりません。何よりも僕の肩はすでにマッサージでどうにかなるような段階でもなくなり、ストレッチやらいろんなことをやってどうにかバランスを取っている状態。尺度は自分の中にのみ存在する、そういう時代に突入しているような気がします。

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