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10年かけて「好き」を取り戻しつつある話

ひとつだけ前置きをすると、この件は今も絶賛格闘中。「私は本当にこれが好きなんだろうか?」と自分自身を疑うことが、いまだにあります。それでも数年前よりは少しずつ、自分の興味関心を抑え込まないようになりました。(こうしてnoteを書いていることがその証明のひとつです。)
それなりの時間をかけて悩んでいることなので、整理のために文章にしてみよう!というのが、今回のnoteです。結論を言っておくと「自分と他人を必要以上に比べない」ということを数年かけて練習しています、という話です。

周りの「情熱」と比べてしまう

そもそものきっかけは大学時代。興味のある分野で第一志望の大学に合格できたにも関わらず、課題をギリギリまでやらなかったり、クオリティを追求できなかったり……。まわりの同級生たちと同じような熱量で制作に打ち込めない、そんな自分がすごく嫌でした。
「どうしてみんなみたいに頑張れないんだろう」「みんなより頑張れないってことは、本当はこの分野を好きじゃなかったのかもしれない」と、同級生と比較して自分の「好きの度合い」を測る日々……。

自分の「好き」を信じられなくなった

自分が中途半端なようで、大学を卒業してからも、好きなものを好きだと胸を張って言えませんでした。そうして自分の「好き」を疑うことを繰り返した結果、「自分には好きなものなんて何もないのでは……」と考えるように。
ただ幸いだったのは、私には何十年も好きな漫画があったこと。(そのときも「それにかけた時間」という物差しで他人と比較してしまってはいたけれど)おかげで心は折れきらず、次第に「このままは嫌だな」と思うようになり、自分の思考や行動を見直すようになりました。

「好き」は、独りよがりでいいのかも

突き抜けた「好き」が無いことへのコンプレックスは、いまだにあります。寝食を忘れるレベルで夢中になれることが羨ましいし、専攻していた分野での同級生の活躍を見ると凹むことも。けれど、「いまだに未練があるってことは、やっぱりその分野に興味があるのかもなあ」と向き合えるくらいには立ち直りました。

その根底にあるのは、「私のペースで『好き』と向き合えればオッケー」という心構え。勝手に誰かと比べずに「自分なりの好きの形」や「自分だけの好きなポイント」を大事できたら、それで十分なのかな……と今は思います。独りよがりのようだけど、誰のものでもない自分だけの「好き」は、そこから生まれるのかも。

ここに至るまでにそれなりの時間がかかってしまったけれど、自分で考えて出した結論だからこそ意味があるというもの。悩んだ以上の時間をかけて、見つけたり広げたり、深堀りする楽しみを素直に感じていきたいな。

私の自信と励みになります🫰💃