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東京医療崩壊を実体験。いま備えて欲しいこと

延命措置の有無を打診され一度は覚悟した母の退院が来週になりそうです。まだ不安な気持ちもありますが、少しでも早く伝えることでどなたかの参考になるかもと考え、記録を残したいと思います。同じ状況に無い方は詳細な経緯にご興味はないと思いますので、「備えたいこと」だけ、ぜひ目を通していただければと思います。
なお、文章中「奇跡」「幸運」というワードを使用しますが、ここで情報を得てくださった皆さまにとっては奇跡ではなく知識になります。「奇跡的に助かったええ話」のご披露が意図ではありません。知識があれば備えることができ、それは奇跡と同様です。


入院までの経緯

父の発熱 受診先無しのまま完治

7月22日 この頃、東京のコロナ感染が拡大。数日前まで普通に受診できていた病院が一気に受信できなくなる。

自宅の抗原検査キットでコロナ陽性。相談センターへ電話。しかし何度かけても繋がらず。
近くの病院は金曜18時過ぎと言うこともあり繋がらない。繋がっても、陽性の患者は受け入れられないこと、かかりつけでないので受け入れられないと断られる。 唯一、たまたま翌週検査予約をしていた病院だけが話を聞いてくれ、本当に危険な状態のときは連絡可能にしていただけた。
結果、どこにも受診してもらえないまま7/25自然治癒。その後病院のPCR検査で陰性、熱中症であったことが判明。

母の発熱39℃ 救急車要請するも搬送先無し

7月28日 熱が一気にあがり39℃。解熱剤を飲ませるも翌日も改善せず。父のコロナ偽陰性の可能性も否めないのでコロナ感染を疑う。相談センターは相変わらず繋がらない。
母にはかかりつけ医はなく、病院が見つからない上に立ち上がれない・飲食もできない危険な状態。

7月30日 病院が見つからないまま熱は依然39℃、パルスオキシメーターの値が90を切ったので救急車を要請、しかし受け入れ病院がないためそのまま自宅療養となる。

7月31日 容態悪化、再度救急車を要請。病院は見つからないが救急隊員さんがものすごい勢いであちこちの病院をあたってくれる。テレビで緊迫したそんな様子を目にするが、まさにそのものの状況…。

ここで知ったのが「東京ルール」というルール。病院を5件以上もしくは20分以上探して見つからない場合は、そこで病院を見殺しにするという悪夢のようなルールだった・・・。

幸運にも、「PCR検査だけなら可能」という病院が見つかりそのまま救急車で病院へ。付き添った救急車の中で「もっと容態の悪い人でも救急車に乗れない、病院が見つからない人もいるから本当に幸運だったし、その人たちのためにも病院は自分で探して欲しい」というようなことを言われる。(とはいえ暑い中本当に必死に対応してくださり、感謝しかない)
もう東京の医療は崩壊していますとお話されていたのが心に残る。

なお、行きは救急車でも帰りは車が必要です。コロナ陽性が確定した場合は交通公共機関にもタクシーにも乗れないので要注意。感染者専用のタクシーというものもあるそうですが、かなりの高額とのこと。

病院から検査結果が出て、コロナ陰性。
陰性なのに発熱と言うことは何か他の病気の可能性は?と聞くと、偽陰性の可能性もあるのでコロナと思って接してくださいとのこと。これは、コロナかもしれないのに陰性の場合、もう区に登録もできず自宅療養するにしても見守ってももらえない実質見殺し状態になることを意味する。

依然容態は最悪で、意識朦朧、高熱が続き、飲食はいっさいできない状況。なのに相談先もない。区のHPを確認しまくるも、コロナ陽性者・濃厚接触者への対応しか掲載されていない。コロナ陰性でかつ発熱した病人が診察を受けられないことへのフォローは皆無。

後からわかるのだが、ここで一つ目の奇跡があった。それは、母がコロナ陰性であったと話した時の、友人からの忠告。
発熱を侮ってはいけない、コロナでないなら原因があるはず。
というもので、彼女のお父様が以前発熱し感染症でお亡くなりになったことと、彼女自身が先月コロナ陰性なのに発熱し、入院をする病気をしたことからの経験談だった。そして
血液検査が必要
という具体的な話もしてくれた。これが大きかった。

なお、母は起き上がれず、そのまま入院できないなら病院へ連れて行くのはかなり難しい状況なので、ファストドクターなど、訪問診察の機関を探しネットで申し込むが、医療ひっ迫で申し込み停止していたり、申し込みは受け付けるが「いつ行けるかわからない」という回答で、頼りにならなかった。

あとできることはコネを探すことだ!と思いつく。ここが二つ目の奇跡。
幼馴染がケアマネをしていることを思い出す!同窓会で会う程度の彼女に厚かましくも連絡。母の生死の問題だったので恥も外聞もなく無理を承知で、でも何かしら情報がないかと打診。

在宅医療受診からやっと医療に繋がる

8月1日 友人の紹介で在宅医療の先生に診察していただけることに!!
依然39℃の熱、意識朦朧、飲食不可能、立ち上がれない状態。
血液検査の他に点滴をしてもらい脱水症状は免れたかと思う。コロナ陰性なことから先生のお見立ては熱中症。しかし改善していかないなら他の病気を疑うべきとのこと。

8月2日 血液検査結果
酷い貧血と白血球値の低下。熱中症以外を疑うべきで、なんとしても病院で検査をするべきと勧めていただき、連携している病院を紹介いただく。ただし入院は満室で不可能なので、検査のみ。
病院までは車で20分程度。もっと近くの病院はないか探してもらったが結局見つからなかった。正直、意識朦朧で動けない母を入院も出来ないのに起き上がらせて検査だけさせるのに多少の抵抗があった。しかし感染症の恐ろしさを説明してあった弟から、なんとしてでも検査を受けさせろと背中を押される。結果、これもよかった。一人での決断は難しい局面もある。家族や信頼できる人と情報を共有し、相談しあうことはとても重要だと思う。

8月3日 検査のため病院へ
ぐったりした母を車に乗せて病院へ。車椅子でもかなりきつそうで、本当にかわいそうだった。血液検査を再度する間に問診。すぐに「腎盂肝炎の疑い」と判明。これはまさに先日感染症のことを教えてくれた友人がかかった病気と同じだった。
受診まで時間がかかったため、全身に菌がまわっている可能性もある危険な状態とのことでその場で点滴治療が始まるも、ベッドが満床で入院はできないという。

地域の病院を探してくれるが、この日は東京の新規感染者が3万を超え医療は崩壊、入院先は見つからないかもしれないとのこと。そしてその場合は見つかるまで自宅待機となると・・・
生死を分けるような状況で自宅待機?!しかもコロナ陰性なのに?!

幸運にも30分程度で1室だけ空きがある病院があると告げられる。しかし個室しかなく一泊プラス2万円が条件。
満室で個室を使わせるのに差額をとってはいけないという法律があるのは知っていた。しかし一刻を争う場面で選択の余地はなく即決。入院が決まる!


入院から退院(予定)まで

入院先の病院へは、救急車ですぐに搬送とのこと。それだけ切迫していた。
しかし1時間たっても救急車が来ない!!!何時に行けるかわからないとのこと・・・。
搬送先の病院があるのに、コロナ陰性なのに、それでも救急車が来ない!!!
車があったので自家用車ですぐに搬送するよう指示をうけ、移動。

入院予定の病院では応急処置室に運ばれる。容態が危険らしく、先生から説明。母は血管が細く普通の点滴は難しいため、深い血管へ針を刺し点滴をするという。輸血OK、インシュリン投与OK、部分麻酔OKなどの書類へサイン。しばらくして意識を取り戻した母に、延命措置の有無を確認…とてもつらかったが、以前から延命は不要と家族全員で確認してあったこともあり、やはり不要だとのこと。もう充分生きた、と笑う母を見て涙が出そうになった。
先生の説明では一番強い抗生剤を点滴しており、これが効かないようなら手立てがないとのこと…本当に目の前が真っ暗になった。一人病院でわん泣きした。


思い出して書いていても涙が出ます。会社の上司などからは「誰もが通る道」「親はいつかは死ぬ」など言われもしましたが、医療崩壊でさえなければ確実にもっと早く受診ができ、投薬で治るはずの病気です。コロナで病院が見つからないという理由でのお別れなんて、やり切れません。


コロナ禍で面会はできないのはわかっていたが、その後母本人からの連絡以外、容態を知る手立てがないと気づく。病院に問い合わせると、代表電話にかければ容態を確認してもらえると判明。
しかしコロナ禍で忙しい病院に毎日容態を電話で聞いていいのか?などなど混乱。

結果、母の容態はどんどん改善し、本人からメールが届くようになったのでよかったが、容態確認方法は入院時にしっかり確認すべきことの一つだった。

腎盂肝炎について調べると、抗生剤の点滴治療が必要。その人の菌にあう抗生剤の種類を知るには菌の培養が必要で一週間かかる。しかしそれまで待てないので、とりあえず抗生剤治療を開始するようだ。

幸運にも抗生剤が効いたようで母は順調に回復、一週間後にはさらに一週間後には退院できるかもしれないと連絡があった。
抗生剤は突然効かなくなることもあるようなので油断はできず、心から安心して大喜びはできない状況。心の底から回復を祈る…(いまここ)


コロナ禍の医療ひっ迫の状況下で、知って欲しい/備えたいこと 

今回の体験での私が思う運命の分かれ道、「奇跡」は以下の通りです。

コロナ陰性でも発熱していれば感染症の可能性がある

今回友人からそのことを教えてもらえたおかげで、「コロナ陰性だから熱中症かな、しばらく様子を見よう」などという余裕はないことに気づかされました。これがこの後の行動すべてに影響します。それを知らなかったら今頃・・・と思うとゾッとします。重要なのは知識です。とにかく「熱を侮ってはいけない」「コロナ陰性でも発熱なら感染症も疑う」ということを覚えておいていただければと思います。

かかりつけ医は無理にでも作っておくべき

うちは80と高齢ながらも父母ともに元気で「かかりつけ医」がいませんでした。これはコロナ禍では致命的と言えるほど危険な状況です。かかりつけでなくても受診可能な発熱外来はざっくり病院の半分という感じ。しかし現段階では、予約は数日後になります。また土日になると更に救急外来をあたることになり、救急隊員さんが二人で数十件に電話してくれましたが受け入れ先がないような状況です。
今健康でも、いえ発熱していない状態だからこそ、とにかく発熱時診察してくれる近所(発熱すれば動けなくなる可能性もある。家族がいつでも車を出せる環境ではないなら、徒歩圏内が理想的)の病院を受診し、かかりつけ医を作っておくべきです。

恥も外聞も他人も関係ない!コネをあたる!高齢者は救急車を呼ぶ!

動けない母に在宅医療を受けさせたかったけれど、ネットで診察を予約できるような病院は医療ひっ迫から受付を中止しているような状態でした。
はじめは全く思い浮かばなかったケアマネの友人のことを思い出し連絡をとったこと、友人がすぐに動いてくれたことは私にとっては奇跡です。これがなければ今頃は・・・という二つ目の岐路でした。遠いコネでもいい、今のうちからあたってみることも大事です。

そんなのズルいですか?
政治家や芸能人、お金さえあればいつでも入院できるのはなぜでしょう?それはOKで、一般人がコネを探すのはズルいですか?それは命を懸けてでも守るべき倫理なのでしょうか?(個人的見解です)

救急隊員さんに、「もっと重症な人がいるのに」と言われたことは心に残っています。しかしその前日にきてくれた救急隊員さんに「またこの状態になれば迷わず救急車を呼んでください」と言っていただけていたことも、今回の判断に繋がりました。テレビで、救急車が大変な状況なので呼びにくいという高齢者の病状が悪化したというニュースもみました。
39℃の熱が数日下がらない80歳の高齢者に、救急車を控えるべきだとは到底思えません。またこのことが、今回の入院に繋がる布石ともなりました。次章でお話します。

コロナ陰性だからこそのメリット・デメリット

メリット
今回母が受診でき、かつ入院出来たことは、コロナが陰性だったからに他なりません。もし陽性でかつ腎盂肝炎も患っていたかと思うと・・・まさに見殺しとなります・・・。
救急車を呼んで母にかなり無理をさせて移動し、もっと重症な人がいるのに(つまり、陽性・陰性を調べたところで入院先はないのだから自宅療養は同じだから、検査に意味はない)と言われつつも、PCR検査を受けたとことに意味はあったのか?と思うこともありましたが、ここで陰性のお墨付きがもらえたからこそ医療に繋げることができたのです。
よってPCR検査は必要でした。(ここではコロナ対策としてのPCR検査の必要性ではなく、日本の法律上の観点からの必要性をお話ししています)病院にも、陰性がわかっていたから受け入れることができたので、良かったですねと言ってもらえました。

デメリット
濃厚接触者認定もされておらず、かつ陰性であったことから、区の相談センターやコロナ感染者の登録などもいっさいできず、パルスオキシメーター貸与や健康観察などの権利も得ることができませんでした。

うちは陰性だったからこそ医療に繋がったのですが、もしコロナが原因の発熱で偽陰性であった場合どこからもフォローが受けられないことになります。
PCR検査は数回行ってやっと陽性になる場合もあるそうです。(ちなみに母は4回検査、全て陰性)なので、コロナを疑う場合は可能なら数回の検査も考えておいた方がいいかもしれません。

お金を用意しておく(差額ベッド代にまつわる話)

コロナ治療には治療費はかかりませんが、その他の病気の場合当然治療費がかかります。高齢者ですし高額医療費の上限もありますから、通常であればそこまでお金の心配は不要かと思います。

しかし今回、「個室の差額ベッド代を了承するなら」という条件で入院が可能となりました。ちなみに、ベッドがいっぱいなどの病院側の都合で差額ベッド代を請求するのは法律違反です。
承諾書の書面にサインさえしなければ、差額ベッド代無しに入院ができるのが正規のルートです。

ただ、生死を分けるような状態、しかもその時即決しなければそのたった一つのベッドが埋まってしまっていたかもしれない可能性のあるとき・・・それを伝えて交渉する時間的・精神的余裕はあるのか?が問題です。よって、備えることとしては差額ベッド代のことを前もって調べること、いざというとき即交渉してくれるような人?機関?を探しておくこと、などができるかと思います。

私は、差額ベッド代は本来不要ということはうっすら知っていました。しかし、差額を払えば入院できると言うケースはごまんとあるそうでこれが「現実」です。

そんなのおかしい!と言うことはできますし、私もそう思います。
しかし逆説的に考えれば、もしそのルールが厳密に守られていたとしたら、今回「個室であっても空いていない」ということになっていたはずです。

どの道を選ぶかはそれぞれですが、自分の正義を貫くか、患者の命の選択の場面で迷わず決断できるようにお金を用意しておくか…。いえ、どちらにしてもとりあえず用意しておけば、安心ですよね!

我が家はお金持ちではありませんが、何か月も続く状況ではない差額ベッド代は支払えますし、コロナ禍でむしろ個室の方が安心とも言えますから後悔はありません。また当時入院を制限していた病院に受け入れてもらえたことには感謝しかありません。
しかし、前もってもっとしっかり調べておいた方が良かったなとは思います。(なお、去年他の病院でも満床時は個室で差額ベッド代が必要だと言われたことがありますので、どの病院でも同様かと思います)


最後に。私が思うこと(「統計」の数字の危険性)

医療崩壊、というワードと状況をテレビで生々しく報道されるのをよく目にする昨今でありながらも、それはどこか自分には起こらないドラマを見るような感覚であったと今は思えます。

まったく同じことが自分にも起こり得るのです。そういうのとは無縁だと根拠のない自信のようなもの?があった、こんな平凡な普通の生活を送る庶民の私にも起こった現実です。

私は社会人大学生で、統計の哲学というものを大学で数年前学びました。それは次のようなものです。

よく耳にする「何%の人がxxの状況になります」というような数字が統計の数字で、統計は私情を挟まずエビデンスから出される数字であり、一定の方向性を示す大事な指標であることは間違いありません。
しかし、「コロナでの死亡率は0.63%です」と言ったとき、それはあなた自身やあなたの家族が「0.63%の確率で死に至る」という意味ではありません。(そう誤解させることに統計が利用される例が多々あります)

本人からみれば生死の確率はいつも死ぬか生きるかの「フィフティ・フィフティ」です。
統計学で抜け落ちているのはこの「自分からみれば」という視点だそうです。

「xx在住のxx代のxx人がxxで死ぬ確率」は数字で出せますが、それは自分が死ぬ確率とイコールではありません。

この視点は、コネを使ってでも病院を見つけるか?の倫理観にどこか似ているように感じます。
統計の数字や他者への配慮・学校で教わってきた倫理観で自分を犠牲にしてもいいのかどうか?に判断がかかっているということを
普段他者への配慮を大事に暮らしている一般市民だからこそ、特に生死を分けるような緊急時には意識すべきだと個人的には思っています。私は迷うようなとき、それを意識しました。

また、日々緊迫する状況下でリア友や家族・親戚に相談できたことは私の心の大きな支えでしたが、それと同時に私にとっては、Twitterで繋がっているイラストという同職の相互フォロワーさんたちの存在も大きかったです。
友達などにこちらから連絡して話を聞いてもらうのは先方の負担を考えると躊躇することもありましたが、Twitterなどであれば読みたくない人は読まなくても良いので、発信する側も気楽に気持ちを吐き出せます。
いつもお付き合いくださった皆さんに感謝と、まだもう少しお付き合いいただきたいことをお願いして今回の顛末の覚書を終えたいと思います。
本当にありがとうございました!そしてこれからもよろしくお願いします!m(__)m


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