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れいわ新選組を追う

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2020年1月の記事一覧

個人と集合的な力

ポピュリズムがなぜ肯定されるべきかといえば、国家権力の専横を阻止したり、社会を変革できるのは、名もなき人びとの集合的な力によってだけであると考えるからである。国民代表機関だとされる議会だけでは(さらには選挙だけでも)それは不可能である。しかし前ポスト『なぜ左派ポピュリズムか』で触れたように、人びとの集合的な力が右に振れる時、ファシズムを生み出すことも歴史が示している。 ファシズムとは一言でいえば、ある理想社会の実現を掲げながら、最後は人間の大量殺戮を合理化する政治体制だとい

単独の結節点としてのノード

すこし抽象的なポストが続いたので、いったいどんな前提で書いているのかよく分からないというご批判があるかも知れない。そこでもう7年ほど前(2013年)にまとめたものになってしまうが「ノード連合のために」とタイトルを打ったメモがあるので、ここに再録しておきたい。 ----------------------------------------------------------------------------- まず何よりも、言葉が紡ぎだす物語(観念世界)をカッコに入れる

たたかいの意味

人びとのたたかいは、何としてでも守るべきものや、どうしても許してはならないものをめぐって起るものだ。だから人びとが立ち上がり、敵に対峙する時に、たたかいの勝敗はその念頭にはないだろう。 しかし、たたかいが共感を呼び、参加する人びとの輪が広がり、それとともにさらに敵との攻防が激しさを増してくると、どうしてもある局面で、これからのたたかいの展望が問題になってくる。とりわけ犠牲者が出はじめる局面では。 時には敵が譲歩し、その結果、一時的に成果を手にすることがある。一時的な勝利。

れいわ新撰組の候補者選び

れいわ新撰組の次期衆院選に向けた候補者公募、昨年末で応募者数が300名を超えていたが、現時点で400名を超えているとのこと。かねてから予定候補者数は100〜130名とアナウンスされていたが、この数字はやはり瞠目すべきものであり、れいわの登場に触発され、自分も政治の世界にと思う人たちがいかに多いかを物語るものだ。もちろんその中には、れいわの勢いに便乗し、議員になることをメシの種にしようとするただの機会主義者も含まれているだろうが。 しかし問題は、候補者選びが山本太郎氏を含むれ

柄谷行人『世界共和国』について -否定神学的に

概念とか観念は人間を含む世界の一部を構成しているのは確かだが、決して現実の総体をとらえることはできない。こういう立場から、ある概念や観念を考えるとき、その論理に矛盾する事実を提示したり、あるいはそれが誤っている可能性を指摘し、その基盤を揺るがすことで検討することしかできないだろう。「そうではない」また「そうでない可能性がある」と主張することである観念(理論)を批判する方法は一般に「否定神学」と呼ばれるが、ここでもこの方法を取ることになる。 2006年に発刊されたこの著作を全

正義 ーデリダの幽霊とゾンビー

これまで、国家の意味について、優性思想、人間の選別、「人にあらざるもの」の創出と追放隔離、強制収容所、総力戦、絶滅装置、怪物、戦争機械などの概念を使って考えてきたが、ここで、幽霊とゾンビを追加しておきたい。(以下は2017年4月にサイト「ノード連合」に掲載したもので、タイトルのみ変更) ジャック・デリダは、言語、法とならんで、国家も、原初的に「他者」を外部に暴力的に排除することで成り立つものであり、その排除はたえず反復されているととらえる。同時に、排除は決して完全に成功する

絶滅装置としての国家

近代国家は、優生思想によって人間を選別し、国家にとって無価値な人間を法外に追放し、最終的には強制収容所内で殺戮する衝動をその成立とともに内包していることを前ポスト『新反動主義と優生思想』で指摘した。 またその選別は、エリートと大衆に収斂し、大衆はエリートのイデオロギーへの同一化を強いられ、このこともエリートを大衆の殺戮へと誘惑する動因となることも指摘した。 人間の同一化がなぜ死を呼び寄せるのかを再度繰り返せば、「他者の同一化」に向う欲望は、死への欲望(タナトス)であり、あ

「新反動主義」と優生思想

近代以前の身分制社会のほうが、社会はより安定し、発展する、つまり少数のエリートが支配する社会のほうが望ましい、また巨大な国民国家より複数の小都市国家の並立がより機能的だと、カーティス・ヤーヴェンらの「新反動主義」者たちは主張する。背景には、リベラルデモクラシーに対する絶望、企業の力が国境を越え、これまでの国民国家が桎梏になっているという認識があるのだろう。その一人ピーター・ティールは「民主主義と自由が結びつくとはもはや信じない」と語る。 資本主義の発展は、人間を均一化に追い

ラヴクラフトの怪物たち

前ポストで、ドゥルーズ/ガタリによりながら、出来事による他者との遭遇で人が生成変化していくことについて触れたが、その意味について昨年書いたメモをポストしておきたい。 ---------------------------------------------------------------------------- ラヴクラフトの名を知ってからずいぶん時間がたっているが、実際に読んだことはない。たまたま先日、NHKBSで佐野史郎が狂言回しを務める彼の特集番組があり、興味

なぜ左派ポピュリズムか?

ポピュリズムとは何かについては、Wikiの表現を借りれば「大衆の権利や利益を守るため、その直接的な支持の下で、既存の体制やエリート、エスタブリッシュメントを批判する政治姿勢」とひとまず要約できるだろう。「人民主義」や「大衆主義」という言葉が当てられるが、現代の文脈でいえば、これまでの議会制民主主義が機能不全に陥る中で、既存の回路ではなく、直接民衆の声に依拠して政治改革をやり遂げようとする試みということになる。 既存勢力やエリートたちが、自分たちを否定するポピュリズムを「大衆

れいわ新選組への恐怖

昨年、山本太郎氏がれいわ新選組を一人で旗揚げしてから、立憲民主党(以下立憲)の支持者の一部がツイッター上でれいわ新選組(以下れいわ)を叩き始めた。れいわが掲げている政策の多くは立憲のそれと重なっているので、本来は、れいわ旗揚げ時から、ともにアベファシスト政権を倒すための友党として歓迎していてもおかしくない。れいわから見た立憲の位置も基本的に同じであろう。実際7月の参院選で山本太郎氏は、仙台の石垣氏や大阪の亀石氏などの立憲候補者の応援に入っている。 では、なぜ叩くのか、私には