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おむすび通信 #4 イヴ・クラインの青と無限性 (青柿将大)

#4 担当の青柿です。共通テーマが「NODUS旗揚げ公演の振り返り」ということで、果たしてどこまで需要があるのか不明ですが拙作「プリペアド・チェロのための《アントロポメトリー》(2015/16)」について作曲者自身のやや分析的な視点から振り返って書いてみようと思います。
まずは余計な予備情報なしに、真っ新な耳でお聴き下さい。

本作は元々チェリスト・山澤慧さんの委嘱により作曲し、2015年12月【山澤慧マインドツリー2015 -無伴奏チェロリサイタル- 20世紀以降の作品を集めて】にて同氏により初演、2016年7月【NODUS vol.1 -失われた響きを求めて-】にて細井唯さんにより改訂初演されました。普段自作の再演などほぼないに等しいのですが、この曲はありがたいことにその後【特殊音樂祭2016】や【藝大アーツイン丸ノ内2018】などにおいて何度か再演されています。どの演奏も予想以上に異なる解釈・結果で、同一の作品が毎回違う角度から照らされるような、作曲者としては幸福かつ興味深い体験をすることができました。
作曲のお話を頂いたのはやはり山澤さんがソリストを務めて下さった「独奏チェロを伴うオーケストラのための《ミメーシス》(2014-15)」の初演後のことで、「同じくチェロを主体とした、しかし全く規模の異なる編成」「同じチェリストによる初演」という条件から意図的に《ミメーシス》とは正反対のタイプの音楽を書こう、とかなり早い段階から考えていました。

結果、フランスの画家イヴ・クライン(Yves Klein, 1928-1962)の代表的な作品シリーズ《アントロポメトリー》(Anthropométrie, フランス語で「人体測定」の意)やその手法などに触発され作曲することに。クラインの作品そのものに以前から魅了されていたことはもちろん、当時読んでいた「日本的感性 触覚とずらしの構造」(佐々木健一著/2010年・中央公論新社)でクラインの作品の知覚に関する興味深い文章に触れたことも契機の一つでした。

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イヴ・クライン《青い時代のアントロポメトリー ANT82》(1960)

そもそも殆どの場合、私の作曲は出発点を意図的に音楽の外側に見出だすことから始まり、そうした音楽外のアイディアをいかに音楽内のアイディアとして変換し得るか、というプロセスを重要視しています。「毎回異なる地点から作業を始めることで、自身の創作というものをその都度新鮮な視点から捉え直すことができるのではないか」、また逆も然り、「作曲という行為を通して結果的に音楽外における視野をも広げることに繋がるのではないか」という自問から、こうしたアナロジカルな作曲を数年来実践してきています。この姿勢が何か特別なものだという意識は全くありませんが、音楽外の要素の主観的なイメージを音で感覚的に表現することに終始するというよりは、あくまでもそれを対象化・客体化した状態から音楽上の様々なアイディアを引き出していくことに拘っています。イヴ・クラインは作品を「芸術家と世界とのコミュニケーションの痕跡」や「可視化される不可視の真実」として捉えていたらしいのですが、まさに私にとって作曲はそのような「自身とそれを取り巻く世界との仲介的存在」や「潜在的な何かを音によって顕在化させようとする試み」であると言えるかもしれません。

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では具体的にアイディアの変換例を幾つか挙げてみようと思います。

①行為の痕跡

クラインの《アントロポメトリー》では、顔料を直接身体に塗ったヌードモデルをキャンバスに押し付けたり引き摺ったりすることで、人間の身体が「生きた絵筆」として用いられています。人間の肉体の躍動が可視的な痕跡として平面上に永久的に定着されるこの作品群は、彼が来日した際に見た魚拓や力士の手形、原爆の影のエピソード、そして柔道の受け身などに触発されました(因みに来日時、クラインは講道館で柔道四段を取得しています)。

・人間の動的エネルギーの痕跡が残る
 ▶︎開放弦のピチカートの音が余韻(=痕跡)として残る
 ▶︎一定周期で鳴るゴングを模した最低音のピチカート(=痕跡として何度も再生される)

・「身体(の一部)を“引き摺る”・“押し付ける”」という制作行為
 ▶︎グリッサンド(左手の指を弦に沿って“滑らせる”)やタッピング(左手の指でチェロの指板を“叩く”)という演奏行為

②青色への偏愛・空とその無限性

クラインは一画面に一色のみを使用するモノクローム絵画を数多く残していますが、ある時期から特に青色への偏愛が見られます。
▶︎青色に関連する第5チャクラ
 ▶︎▶︎第5チャクラに関連する音高:G(ソ)
  ▶︎▶︎▶︎チェロのスコルダトゥーラ(G1を基音とする倍音列から、基音〜第4倍音をそのまま調弦へと置換。下図参照。)

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G1を基音とする倍音列。
括弧内の数値は平均律との大まかな差(単位はセント)を示している。

 ▶︎▶︎第5チャクラのシンボル:16枚の花弁を持つ蓮の花
  ▶︎▶︎▶︎16という数字に関連する様々なアイディア[*1]
  ・テンポ:16分音符=256(16の二乗)
  ・16分音符256(16の二乗)個周期で鳴るゴングを模した最低音(G1)のピチカートが、曲中8周(16×1/2周)する
  ・基本的に左手のポジションは上図における基音(G1)から第16倍音(G5)までの4オクターヴの音域に限定される
  ・徹頭徹尾16分音符による規則的なパルスが主体となる

また、クラインは19歳の時に、後に芸術上の盟友となるクロード・パスカル、アルマンド・フェルナンデスと出会い、3人でニースの海岸で真っ青な世界を3つに分ける相談をしました。パスカルは土地とその富を、フェルナンデスは空気を、クラインは空とその無限性を選択したといわれています。
▶︎特定の素材を“展開”させたり目的的持続を作ったりするのではなく、非常に限定的な要素をオブジェのように“陳列”させることで、長くはない時間の枠内である種の無限性[*2](作品がどこまで続くのか、あるいはどこで終わるのか予測がつきにくい)を喚起

③インターナショナル・クライン・ブルー

クラインは自らにとって理想的な特殊な青色の顔料を「インターナショナル・クライン・ブルー」(IKB)と名付け、特許を取得しています。我々がこのIKBを味わう際、「これは青色である」という事実は当然すぐに知覚できますが、しかし同時にそれは我々が慣れ親しんでいる(=記憶として蓄積された)青色ではない「特殊な青色」でもあります。
▶︎チェロの各弦にヘアピンを挟む「プリペアド・チェロ」(聴衆にとっては目の前で演奏されている楽器は明らかにチェロであるはずが、実は我々にとって馴染みのある「普通のチェロ」では最早なくなっているという特殊な状態)

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《Anthropométrie》(2015/16)より

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現在留学先で自身の作品についてプレゼンテーションする機会が定期的に訪れるのですが、音楽と言語が不可分の関係にある以上、(とりわけこうしたアナロジカルな方法を取るのであれば)それは自分の創作行為を顧み、思考を整理するのに非常に有効であり、また次作への課題点を常に浮き彫りにしてくれます。その一方で、「いくら御託を並べたところで言葉や論理では掴むことのできない領域が確かに存在し、そこに音楽を音楽たらしめている魅力があること」や「そうした領域への憧れから作曲を始め、続けてきたこと」を改めて身を以って実感したのもまた事実でした。

音楽の発想源としてクラインの作品は確かに重要ではあるものの、言い換えればそれは単なる出発点に過ぎず、作曲者である私は「聴衆がその出発点を理解した上で音楽を聴かなければならない」などとは全く考えていません。確かにクラインの作品と本作の間には美学として結び付けられる部分があるかもしれませんが、そこには言わずもがな空間芸術と時間芸術との埋めることのできない(埋める必要すらない)大きな隔たりもまた存在しています。私にとって最も重要なのは、この場合であれば結果としての音楽作品を(クラインの作品からは距離をとった)自律したものとして提出すること、そして何よりその音楽の自由な聴取体験の中で「スタティックな時間の肌触り」や「そこから喚起されるある種の無限性」がこのような分析やプログラム・ノートといった言葉による説明を介さずとも聴衆によって知覚されることである、という点を最後に付記しておきます。

*1
作曲家・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874-1951)が数秘術に凝っていたことはよく知られています。【NODUS vol.1】では我々若手作曲家の作品に加えて彼の《月に憑かれたピエロ op.21》(1912)第一部を上演しましたが、ここでは7という数字が重要な位置を占めており、「7音からなる動機の使用」「指揮者含め7人の音楽家による編成」「全21曲が7曲ずつ3部に分けられる構成」「原題に含まれる“Pierrot”“Lunaire”の両単語がそれぞれ7つのアルファベットから成ること」などその例は枚挙に暇がありません。私の方法論はシェーンベルクのそれとはかなり異なる上、この作品は彼へのオマージュという訳でも全くありませんが、こうした特定の数字への拘りは【vol.1】のプログラムにおいて拙作《アントロポメトリー》と《月に憑かれたピエロ》を繋いでいる軛とも言えるでしょう。
*2
それぞれ発想源は異なるものの、「限定的な要素の“陳列”や特定のパターンの“反復”によってある種の無限性を指向する」という点で本作に連なるものとして、その後「26奏者のための《Figure/Ground -Hommage à Erik Satie-》(2016)」や「フルート、クラリネット、チェロのための《Cut here》(2019)」を作曲しました。しかし、同時にこうした方向性以外の道を複数探るようになり、【NODUS vol.2 -谺する息吹-】で初演されたフルート・ソロの作品にも繋がっていくのですが、それについてはまた稿を改めて。

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《Figure/Ground -Hommage à Erik Satie-》(2016)より

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《Cut here》(2019)より

執筆者プロフィール:
青柿将大

1991年埼玉県生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、同大学音楽学部作曲科を首席で卒業。学内にて長谷川良夫賞を受賞。2012-13年度(財)明治安田クオリティオブライフ文化財団奨学生。2017年同大学大学院音楽研究科修士課程修了。2017年度下期野村財団奨学生。2018年度文化庁新進芸術家海外研修員。2019年第36回現音作曲新人賞入選、聴衆賞受賞。
これまでに作品はOrchestre de Caen、藝大フィルハーモニア管弦楽団、Ensemble intercontemporain、アンサンブル室町、Bergamot Quartet、Duo Jeux d'Anchesなどにより国内外で演奏されている。作曲を尾高惇忠、林達也、野平一郎、ステファノ・ジェルヴァゾーニの各氏に師事。2020年パリ国立高等音楽院作曲科第一課程を最優秀の成績(首席)で卒業し、現在同第二課程に在籍。
Twitter | @masahiroaogaki
Facebook | https://www.facebook.com/masahiroaogaki
Soundcloud | https://soundcloud.com/masahiro-aogaki

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次回 #5 は渡部真理子が担当いたします(10/3更新予定)。
お楽しみに!

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