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大切なのは、なにかの到来を「待つ」のではなく、情況を「選び取る」ということなのだ。そこにこそ自由はある。

この本を読み始めたころ、わたしはある本を思い描いていた。
それは、1997年に読んだスティーブン・R・コヴィーというひとが書いた『7つの習慣』(The Seven Habits of Highly Effective People)という本だった。この本は、ハウツーものを嫌うわたしにとって稀有の存在となった本だ。
案の定、その本は暫くすると、世界中に流布し、歓迎された。わたしもそこに書かれてあることに感動し、ある企業での研修教材として用いさせてもらったくらい、感銘を受けた書物だった。
この本の著者、エディス・エヴァー・イーガー女史の本を手に取って暫く読み進んだとき、彼の著書と同様の匂いを感じたのである。かたやビジネス書であり、かたや医学書――とまでは言わないものの、心を病む者に対する宝物のようなノウハウ本である、といっていい。
原題では『The Gift 12 Lessons to Save Your Life』とある。邦訳の題では『心の監獄』とあるが、原題のイメージから行けば、コヴィーの『The Seven Habits of Highly Effective People』とダブる。Your Lifeを救うためのLessonsがHighly Effective PeopleになるためのHabitsだとしたら、そのコンセプトはビジネスかそうでないかだけの違いである。すなわちビジネスもまたLife(生き方)に包摂されるのだとすれば、これほど近似したテーマもないのではないか。
両者とも、自説を例証するために実際の具体例を引き合いに出し、それに解説を加えながら、読者に訴えるのである。わたしには、事例の提示の仕方といい、そのまとめ方の素晴らしさといい、ある種、懐かしさを覚えるほどの「読書の喜び」のようなものを感じさせたのだった。ためになると同時に自分でも思い当たるところが多分にあり、それを解放するための方法が逐一、説得力を持って心に刺さってくるのである。
それもそう。彼女は、あのアウシュヴィッツから生還し、『アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝』の著者でもあるのだ。1927年生まれのハンガリー人。40代で心理学博士資格を習得し、いまも現役で活躍する臨床心理士である。
彼女はアウシュヴィッツは自分の内なる強さと選択する力を見つける機会をくれたとして、つぎのようにいう。
「選択する力」は誰でも持っている。助けになるもの、支えてくれるものが外からやってこないときこそ、自分の姿がはっきりわかる瞬間だ、と。これは、夏目漱石の『行人』という小説に拙評を書かせてもらった最後の註にも引いた彼女の文言だが、たったひとりになった者のみが知り得る境地であり、その境地を乗り越えてきた者のみが吐けることばだ。
そのような彼女が自らの経験を交えて語る人生訓ともいうべき「心の監獄」から出たことばは、読者に感銘を及ぼさずにはいない。
彼女はいう。心の準備ができないかぎり、人は変わらない。だから、人生に意味のある変化をもたらしたいなら、役に立たない習慣や信念をただ手放すのではなく、健全なものに取り替えることだ。(中略)人生を変えるとき、その目的は新しいあなたになることではない。(中略)すべてを捨て、最初からやり直す必要はない。(中略)自由への究極の秘訣は、本当の自分になり続けることなのだ、と。
男であろうと、女であろうと、承認欲求というものはあり、それにすがって生きようとするのは、必ずしも悪いことではない。しかし、承認されるのを待っているだけでは、誰もあなたを認めはしない。それこそ、わたしが『行人』の拙評で、一郎の独白として代弁した思いと同じだ。相手を求めるだけではなにもやってこない。
彼女はいう。
どれほど厳しい状況にあっても、誰もが自由を見つけることができる。あなたはそうする責任があるのだから、それを引き受けなさい! シンデレラになって、キッチンにじっと座り、足フェチの男性を待っていてはいけない。王子様や王女様などいないのだから。あなたに必要な愛情と力はあなたの内側に備わっている。
彼女は声高に続ける。恥の意識から解放されて生きるつもりなら、他者の評価に自分を定義させてはいけない、のである。
最後に、彼女が「アウシュヴィッツで学んだこと」として挙げた実例を引用しよう。
もし看守に逆らおうとすれば、撃たれただろう。逃げようとすれば、鉄条網にぶつかり、感電死しただろう。だから私は憎しみを哀れみに変えた。看守たちを哀れに思うことを選んだ。彼らは洗脳されている。彼らは純粋さを奪われている。彼らはアウシュヴィッツに来て、世界からがんを取り除いていると思い込み、子どもたちをガス室に送り込んでいる。彼らは自由を失っている。だが、私はまだ自由を失っていないのだ、と。
ここで大切なのは、なにかの到来を「待つ」のではなく、情況を「選び取る」ということなのだ。そこにこそ自由はある。

『心の監獄』エディス・エヴァー・イーガー 【本が好き!】noelさんの書評から転載。


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