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先日”ニューヨークロンドン18日間遊び放題”という旅行を、ひとりで勝手に企画して出かけた。ほとんど根拠はないが、年に一度くらいそういうことをしないと、心に余裕が持てなくなる、とひとりで勝手に思い込んでいるわけだ。 ロンドンは初めてだったけれど、とても馴じみやすい街に思われた。人間も親切で、きめ細かい感じがする。”都会”というのはきっと、こういう街のことをいうのだろう。”都会”というものの果たす役割が、いくつかあるとしたら、ロンドンはそのすべての性格を備えている、とい
8月のある日のこと、僕の家に「英国で脳腫瘍と闘うクレイグ少年がギネスブックに載せようと、お見舞いのカードを集めています。彼に励ましのお便りを出して下さい。また、その他10人にこの書面をお送り下さい」という趣旨の手紙が届いた。 差出人は、女性イラストレーターのFさんだった。Fさんの人柄も作品も僕はよく知っていた。しかしながら、僕はその手紙を前に「うーん」と唸ってしまったのだ。 1970年頃に「不幸の手紙」というのが流行った。5人に同じ内容のハガキを出さないと不幸に見
新聞をとるのをやめたのには理由がある。何よりもあの分厚さが場所をとってしかたない。1か月分も溜めようものなら結構な量になる。ただでも狭い家である。ビデオ、CD、テープ、本はあいかわらず地層を形づくるがごとく蓄積し続けているし、べランドの観葉植物さえも増殖の一途をたどっている(熱心に植え換えしてるせいだけどさ)。 我が家で確実に減っているものといったら、5日に1個は割っている皿やコップ類だけだろうと思われる(手がずさんに生まれついた人がいるせいだけど)。 新聞といった
いつも日比谷に映画を観に行くたび、どうにも気になってしかたなかったものがあった。それは「みゆき座」の向かい「日生劇場」の裏手に位置する、あの「宝塚劇場」だった。 あでやかな看板もさることながら、まわりにたむろする女の子たちの数にいつも驚いてしまう。 その集団はほぼ100パーセント女性で構成されている。おおむね眼が一種異様に輝いている。公演前はもちろんのこと公演後も、お目当てのスターが出て来るのを待ちかまえているのだろうか、劇場前をとり囲んだまま去ろうとしない。 た
世の中に正しい食べ方、というものなどない。カレーライスに醤油をかけようが、ちくわにアンコをつめようが、納豆にクリームチーズを盛ろうが、それは個人の趣味というものだ。 しかし、人間らしい食べ方というものがあるとしたら、それは旬のものをいただく、ということに違いない。 自然は、その季節に合ったおいしい物を地に実らせている。人間はそれを食べさせてもらっているわけだ。 だからおいしいのは当然といえば当然のこと。しかもそういった食べ物が季節感をいやがうえにもかきたててくれ
僕がまだほんとうに小さかった頃に、どうやらハワイアン(つまりハワイの音楽)のブームはあったらしい。 残念ながら、記憶の中にその心あたりはない。まして、1990年の今日や、街を歩きながらハワイアンを口ずさんでいる人に出くわすこともないだろう。 しかし、ブームの痕跡は意外な所に残っているものだ。それは大学の軽音楽部においてである。僕が大学に入った頃には、まだ「〇〇大学ハワイアン研究会」とか「〇〇大学ハワイアンズ」といった具合に、実質はロックやポップスのサークルにもか