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福岡コロナ茶番チラシ配りの会の2021年8月1日の街頭宣伝での人民仮面のスピーチ全文

8月になりました
たいへん暑い季節になりました
マスクを着けてご通行中のみなさん、こんにちは。ご苦労様です
マスク生活にはすっかり慣れましたでしょうか
これからは一生、未来永劫・子々孫々マスクをつけて生きることになります
覚悟はできましたでしょうか
ビニールシートのぶら下がったレジ、おつりをいったんお皿において受け渡し、アクリル板で仕切られたカウンター、これらは早くも新しい日常になってしまったのでしょうか

いつかもうマスクを着けなくていいよと言ってもらえる、ビニールシートやアクリル板を撤去するよう号令がかかる日がくる
そんなことを夢見ている方々には大人しくマスクを着けて待ってさえいればいつかその日が来るのだろうかということを考えていただきたいのです

一昨年の今ごろであればみなさんこんなにおおぜいマスクをつけて街を歩いている異様な光景などマンガのなかのお話でした
当時のみなさんが今のお店のビニールシートやアクリル板を見たら「パナウェーブ研究所かよ」とツッコミを入れたことでしょう
だがその年の除夜の鐘は最後の除夜の鐘になってしまいました

昨年の1月に日本に上陸したのはウイルスではない
上陸したのは狂気でした

今さらトイレットペーパーがお店からなくなったりしてまるでオイルショックでしたが、今から思えば狂気が上陸してきた、狂気が自分の生活の周りに迫ってきた瞬間でした

昨年の最初の緊急事態宣言が出される前から多くの催し物が中止に追い込まれ多くの人が涙をのみ、苦しみ、日常は破壊され始めていました

「今だけ」「今だけだから」「今これさえ乗り越えれば」
緊急事態宣言が出される前から言われていたし今なお本当に期間限定ですむはずだと思っている人がいます

私はこんなことを始めて「今だけ」ですむのかなと思っていたのですが、やがて「これでは戒厳令ではないか」というような布告を可能にするような法改正を企まれていることを知りました
2010年代とは集団的自衛権を合憲とする憲法解釈をとつぜん打ち出されてからこのかた、戦争法反対・共謀罪反対・特定秘密保護法反対など、ひさびさに市民運動が隆盛をきわめた時代になりましたが、これに続き、そして最後のたたかいが始まっていることを感じました
いずれも日本の憲法を改正しなければなしえないはずのことをなし崩しになされてきたものでしたが、ついに至ったこの緊急事態宣言とは その極致でありました

そして昨年、5月6日を迎えても、非常時を演出するのは「この日でおしまい」とは、やはりなりませんでした
そしてもう1年以上が経ちましたが今に至るまで「今だけだから」を続けてきました
福岡においては6月20日に緊急事態宣言が、7月11日までで蔓延防止重点措置なるものも解除されたはずでしたが相も変わらず電車やバスやお店ではマスクだの、ソーシャルディスタンスだの、ニュースや新聞をみればなお前代未聞の非常事態とのたたかいを毎日演出されつづけ、あげくまた緊急事態をやろうという動きが報じられています(※)

非常時というのはエラい人には普段できないような好き勝手が実にやりやすいので、ずっと続けていたい人たちがいるのだと思いますが、ここまでくるとむしろ非常時を始めてしまった人たちにとっては非常時をやめてしまうとこれまでの膨大なコロナ対策被害の責任を問われることになってしまう、それで後に退けなくなっているとも思えるのです
彼らにはもう帰る場所はありませんが私たちがつきあう必要はどこにもないのです

さて、この壮大なごっこ遊びに、そうではなくもっと戦略的に抑え込みに力を入れていけばいつか感染者をゼロにできるのでしょうか?
抑え込みの手段として提唱されるものは、いずれも人権侵害と背中合わせです

まず、ワクチンへの懸念については今日もお配りしているチラシをご覧ください
治験中の薬を非常時であると言って倒れようが死のうが自己責任にして打ち続ける
「クラスターが出たらどうするのか」などといってみなさんに責任をつきつけ萎縮させ続けながら、あの注射だけは倒れようが死のうが誰も責任をとらず打ち続けている
私たちはどれほどの無法と暴力に今さらされているのかということに気がついていただきたいのです

ゼロコロナ戦略にともなうであろう人権侵害についてはワクチンの問題だけではありません
今回の新型コロナウイルスなるものは発症したら肺炎がたいへん苦しいといいます、が、みなさんが本当に恐れているのはそんなことではないでしょう
PCR検査で感染しているとされたら会社やお店を閉めなければならなくなる、職場の仲間や子どものクラスメイトの親御さんやあるいはご近所から「あいつは遅くまで飲んでいた」とか「マスクをつけていなかったんだろ」などと後ろ指をさされたり……といった社会的に追い込まれる構造をすでにつくられていることの方がよほど恐ろしく感じておられるのではないでしょうか

症状もないのにわざわざ検査を受けるなど「藪をつついて蛇を出す」ことになりかねないので受けたくないという人も少なくないと思いますが、そうした人にも検査を強制することになってしまうでしょう
これまで抑え込みに成功したとされる国は検査で陽性反応が出たらその人のおつきあいや行動経路までプライバシーなどおかまいなしに根掘り葉掘り調べ上げられたと聞きました
いわゆる抑え込みとはここまでせねばうまくゆくものではなく、またこのような方法で抑え込みに成功したとしたら、人権侵害をもって全体の目的を達することに成功したという前例を残すことになり、その先の未来には結局基本的人権をないがしろにする全体主義の暗い影を残すことになるでしょう

そもそも感染症対策とは厚生労働省や保健所の仕事であって私たち国民がここまでつきあわされるいわれはありません

戦争はもう76年も前に終わりました
わが国は戦争をしない国になりました
国民精神総動員運動だの国家総動員法だのに私たちは二度と協力しません
マスクもワクチンもPCR検査も現代の国民精神総動員に協力するか否かを私たちに迫るいわば踏み絵として機能しています
しかし、日本国憲法施行後、生まれ変わった日本国国民は二度と全体主義に協力するか否かを迫る踏み絵を踏むことはありません

いつか「もうマスクを着けなくていいよ」と言ってもらえる日を待っていても、来ません

今できる正しいことを自ら行うしかないのです

マスクをつけろと貼り紙がしてあったかもしれない、アナウンスが流れたかもしれない

それでもマスクをつけたのは自分の両手以外のなにものでもなかったはずです

だから今日、いま、自分の両手でマスクをはずしましょう

マスクをつけた自分の両手でマスクをはずしましょう

そう、私たちにはできるのです

地下鉄でバスでお店でどんな貼り紙がだされていようとどんなアナウンスが流れていようと自分の両足で突き進むあなたを、もう誰も止めることはできない

主人公は私たちなのです

自由万歳!

日本国国民、〇〇〇〇(人民仮面の本名)が申し上げました
ありがとうございました


※福岡では今日から蔓延防止重点措置がふたたび始まっていたことは街頭宣伝に行って聞いて初めて知りました

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