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DANCE WITH ME

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】

 「踊り子になりたかったの」
 ここ数年の間、女の子から聞いた台詞の中で最も気に入っているひとつがこれだ。台詞の当人は楽器店で働く、見る限り普通の女性である。
「クラシック・バレエでもジプシーダンスでも何でもよかったんだけど……踊り子ってのに憧れてたのよね」
 と彼女は言う。「踊り子」という言葉の響きも新鮮だったけれど、僕はその、漠然とした夢自体がとても気に入ってしまった。
 というのも、彼女はその夢をかなえるために、これといった努力をしたわけでもないのだけれど、彼女自身の中に「踊り子」のイメージは、ずっと、生き続けているように思えたからだ。

 人と接する時、彼女ほど自然に、優しく振る舞える人を知らない。もちろん、そういったところが愛され、職場や顧客の信頼を集めているわけだし、顧客が多い理由である。僕が知る限り仕事を離れても彼女の魅力は変わらない。中国医学に興味を持ったり、ヨガに通ったりしながら、常にニュートラルでいられる術を身につけているように思える。
 これがたとえば、職場で死んだような顔でいて「実は踊りが好きでさぁ、毎晩ディスコでバリバリ踊ってんのよね」などと言われたら、いくら実践的だとしても、僕は「あ、そう」と答えるしかない。話はそこで終わりだったろう。

 確かにディスコ・ダンスだって踊りの本質的な部分を持っていることも認める。
 そもそも踊りというのは、考えれば考えるほど不思議なものだ。「世界の創造とともに踊りは存在した」とローマの詩人は言ったそうだが、確かに、その歴史は人間の歴史と等しく古いと思われる。古代の人たちはあらゆる機会に踊っていたのだ。嬉しい時、悲しい時、生誕の時、死の時、そして日の出、日没。それが宗教儀式に結びつき、永い年月の間に形式化され、ステップや身振り、ポーズへと変わって細分化されていったのだろう。今では他の芸術表現と結びついたりして、実にたくさんの「踊り」が存在する。僕もときどきはバレエの公演を観に行ったりするが、あれは本当に感動する(もちろんモノにもよるけど)。その基本的感動というのは、人間が動いていることへの感動だと思う。細分化され、複合化されていっても踊り自体の本質は変わらない。

 全身をコントロールしつつ、解放する。エネルギーを発散しながらパワーを取り入れる。それはどこかで人間の根本的な営みに深くつながっているように思う。もしかしたら、自分のバランスを取り戻したり、自然のパワーを呼吸するために人間は踊るのかもしれない(そういえば歌や踊りは精神療法としても認められている)。

 前述の彼女はそんなところまで考えたわけではないんだろうが、少なくともそういう踊りの素晴らしさを潜在的に知っていたことは間違いない。
 そんな彼女を通して僕なりの踊り子(ダンサー)というものを想起してみるとーー、自分の人生に大して柔軟である。フットワークがある。ノウハウによってではなく、イメージにそって動ける。音楽が好き……。

 とまあ、なんとも素敵な女の子が浮かび上がる。そんな心に羽がはえたような女の子を探すことはたぶん難しくないだろう。確かにいるはずなのだ。しかし、それを見つけたとしても、もうひとつ大事な問題が残っている。
 僕はおそらく、そういう女の子が好きなんだろうと思う。しかし、だ。

 僕は、一緒に踊れるのだろうか?

DANCE WITH ME
 70年代、ウエスト・コーストサウンドのオーリアンズ。その75年のアルバム「LET THERE BE MUSIC」の中の一曲。アコースティック・ギターとコーラスがさわやか。

関口コメント:
まさか60歳過ぎてステージで踊ることになるとは思いもしなかった(笑)
人生って本当に予想もつかないことが起こる。

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