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占い師が思う、やりたいことの見つけ方~その1~

わがnoteに初めてコメントがつきました。
ありがたい限りです。

どうすればやりたいことが見つけられるか?

とのことです。

難しいですよね。
わたしも数年前、血眼になって探した記憶があります。

せっかくなので、今のわたしが思う
「やりたいことの見つけ方」を綴ります。

探すから見つからない

しょっぱなから破綻させてごめんなさい。
これが、今のわたしがいる場所です。

恋人って探しているときは見つからず…
諦めた頃にぽっと現れたりしますよね。

友人も同じですよね。
そんな感覚じゃないかな?と。

世の中をぐるっと見渡したとき、
自分の感覚にしっくりくるものと言うか。

ご縁によって運ばれてきて、
心地よいから長くいられるというか。

見つけるものではなくて、
見つかるものであり。

降って湧いてきて、
気が付いたら傍にあるもの。

それがわたしが思う「やりたいこと」です。

なので見つける意識でいると、
なかなかどうして見つからないかな?と思うんです。

と言うか、昔のわたしがまさにそうで。
見つけようとしたから全然見つからなかったんです。

全然しっくり来ないのに「これがやりたいことなんだから…続けなきゃ!」と変に頑張って疲れちゃったり。

見つけようとしても見つからないから「やりたいことも見つけられないなんて、わたしはなんてダメなんだー」と自暴自棄になったこともあります。

きっとわたしの「見つける」というスタンスが自分で自分を苦しめることになったのかな?と今になって思うんです。

やりたいことがなくても良い

またまた破綻させてしまいました。

ごめんなさい。
これが今のスタンスです(二回目)

やりたいことを探していた当時、ふと思ったんです。

わざわざ探さないと見つからないのは…
そもそも、今は何もやりたくないのではないか?と。

何もやりたくないというより、
現状に新しいエッセンスは不要なのでは?と感じたんです。

なら、何もしなくて良い。
何もしないことがわたしのやりたいことなんだ、と。

そう思えた瞬間、気持ちがめっちゃ軽くなったんです。
心に羽が生えたのかと思ったくらい。

で、そのとき初めて気づきました。
やりたいことを見つけることそのものが足かせになっていたんだと。

その境地に至った数日後…
わたしはやりたいことを見つけることができました。

不思議ですよね。
探すのをやめた途端見つかったんです。

その経験を経て、やりたいことは
見つけるものではなくなりました。

見つけるために何もしない

わたしがやりたいことを探していたときって、泥水の中で手足をジタバタさせる姿と似ていたなと思うんです。

一瞬で視界は濁り、何も視界に入ってこない。

その状態で探したとて、
何も見つからないのは当然だな、と。

なら、動くことをやめて泥水が透き通るのを待つ。
そこで見えた「気になるもの」を掬い取る。

動くことをやめたら、
綺麗な水を求めて魚が近づいてくるかもしれません。

そのままじーっとしていたら、
泥の中にキラリと光る何かが見つかるかもしれません。

それをそっと掬い取る。
これで良いのかな?と思います。

全てはご縁ですし、
わたしが動かずとも状況は動いています。

新しいものを探すことをやめてみる。
余白を作るために動くことをやめてみる。

何もしないことで、
何かが飛び込む余白が生まれる気がするんです。

何もしない。
動かない。
探すことをやめる。

これが、わたしのやりたいことの見つけ方です。

「考えるスイッチを切る」

こう言い換えても良いかもしれません。

そもそも人間「何もしない」ことなんてできません。

気づいたら空っぽの頭で、
やりたいことに導かれるようにできているんです。

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