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ウクライナの現実と「絶対平和主義」の罠

先月24日、ロシア軍がウクライナに対し「特別軍事作戦」と称する軍事侵攻を開始し、3月27日現在、1ヶ月が経過した。本論に入る前にこれまでの経過を簡単に振り返っておきたい。

経過

侵攻当初のロシア軍の計画は、北部からウクライナの首都キーウ(旧称キエフ)を攻撃して数日以内に占領し、同時にハリコフやマリウポリなど他の主要都市も東部と南部から攻撃してウクライナ側の戦意をくじき、短期間に全土を制圧してゼレンスキー政権を転覆し親ロ傀儡政権を立てることだったと思われる。しかしウクライナ側の頑強な抵抗に合い、いまだにキーウの占領を実現できないだけでなく、3月に入ってロシアが併合した南部クリミア地方や、侵攻直前の2月に国家承認した分離独立派が支配する「ドネツク人民共和国」および「ルガンスク人民共和国」に近接する都市や道路も一時は制圧していたもののウクライナ側に奪い返されるにいたった。追放あるいは殺害するはずだった大統領ゼレンスキーは、ロシアが暗殺部隊を送り込んだという情報を入手しながらも逃亡せずキーウに留まりながらネットで精力的にロシア糾弾のメッセージを発信し、国内のみならず世界から多くの支持を集めている。国連の発表ではロシア軍はこの過程で少なくとも7,000名〜15,000名の兵士(ロシア側公表では1,300名ほど)と、軍幹部7名の戦死者を出したと言われている。

3日前3月24日のロシア軍幹部によるブリーフィングでは、「第一段階の計画は成功裏に終了し、南部での戦闘に集中する」として、キーウ占領を中心とする短期決戦計画が失敗しつつあることを事実上認めた方針転換を行なった。戦力では圧倒的にロシアに劣り、初期には劣勢に立たされていたウクライナ側が挽回し、いまや五分か優位に立ちつつある戦局にあると見ていいだろう(方針転換がウクライナ側を油断させるためのロシア軍のマヌーバーである可能性もあるが)

しかし、プーチンが侵攻当初、NATOやアメリカなどがウクライナに軍事介入することを牽制して「介入すれば核攻撃もありえる」と公然と核戦争の恫喝をかけたことや、3月に入り国連の場で、シリアで実行した偽旗作戦(自ら実行した軍事行為をあたかも相手側が行なったかのように見せかけるもの)を予想させるプロパガンダ「ウクライナが生物化学兵器による攻撃を準備している」を言い立たことは、不利に展開する戦局を一挙に逆転するための二つの切り札としていまだにプーチンの頭の中にあることは警戒すべきだろう。ロシアによるさらなる戦争拡大の危機は去っていない。現時点でも、ベルラーシの参戦やポーランド侵攻をロシアが目論んでいるとの情報が流れている。

ウクライナ政府の発表ではこの間、第二次大戦後では最大規模となる300万を越す人々がポーランド、ハンガリー、スロバキア、ルーマニアなど近隣の諸国に避難し、死者は400人、負傷者は1,500人以上に及んでいるとしている。その後、死傷者数については3月26日に国連人権委員会が死者1,119名、負傷者1,790名にのぼると発表した。

ロシア軍がどのような攻撃をウクライナに加えたかは連日メディアで報道されているので改めて言及するまでもないだろう。空と陸からの無差別的なミサイル攻撃(クラスター弾、白リン弾など国際法違反のものを含む)を中心とする軍事作戦は、ロシア軍がシリア、その前にはチェチェンで実行したものとほぼ同じであり、ジェノサイドと名付けるほかないものである。これを指揮しているロシア軍将官はシリア作戦にあたった人物と同一人だと言われている。またロシア軍がウクライナ領土にあるチェルノブイリ原発とザポリージャ原発を占拠したことも、ウクライナのみならず近隣諸国に核汚染の大きなリスクを負わせる蛮行として糾弾されるべきである。

奇妙な論理=どっちもどっち論

本稿では、今回のロシア軍の軍事侵攻とウクライナ側の抵抗・反撃をめぐってこの国で展開されている奇妙な論理を取り上げ問題にしたいが、最初に私たちの立場を明らかにしておけば、本稿の前にポストした『ロシアのプロパガンダについて』の著者Praleski氏とほぼ同一である。糾弾されるべきはあくまで違法不当な侵略者であるロシアであり、ウクライナの人々の抵抗・反撃は断固支持されるべきだというものである。したがって主張としては第一義的に「ロシアは即座にウクライナから全面撤退せよ」になる。

ところが、「いかなる戦争にも反対」の立場から、「ロシアはもちろんだが、ウクライナにも加担するべきではない」という論理(世に言う『どっちもどっち論=DD論』)がリベラルや左翼の一部から持ち出されている。便宜的にこの論理に立つ立場を「絶対平和主義」と名付けることにしよう。この立場を取っている典型はれいわ新選組である。彼らの論理は2月28日付の『ロシアによるウクライナ侵略を非難する(国会)決議について』と題されたテキストで以下のように表明されている。

冒頭で「れいわ新選組は、ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難し、
即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める立場」に立つことを示し、本来国会で決議すべきは「ウクライナ国民への人道支援のさらなる拡大と継続、及び戦火を逃れ避難する人々を難民として受け入れる」であるとし、「プーチン大統領による核兵器の使用を示唆する発言と行動に、唯一の被爆国である日本の総理として強く撤回を求めるべきである」と続く。ここまではまっとうな主張で完全に同意できるものだ。しかしその後に、決議として「今回の惨事を生み出したのはロシアの暴走という一点張りではなく、米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せずを反故にしてきたことなどに目を向け、この戦争を終わらせるための真摯な外交的努力を行う」を付加すべきだと主張するが、ここが問題である。

付加すべきだとする部分を私たちの立場から翻訳すれば「侵略したロシアはもちろん糾弾すべきだが、ウクライナの背後にはロシアとの『東方不拡大の約束』を反故にし、ウクライナをその前哨基地にしてきた欧米主要国やNATOの動きがある以上、ウクライナへの加担にも組みすべきではない」ということになるだろう。

ここでDD論が導入されているのだが、DD論を補強するために言葉が変えられていることに読者は気が付かれるだろう。冒頭では国会決議に沿って「ロシア軍による(ウクライナへの)侵略」とされたものが、付加すべきだとする決議では「今回の惨事」とか「この戦争」に変えられている。惨事は自然災害や事故によく使われる言葉であり、誰に責任があるかを必ずしも問えない不可抗力的に引き起こされた悲惨な事態をさすものだし、侵略が一方当事者による違法で不当な軍事的、暴力的行為をさす言葉であるのに対し、戦争は互いに争う当事者が引き起こしている軍事的状態をさす言葉であり、概念として異なったものだ。侵略と定義すれば誰が侵略者かを特定することになるが、戦争と定義すれば渦中の当事者すべてが戦争の主体だとされることになる。つまりロシアをウクライナへの侵略者だと断定すれば、論理的にも道理的にもとうぜん侵略された側であるウクライナを支援すべきことになるが、そうすると「どちらにも加担すべきでない」というDD論が成り立たなくなる。そこでロシア、ウクライナ双方を当事者にできる戦争という言葉が意図的に選ばれているのだ。

NATO東方進出原因論の錯誤

談話では「冷戦終結後、NATOとロシアがNATOの東方進出はしない約束を交わした」とされている史実が持ち出されているが、これについてはロシアがそう主張しているもののそれを裏付ける約束文書が存在しないために争いがあり、当時の当事者であった元ソ連書記長ゴルバチョフは約束があったことを明確に否定していて根拠として薄弱である。

「NATOが東方進出し、ロシアを軍事的に包囲しつつあることがウクライナ侵攻の原因である」とのロシア側の主張が「歴史を修正したものであり、プーチンが侵攻した真の目的は、ウクライナの民主化がロシアに波及し、自身の専制的な独裁体制が足元から揺り動かされる可能性があるためそれをあらかじめ封じ込めることにある」とする論文が出ていることも付記しておきたい。論文は共著で著者ふたりともアメリカ人であり、アメリカの旗印である「自由と民主主義擁護」に傾斜し過ぎているところは差し引くべきだとしても、NATOに対するプーチンの態度や言説が歴史的にどう変遷してきたか、これまでプーチンが周辺地域をどう軍事的に併合してきたかが詳細にたどられていて有益である。ロシアがソ連時代にハンガリー革命に侵攻したのは(1956年)、ハンガリーにおける自由化と反乱が旧ソ連圏に拡大することを恐れたためであったことを想起すると、ソ連とプーチンのロシアに帝国としての連続性があることを推測できるかも知れない。原文は「Journal Of Democracy」のサイトで閲読可能で、『プーチンが最も恐れているもの』と題されて翻訳されている。

DD論の帰結と正義

話を戻すと、れいわ新選組の立場がより直裁に表明されているのは、ゼレンスキーのリモート国会演説をめぐって書かれた3月23日付『ゼレンスキー大統領演説を受けて』の談話である。この談話では、ロシアへの経済制裁に意味がないことを指摘した後に、憲法を援用しながら「国際紛争を解決する手段として武力の行使と威嚇を永久に放棄した日本の行うべきは、ロシアとウクライナどちらの側にも立たず、あくまで中立の立場から今回の戦争の即時停戦を呼びかけ和平交渉のテーブルを提供することである」と主張されている。

これがDD論の帰結であり、率直に言って正気を疑うレベルのものである。なぜなら、ロシアだけでなくウクライナにも「即時停戦」を呼びかける「どちらの側にも立たないあくまでも中立の立場」とは、侵略された側であるウクライナの人々に対し「ロシア軍への抵抗・反撃をやめ、武器を捨てて停戦せよ」と呼びかけるものになるからであり、さらに言えば、ロシア軍の無差別的なミサイル攻撃を受けながら、抵抗・反撃しているウクライナの人々の前でこのように呼びかけることは、事実上ウクライナの人々に「ロシアに降伏せよ」と主張するに等しいからである(これを露骨に主張していたのは維新の橋下徹である)。このような主張が正義に反するものであるのは自明だと私たちは考える。ロシアに対する抗議デモでウクライナの人々が掲げたプラカードに「プーチンが戦争を止めれば、戦争は終わる。ウクライナが抵抗を止めれば、ウクライナがなくなる」と書かれていたものがあったが、DD論はウクライナの人々この切実な思いにとうてい答えることはできないだろう。

正義という言葉を出すと、「いかなる戦争にも反対」という立場から即座に「どんな戦争も正義を掲げて戦われるものだ」という反論があるだろう。それぞれが正義を主張する以上、絶対的な正義はないというわけである。しかしこの相対論的正義論は、違法(今回のロシアの軍事侵攻は明白な国際法違反である)で不当な侵略に対しては通用しない。なぜなら違法不当な侵略者にも彼らなりの「正義」があるとすれば、彼らを全面的に批判、糾弾する根拠がなくなるからである。絶対的正義があるかどうか、あるとすばそれは何かを言葉で論理的に説明することは困難だが、少なくとも「私たちは法以前に自分や家族、友人、同朋の生命や身体を脅かす者に対して抵抗し、反撃する自衛の権利を持っており、その権利行使は正義にもとづく行為と考えるべきだ」という観念は国境を超えて誰でもが共有していると考える。各国の憲法で個人の「自然権」として擁護されているものであり、国際法でも主権国家の権利とされ、刑法では違法性が阻却される正当行為として「正当防衛」と名付けられているものである。

不正義を前にして中立的立場が妥当しない場合(つまり正義を持ち出すべき場合)があることについて、3月24日に開催された国連総会で140カ国の圧倒的多数で採決された「ウクライナ人道危機の原因はロシアにある」とロシアを名指しで非難した二度目の決議の際、オーストリア代表がおこなったスピーチが3月25日付けの藤原学思氏(@fujiwara_g1)のツイートで引用されているのでか紹介しておく(ここでは国際法違反が問題とされているが)。

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なお付言すれば、これまで述べたようなれいわ新選組の不合理なDD論の展開は同党の大石あきこ衆議院議員(@oishiakiko)のツイッター上での発言に端的な形で表現されている。

絶対平和主義の罠

次にDD論の前提になっている「絶対平和主義」がどこから来ているのかを問う必要があるだろう。というのは既に指摘したように、れいわ新選組だけでなく、同様の立場を取るリベラルや左翼の人たちがいるからである。この問いは、野間易通氏が安田浩一氏との「No Hate TV」での対談(Vol 163『平和に生きる権利』)で次のような問いとして投げられている。「すべての戦争に反対という護憲的立場からすれば、かってのベトナム戦争の時にアメリカや南ベトナムと闘う解放戦線に対しても『武器をすてて和平交渉のテーブルに着くべき』と言うことになるけれど、当時そんなことを主張する人たちがいたのか?平和主義を掲げていたベ平連でも言っていなかったんじゃないか?」と。もちろん当時の世論はアメリカの軍事介入を弾劾する声が圧倒的であり、(ごく少数の人たちを除けば)解放戦線に「武器を捨てろ」などと主張する者はいなかったのである。そうするとベトナム戦争が集結した1975年から現在に到る45年の間に侵略の加害者も被害者も同列に置く「絶対平和主義」が広がったと考えるしかない。その背景には、同対談の中で野間氏も指摘していたが、①一切の戦争を禁じる憲法9条の解釈がある程度定着したことと、②革命的暴力は肯定するマルクス主義が衰退したこと、さらに③その衰退に伴ってサブカルの冷笑主義(シニシズム)とポストモダン哲学が結合して生まれた「絶対的正義など存在しない」という価値相対主義が受容されてきたことなどをあげることができるだろう。しかしこの中で他の国々には見られない日本特有な現象が①であることは確かである。では①のどこが問題なのか。

憲法九条問題

憲法九条の解釈をめぐっては戦後多くの論争があり、ここではとうてい取り上げられないが、議論抜きに結論だけを述べれば、いま「九条ではすべての戦争や武力による威嚇を放棄するとされているものの、国際法上(つまり世界では)違法不当な侵略に対する自衛権は認められている」とする立場が妥当だと考えると、戦後の論争で有力だったし、現在でもまだ一定の影響力を持っている「自衛権まで放棄している」とする空疎な解釈から派生したのが「絶対平和主義」であり、それが侵略に対する自衛ための「正義」の戦争も否定することに繋がったと考える。自衛権放棄の解釈が空疎だというのは、現代にあっても侵略戦争が歴然と存在し、したがってまたそれに抵抗・反撃する民衆の闘いも存在する現実を、いままさにロシアによる違法不当なウクライナ侵略とウクライナの民衆の抵抗闘争として私たちがリアルタイムで目撃しているからである。

ウクライナのネオナチ問題と陰謀論

次にDD論が陰謀論に傾斜しやすいことを指摘しておきたい。ロシアのウクライナ侵攻をめぐってウクライナ側にも問題があるとする論者がよく持ち出すのは「ウクライナにはアゾフ連隊などのネオナチが存在し、ウクライナ正規軍にも組み込まれていて無視できない勢力を持っている」という主張である。これはウクライナの人たちも認める事実である。ただし「無視できない勢力」とはどの程度のことをさしているかについては、たとえば冒頭にあげたウクライナ出身のPraleski氏が指摘しているように、現在のゼレンスキー内閣の背後でその政策に大きな影響を与えているほどの「勢力」だと言うなら、明らかに誇張されたプロパガンダの類であり、まして「ネオナチは西側のNATOと結託し、ディープステートの命令で動いている」などと言うのは陰謀論に他ならない。この陰謀論が現在Qアノンによって拡散されているのは知られた事実である。なお、2014年のウクライナマイダン革命で結成されたアゾフ連隊はウクライナ民族主義を掲げ、ネオナチも構成員としていたが、現在はウクライナ国家親衛隊という正規軍に組み入れられてその指揮下にあり勝手に動いているわけではなさそうである。彼らの憲法改正案をネットでも知ることができるが、国粋主義であることは明らかであり、反ロ排外主義的な主張が盛り込まれているものの、ヨーロッパのネオナチのメルクマールである反ユダヤ主義は掲げられていない。ウクライナ大統領ゼレンスキーがユダヤ人としての出自を持ち、その内閣の指揮下にある正規軍に所属していることも反ユダヤ主義と整合性が取れていない。その限りで、警戒はすべき存在だとしても現在では極右ナショナリストの範疇にとどまっていると評価して大きな間違いではないだろう。ここで前掲のPraleski氏の評価を引用しておく。

これまで議論してきたことからいえば、プーチンにとってファシスト国家とは、ロシアが自分の領域だとみなしている地域でロシアに忠誠を誓わないすべての国家のことさしている。実際には、ウクライナはロシア以上に多元的社会だ。議会における代表者も時間とともに選挙の論理に従い多元的になっている。ところがプーチンは最近のスピーチで、このことが「失敗したファシスト国家の兆候だ」と言及している。確かに極右と結びついている政党は存在しているが、成功しているとは言い難い状態にある。これらの右翼勢力を軽視すべきではないが、現状はとうていウクライナが彼らの支配下にあるとは言えない。ロシアとは対照的に、ウクライナの政治権力は多くのアクターたちの間に分散している。


以上から、「ウクライナをネオナチの影響から解放する『非ナチ化』のために軍事侵攻が必要である」というロシアの主張はウクライナ支配のための口実(プロパガンダ)に過ぎないと私たちは考える。補足すれば、ロシア国内にもプーチンと繋がりを持つと言われているワグナーグループなどのネオナチが存在していることはいま問わないとしても、ヨーロッパ諸国にも存在している以上、ネオナチを許せないのがウクライナ侵攻の理由になるなら、ロシアの一存でヨーロッパ諸国にいつ軍事侵攻して構わないということになる。このことだけでもロシアの理屈が成り立たないことは明白であろう。また、DD論が陰謀論に傾斜しやすいのは、DD論の依って立つ「絶対平和主義」や、その背後にある「価値相対主義」が現実と遊離した空疎な観念だからだと思われる。現実と遊離してることでエアポケットが生まれるが、そこに「世の中の誰も知らない隠れた全能の支配者」を想定する世界物語=陰謀論は忍び込みやすいからだ。

ウクライナ民衆の闘いの意味

DD論や陰謀論の弊害はそれだけではない。どちらも国家間、あるいは隠された世界支配者との争いととらえることで、ウクライナの人々の闘いを見えなく(不可視化)させてしまうのである。不可視化されるのは彼らの苦しみや身命を賭した抵抗・反撃だけではない。ウクライナの人々の闘いはあくまでロシアの侵略に対する自衛のためのものであるが、しかしそれは同時にロシアの帝国主義的拡張をウクライナで食い止めようとしていることによって、ベルラーシが典型であるようなロシアと当該国家の独裁者の専制支配に呻吟している周辺諸国の人々、さらにはプーチン独裁の下にあるロシアの人々に抵抗する勇気を与えていることも見逃されてしまうのである。これが、ウクライナ民衆の闘いの意味であり、私たちがDD論や陰謀論に与すべきでない理由である。

DD論者

ここまで、旗揚げから現在にいたるまで留保付きながらも支持してきた私たちとしては残念であるが、DD論の典型としてれいわ新選組の主張を批判してきた。(れいわ新選組に対する私たちの見解ついては『衆院選に突入したれいわの現在』を参照いただければ幸いである)。同様の主張を展開する論者は他にもいる。ここでは自公政権の腐敗を舌鋒鋭く批判してきたジャーナリストの鮫島浩氏のテキスト『正義は主張しても「正義を実現するための戦争」には肩入れしない。平和憲法を持つ日本の取るべき道は「国家より個人」を重視すること』(3月27日付「SAMEJIMA JOURNAL」)と、世論調査で新境地を開き、時に根底からの政治批判を展開する三春充希氏のテキスト『ここからはじめる平和――何もかもが戦争の論理に飲み込まれてしまう前に』(3月16日付)を紹介しておきたい。れいわ新選組を含めこれら「絶対平和論」に立つ論者がいずれも善意のヒューマニストであるのは疑いないし、尊敬すべき人たちである。しかし上で述べてきたように、その立場が空疎であるがゆえに、それぞれの主観に反し結果として正義に反する主張を生み出してしまっていることは、つまり「地獄への道は善意で敷き詰められている」ことは批判せざるをえない。

まとめ:ウクライナとチェチェン

散漫になってしまったが、あらかたの論点は取り上げたつもりなのでここでロシアのウクライナ侵略をめぐる「奇妙な論理=DD論」批判をひとまず終わることにしたい。

現在ロシアとウクライナの和平に向けての動きが始まっているが、ウクライナ側はロシアの要求に沿ったかたちで「ロシア軍が完全撤退し、関係諸国が安全保障を約束するならNATOに加盟せず中立の立場をとってもいい。また領土問題も協議対象にするがその場合は最終的には国民投票の実施が条件となる」と譲歩を見せているものの、ロシア側は具体的な譲歩案を出していない。それどころか和平に向けた協議をすると言いながら、キーウへの再攻撃も開始したとか、もっとも激しい攻撃を加えたマリウポリでは、かってスターリンがやった「強制民族移住」を想起させるような子供たちを含む2,000名以上の人々をロシアに連行している(人質のためか?)との報道さえ流れている。後者は国際法違反が明白な極めて理不尽な蛮行であり、和平への道は険しいものになるだろう。早期に和平が実現することを望む立場から、ウクライナの闘いを支持しつつ、ロシアに対し「ウクライナへの攻撃を直ちに停止し、軍をウクライナから完全撤退せよ」の声をさらに大きいものにしていかなければならない。

最後にすこし長いものだが、私たちとほぼ同じ考え方が過不足なく簡潔にまとめられているチェチェン支援に取り組んでこられた団体からの声明を、拡散も希望されているので本稿のまとめとして全文引用し紹介したい。

ロシア軍のウクライナ軍事侵攻に関するチェチェン連絡会議声明」(3月23日付)

2月24日に始まったロシア軍のウクライナ軍事侵攻は、日を追うごとに悲惨さを増しています。ウクライナでは子どもや一般市民を含む大勢が戦争の犠牲となり、女性や子どもたちを中心とした多くの難民が、着の身着のままポーランドなどの隣国に逃れています。

プーチン大統領が命じたこのロシア軍の軍事侵攻に対して、長年チェチェンにおける平和の回復と支援を行ってきたチェチェン連絡会議は、戦闘の即時停止とロシア軍のウクライナからの完全撤退を求めます。

ここで私たちが関わってきたチェチェン戦争について、改めて振り返ります。1994年12月に始まったチェチェン戦争は、ロシア連邦からの独立を目指していたチェチェン共和国に対してロシア軍が突如軍事侵攻したことにより始まりました。しかしこの第1次チェチェン戦争は、人口わずか100万人あまりの小国チェチェンが、大国であるロシア軍を追い詰め、実質的な勝利のうちに停戦に持ち込むことができました。それは、チェチェン側が徹底抗戦したことと、その一方侵略したロシア軍側の士気が低い上に、徴兵されたばかりの若い新兵が戦場に送り込まれて無駄に大勢が死んでいったからです。そのためロシア兵士の母親を中心にロシア内でも反戦の声が強くなりました。

しかし1999年9月に始まった第2次チェチェン戦争では、開戦前に当時のプーチン首相が計画的な謀略テロ事件を仕掛けました。それはモスクワで起きた死者300人とも言われる連続爆破テロ事件でした。この事件は後にロシアの情報機関であるFSBの自作自演の犯行であったことが、FSBの要員だったリトビネンコ氏の告発により明らかとなりました。しかし、彼はその後亡命先のロンドンにおいてロシア政府により暗殺されてしまいました。

この自国民をも殺戮した偽りの爆破テロ事件により、プーチン首相はロシア内の世論を掌握し、停戦を無視して、チェチェンへの再度の軍事侵攻を強行しました。ロシア軍による激しい無差別空爆などによって、チェチェン側は徹底的に破壊され、人口100万人のうち20~25パーセントの市民が殺されたと言われています。

そしてチェチェン側は全面敗北に追い込まれ、山岳地帯や国外に逃れたチェチェンの独立派の指導者たちは、マスハドフ大統領を初めすべてロシア軍により殺されてしまいました。この第2次チェチェン戦争によってプーチン大統領が誕生しました。チェチェンはその後プーチン大統領に忠誠を誓う傀儡政権のもとで、人権を無視した恐怖政治が続いてきました。

この間ウクライナで起こっていることは、まさにこの悲惨なチェチェン戦争と同様のことです。プーチン大統領は様々な偽情報をまき散らしながら、ウクライナを蹂躙しています。住宅はもとより、病院や避難所に対してすら平気で爆弾を打ち込み、無差別攻撃という非人道的な戦争犯罪を強めています。国際社会はチェチェンでの悲劇を再び繰り返すような戦争犯罪を絶対に見逃してはなりません。

今、日本を含む世界各国でウクライナへのロシア軍の侵攻に反対し、平和を求める声が大きくなっています。一方で日本の中では、ウクライナ側に降伏を求めたり、あるいはプーチン大統領のプロパガンダに結果的に加担してしまうような主張が一部に出るなど混乱していることに、私たちは大きな危惧を抱いています。以下、いくつかの点について私たちの考えを明らかにします。

,ウクライナ側の降伏は、すでにウクライナ南部で行われているような住民のロシアへの強制連行など悲惨な事態をもたらし、ロシアへの属国化を進めることになりかねません。プーチン大統領が主張する「ウクライナの中立化と非軍事化」という要求は、自分の言いなりになる完全な属国化を意味します。だからこそ、ウクライナの人々は軍事侵攻に対して自分たちの存在を賭けて全力で抵抗しているのです。ウクライナの人々にとって全面降伏はあり得ない選択です。

,プーチン大統領がウクライナ侵攻の目的として挙げている、ルガンスク、ドネツクの親ロシア派自治区をウクライナ側からの虐殺から守るという主張も真実ではありません。それは単なる口実に過ぎず、プーチン大統領は親ロシア派自治区の独立を一方的に承認しただけではなく、ルガンスク、ドネツク州全域の支配権を要求し、それをさらに拡大しようとしています。ロシアが2014年に武力で併合したクリミア半島と同様にウクライナを分断して自らのものにしようとしています。

,プーチン大統領はウクライナの「非ナチ化」を掲げ、ゼレンスキー大統領などの「ネオナチ」勢力を排除することも侵攻の目的にあげています。しかし、ユダヤ系ウクライナ人であるゼレンスキー大統領が「ネオナチ」だという証拠はなく、一方的なレッテル貼りに過ぎません。ウクライナの一部に右翼的な勢力がいることは事実かもしれませんが、だからと言ってウクライナが「ネオナチ」に支配されているというのはまったくの陰謀論であり、でっち上げに過ぎません。むしろ、プーチン政権といわゆる反米機軸のヨーロッパ極右勢力との長年の結託、及びロシア系住民の保護という名の周辺国領土の簒奪は、まさに自らのナチス的本性を暴露しています。

,NATOの東方拡大はロシアに対する脅威であり、ロシアは挑発され続けてきたというプーチン大統領の主張も、侵攻の正当性を認めるものではありません。ロシアはエリツィン時代から、周辺国の内政に干渉し、いわゆる未承認国家を量産してきました。その結果が、周辺国に危機感を醸成し、NATO加盟の機運を高めたのです。チェチェン戦争後も、ロシアは2008年にジョージア(グルジア)内の南オセチアとアブハジアの分離独立を狙って軍事侵攻し、さらに2014年のウクライナのクリミア半島への侵攻による一方的併合とルガンスク、ドネツクの親ロシア派自治区での戦闘など、一貫して周辺諸国への軍事侵攻を繰り返してきました。今回も昨年からウクライナ周辺に大量の軍隊を集結させ、軍事演習と言いながら圧力を加え続けてきたのはロシア側です。NATO東方不拡大のいわゆる約束論は、ロシア側が一方的に主張しているもので根拠薄弱です。

私たちはイラクやアフガニスタンなどで米軍やNATOが行ってきた不当な軍事行動を決して認めるものではありません。しかしながら今回のロシア軍のウクライナ侵攻は、NATOからの挑発などの理由をつけても正当化できないものだと思います。NATO側は少なくてもロシア領内を攻撃することは絶対にできません。それは世界を破滅に導く核戦争に直結するからです。だからこそウクライナに対しても一貫して直接の軍事介入を拒否しているのです。侵攻したロシアも悪いが、挑発したNATOも悪いという指摘は、今回の軍事侵攻の責任をあいまいにするだけです。

,ウクライナにおける事態を利用して、日本の中で自衛隊の増強や憲法9条の改悪をめざす動きがあります。私たちはそれを容認することはできません。しかしながら、ウクライナの人々が自らの生存と尊厳を守るための必死の抵抗を否定することはできません。日本における「自衛権」の問題などと安易に結び付けて論ずるべきではないと考えます。

,今回の事態により、ウクライナの問題を超えて、日本においてナショナリズム・愛国主義の賛美につながるという危惧が一部から出ています。しかしウクライナの人々が掲げている「愛国主義」は決して閉ざされたものではなく、世界の人びとへ開かれたものではないでしょうか。ウクライナの国旗は、今や世界的に反戦と抵抗の象徴となっています。ゼレンスキー大統領を始めウクライナの人々は、すべてをオープンにして世界の平和を願う人々とともに抵抗を続けています。日本の「日の丸」「君が代」の強制などの問題と切り離して冷静に考えるべきです。

,ロシアの中では反戦を願う市民やジャーナリストが厳しい弾圧にさらされています。プーチン大統領は一貫して言論・表現の自由を奪い続けてきました。チェチェン戦争の非道さと人権侵害を告発し続けてきたアンナ・ポリトフスカヤさんをはじめ、ロシアでは多くのジャーナリストなどがこれまで暗殺されてきました。ウクライナの平和を願うと同時に、私たちは民主主義の実現を目指すロシア人自身のさまざまな創意工夫や行動に連帯を表明します。この戦争に反対することは、非人道的で正義に反する軍事侵攻に加担させられ、使い捨てにされている、多くの若いロシア兵の命を救うためにも必要なことです。

以上の視点を踏まえて、日本におけるウクライナ軍事侵攻に反対する声をさらに大きなものにしていきましょう。私たちは軍事同盟ではなく、世界の市民の連帯した力で平和を実現したいと考えます。世界の平和を求める人いと共に、この戦争を止めましょう。そしてウクライナの人々への支援を広げていきましょう。

ウクライナに平和を!

2022年3月23日

チェチェン連絡会議

代表:青山 正(市民平和基金代表)
メールアドレス peacenet@jca.apc.org


なお本稿で取り上げた論点を別の角度から見た場合や、触れられなかった点についてはツイッターのログを時系列で追っていただければより理解していただけると思います。リツイートも含みますが、ツイログから一覧可能です。

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