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誰のために何のために書くのか。窪塚洋介(偽)に諭された話

※注:これは誰かを責めたりしたいのではなく、自分の中で言葉が弾けたというお話です

おことわり

人は、自分が気にしているダメな部分に対して、他人から核心を突かれた言動を受けると反発しがちだ。

「なにをぉぉおお!!」(心の声)

今までの人生を振り返って思い出してみて欲しい。山ほどあるんじゃないだろうか?

会社で社内メンバー会議。相手は上司。発言の違和感を見過ごすこともできず、言われたくないだろうことを仕方なく指摘したとき、急に激昂された。(ダメ上司)

友達にさらりと言った冗談が、何もそこまで……と思うレベルでめちゃくちゃ怒られた。
いや、そんなつもりじゃなかったのに……

怒りはそのあと相手の言葉を全て打ち消すように発される。

怒りや攻撃とは、少なくとも【何かを守る】ために発動するものである。


さて、自分の話を少し聞いてください。

毎日note更新にチャレンジしていました。

放課後ライティング倶楽部ウエダヤスシさん主催企画で「66日ライティングxランニング」をすっころんで【脱落】した私は、「ひとり66日ライティングxランニング」のタグを新たに作り出して毎日投稿する、ただそれだけの目的で再び走り出しました。

いつしかふたつのテーマ(140文字小説と<今日の短歌>)を書き、それぞれの背景を書く形におさまって投稿し続けたのです。

上記の投稿も実は投稿時間をよく見ると朝6時になっています。毎日投稿といえばだいたい日が変わる前(0時)までに投稿するのが一般的なんですが、前日夜に缶チューハイ一杯飲んだだけなのにスコーンと寝落ち……(弱いのに飲むヤツ)

しがみついて投稿し続けよう、形だけでも投稿しよう、と中身がなくても投稿していました。

例えば、140字小説。

基本的には0時までには何かを投稿しようとしながらも、仕事終わりが遅くなって間に合わないとき……

(考え中)

の一行だけ。なんソレーーー!?
申し訳ございません……

一番ひどかったのは、<今日の短歌>は短歌のみ。140字小説も(考え中)で、短歌の背景説明もなく……未完のときはタイトルを「無題」としていたつもりだけれど(今思えばほとんどの人が気づかないネーミングだからコレもダメだと思う)、翌日の午前中あたりに追記して完成しているような状況が続いてた。

そんなことを続けて、140字小説も43/66話に差し掛かったとき、いつも面白い投稿をしている北海道札幌市の怪物noterイトーダーキさんのX投稿を見た。コレ↓


グワシと心臓を掴まれて、どんどん締め付けられる感覚。

イテテテテテ……

キリキリ……グイグイ……ギュウギュウ……ヤーーメーーテーーー!!!

あまりにも響いてしまって堪えられない。
まっすぐこちらを見つめてくる窪塚洋介の目を直視できない。

もちろん普段のイトーダーキさんは唐突にこんなことは言わないけれど、この窪塚洋介の姿と形を借りて言ってる。(あぁ、確かにこりゃキングなら言うね)

あああぁぁぁ……


すぐに「イイね」なんて押せるわけもなく。でも、目を逸らすな、目を逸らしちゃいけない!! 分かってる……だから必ずここには立ち戻らなきゃと思ってURLリンクを保存して画面を閉じた。(あとになって心の整理ができてから共感の「イイね」を押しました)

そこから考えた。

自分がやってきたことは、「完結しない文章」を偶然何かが気になって読みにきてくれた読者に対して「タレ流してた」ってこと。読者の時間を「無駄に奪った」ってこと。うん、間違いなくやってた。

2000年に放送されて爆発的人気を得たテレビドラマ。『池袋ウエストゲートパーク -I.W.G.P. -』(脚本:宮藤官九郎)。この写真は絶大な人気を誇っていた窪塚洋介の役名「キング」のキメ写真だ。腹が立つほどカッコいい。

彼がこのポーズで言い放ったこの言葉。

『クソみたいなクオリティの文章』

自分が毎日書いていた文章はまさにこれに当てはまってるし、自分でもそう思った。ぐうの音も出ないし、反論も言い訳もない……

文章世界で生きるなら、生み出された文章という結果でしか評価はされない

きっとnoteの中にはふたつの世界がある。

日記のような誰でも書けるし、受け入れられる優しい世界。もうひとつは文豪、文章の変態たち、怪物たちが跋扈ばっこする、書き手はヤるかヤられるか覚悟と誇りを持つ者たちがひしめき合う修羅の世界……

自分の最終目的地は後者、ならば初心に戻ろう。ちょっと休もう。

そもそも自分の垂れ流した文章の何がマズかったのか。いつしか定型文章化していたフォーマット(140字小説と今日の短歌の二本立て)に意味なくこだわってしまった。間に合わないなら定型を崩すべきだった。

生み出される文章はナマモノの方が美味い。
下手な枠組みは不味くする。

『(考え中)』など、もっての外だったと気づいた。

noteに投稿するということは、読者に完結した文章(仮に時間が足りなくて追記するとしても、頭から最後まではひとつの読み切る内容であるべき)を読んでもらう。

毎日更新はぶっちゃけ自分のためにやっていた。これは間違いない。その上で、他の誰かに刺さる記事が書けていたら嬉しいし、そうしたいと思っていた。

でも、毎日更新が読者を無視した内容だとしたら本末転倒じゃないか?

誰のために?


文章って自分のために書くことが基本で、何も問題ないんです。私はそう思う。

え? と思ったかもしれませんが、大切なのはそのあとです。自分のためと読者のために。片方ではダメなんです。

「誰かが読む前提」の視点を持って、読みやすく面白くなるように推敲する、この行為が自分のために書いた文章が輝くか、タレ流しで終わるかの大きな分岐点なんだと思い出しました。

何のために?

何のために書くのか。これはきっと人それぞれで、永遠の問いかけかもしれない。

でも、今考えつく答えは準備できる。

キングが言うように「毎日投稿が悪いんじゃない」のです。

毎日投稿の目的は、文章筋トレみたいなもの。自分が伝えたい内容を誰かにうまく伝えられるようになるためには必須なんだと思う。

でも、忘れるな。読者がいることを。


キング・イトーダーキさんは、そう言ってクールな言葉に乗せて忘れちゃならない真実を伝えてくれたのだ。

ちょっぴり刺さったけど、響きました。

ダーキさん、ありがとうございました!!


そんなダーキさんのnoteはこちら↓
キング・イトーダーキの硬派さは微塵も見せないダーキさんが好き。

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