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I WANNA BE FREE

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】

「英語塾に行きたい」と自分から言い出したのは、たしか小学校5年生の時だったと思う。たいした意味はなかった。あのクネクネした字で自分の名前が書けたらカッコイイな、と思っただけだ。さらに、その決心と同時に本屋で和英辞典を買った。これはけっこう遊べた。「ゾウはエレファントっていうんだぜ」とか「ヒポポタマスってなんだか知ってるか」などと面白がっていたのだが、それもそのうちもの足りなくなった。
 で、なにを始めたかというと、訳詞なのだ。つまり、英語の曲の詞を日本語にする、というわけだ。

 最初に訳した記念すべき曲は、当時テレビショーなどもあって大人気だったモンキーズの曲だった。「自由になりたい」というタイトルのきれいなバラードで、歌も聴きとりやすかったし、なによりも難しい単語がないのがよかった。
 しかし、もちろんその頃の英語力では、全部の単語を辞書で引かなければならなかった。それは新しい発見の連続だった。たとえば、WANNAというのは、WANT TOを縮めたものだとか、学校でも教えてくれないことをそこで知った。そして、単語の連なりから、意味のあることを浮き出させるという、まるでひとつずつ謎を解いていくような作業に僕は熱中した。

 その歌に出てくる自由な世界は、青い海、暖かい風、笑い声といったまさに楽園のようなところだった。それは子ども心にもウットリするような光景でもあった。
 そんななかで1個だけひっかかる言葉があった。"tie me down"というフレーズだった。「もしも、君の愛がボクを縛るというなら……さよならだね」。リード・ボーカルのデイビー・ジョーンズはこの上もなく甘い声でそう唄っていた。「ボクを縛る」これはなにを意味するのだろう、と子どもの僕は思った(もちろんSMの事など考えるわけがない)。「愛すること」と「束縛すること」、この2つの相互関係が、あたりまえのことながら理解できなかったのだ。
「束縛」という言葉から当時の僕が考えつくこと、といったらこんなことだった。「どんなに楽しくっても、夕方には帰らなければいけない」とか「ひとりっきりで遠くへ行っちゃいけない」など……。今の子どもだったら、さしずめ「塾」とか「宿題」なんてことまで思うのかもしれない。つまり、それは図式にすれば、束縛=しなければいけないこと、愛=親の心配、ということになるのだろうか。どっちみち当時は身につまされるような問題ではなかった(18歳くらいでそれは爆発しちゃったけど)。

 恋愛関係や結婚生活で、束縛のことを考える機会はたくさんある。少なくとも僕はずいぶん身につまされて考えたんじゃないだろうか。
 でも、やっぱり愛情のなかに束縛はいらない、と相変わらず思う。お互い対等なら、相手も自分も自由になりたいはずなのだから。「会社が自分を縛っているのだから、お前も家庭に縛られろ!」という理論は一見対等そうだが、根本的に間違っている。つまり、オレは苦労してるんだからお前も苦労しろ、と言っているわけだ。お互い苦労なんかしたくない、というのが本音のはずなのに。それを考えると、自分を縛っているのはじつは自分自身なのだということに気づいてしまう。おそらく昔からの固定観念や世間の常識というヤツに身体じゅうがんじがらめになっているのだろう。「自由」と「束縛」はいつも追いかけっこをしていて、夢や想像力が枯れると、いつのまにか身動きがとれなくなって、地面に這いつくばり、となりの人の足をもつかんでしまったりするのだ。

I WANNA BE FREE
1966年「モンキーズのテーマ」のB面に収められていた曲。モンキーズの「イエスタデイ」だ、という評もあったほどの美しい曲。

関口コメント:
英語への興味のおかげで青山学院大学にかろうじて入学した。どこかでも書いた気がするが、そんな大学の存在さえ知らなかった高校時代「ビートルズ訳詞研究会」というサークルが青学にあるという話をラジオで知ったのが、青学受験につながる。人生って面白い。

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