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午睡のための極上の音楽。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】

 なんだか知らないが近頃やたらと眠い。

 最近は、家で仕事をしていることが多くて、それも夜中にやるものだから、眠りにつくのはたいてい明け方になる。

 それでも、昼の12時にそこそこ元気に起き出して、食事をとるという生活をしている。ところが、夕方の5時くらいになると、突然スーッと魂が抜けたみたいになって、また眠ってしまうのだ。

  30分ほどウトウトした後で目をさますと、たいていスッキリとして充実感も戻っている。しかし、時にはそのまま1時間、2時間と寝入ってしまって、目ざめた時には世の中が真っ暗、ということもある。

 そうなると、ほとんど陽に当たらぬまま1日を終えてしまったという後悔の念にもおそわれる。そんな時は、どうするかといえば「まあ、眠かったんだからしょうがないじゃないか」と開き直るのみである。

 もともと眠るのは嫌いではない。どちらかといえば、楽しみにしているふりもある。最高にぜいたくな娯楽は「午睡ひるね」だと心から思ってもいる。

 さて、その「午睡ひるね」について書こうと思うのだが、午睡といってもいろいろなシチュエーションがある。別に研究しているわけでもないが、たとえばランク付けするとしたら、屋根にほしたフトンの上で寝る、というのが極上の部類になったりするのかも、と思うわけである。

 木陰に吊したハンモックの上というのも、相当に気持ち良さそうだ。ベランダに折りたたみのサマーベッドを広げるだけでもいい。また、ウォーターベッドや、はてはフローティングカプセル(人体と同じ比重の液体の中に浮いて胎内的な感覚を味わうリラクゼーション用機器)などという道具まで持ち出せば、そのバリエーションには際限がなくなるだろう。

 しかし、過度の演出抜きに、日常の中で違和感なくすんなりと眠ること、これが実は午睡の醍醐味だと僕は勝手に思っている。

 つまり、僕の午睡はこうである。窓をあけ放して、わずかでも風の動く部屋の中(できればタタミの部屋が良い)に、タオルケットや軽い夏がけ、または手近にあるものならシーツでもジャケットでもなんでもいいのだが、とにかくお腹が冷えぬようにかける。後は、ついに今の今まで起きていたのに、という感覚で眠るだけである。

 あえて、演出があるとしたら、それは「音楽」だろう。心地良い音楽を聴きながら、午睡できるのは至上の幸福といってはばかることはない。

 では、どういった音楽が午睡に適しているのか。もちろん、個人差はあるだろうが、僕は女性ボーカルが向いていると思う。しかも、眠っている間にも世界は平和でよどみなく流れているよ、といった感じの音楽、つまり、絶対に悪い夢なんか見そうにない音楽がいいに決まっている。

 最近では、小野リサの「ナナン」だ。ボサノバというのは本当に風のささやきみたいな音楽で、午睡にはピッタリだと思う。

 小野リサ本人が何かのインタビューで、みずからの音を午睡しながら気持ち良く聴ける音楽と言っていたのを思い出した。それは「空気や風と一体になりやすい、とても自然な音楽」というふうにも感じられる。

 人間のエネルギーが高まるのは朝の2時から4時の間で、逆に低くなる昼間の2時から4時だ、という説がある。「シエスタ」という午睡の習慣を持っている国々があるのは、何も暑さのせいばかりではなく、そういった理由があるのかもしれない。

 そもそも、大昔の哺乳類は夜行性で、昼間は木の上でじっとしていて、ハ虫類などの敵が出歩かない夜になると木から降りて活動していたというから、うなずける話だ。

 日本に「シエスタ」の習慣はない。それどころか、昼食時間もたいていの会社は、1時間くらいしかとれない。仕事によっては30分でかき込め、という職場だってある。

 昼食を2時間かけて談笑しながら楽しみ、さらにその後2時間午睡する。そんなことをみんなが始めたら、今の日本の経済は崩壊してしまうかもしれない。

 しかし、少なくとも「あくせく働くのが習慣」と思い込んでいる国では、ボサノバのような心地良い音楽は、生まれないだろうな、と素直に思う。

 そういえば、憲法や人権宣言では人間のいろいろな自由が謳われているが、「眠くなったら眠っていい自由」ってのは果たして保護されていたっけなあ。残念だが、憶えがない。 

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