もものかんづめ に憧れて

はじめに

これは昨年(2023.10.17)スマートフォンのメモに殴り書きした
エッセイに憧れた文章です。
noteに移すにあたり特に推敲はせずその時のままの文章になっています。
カッコ書き内などは少し注釈は入れています。

以下です

もものかんづめ に憧れて

10年ほど前から読みたい読みたいと思いながら読めていなかった本をようやく手に取った。
さくらももこの「もものかんづめ」である。
読みやすい。面白い。ハートウォーミング。といった感想を複数人から聞いていて、
かつ幼少期にちびまる子ちゃんを読んで楽しんだこともあったり、
最近になってコジコジのアニメをみてはぁ可愛いなあと思ったこともあって、ずっと頭の片隅に「読みたいなあ〜」と引っかかってはいた。
とくに何がきっかけでということもないのだが、最近買って読み始めた。

少し話は脱線するが最近ブログを始めた。(noteではなく別のブログです)
絵に関して同じ悩みを抱く人の助けになりたい、
ついでに自分の忘備録として残しておきたい。という思いから始めたのだがどうにも筆が進まない。
私より絵が上手いひとはいっぱいいるしな〜とか、
文がまとまらないな〜…とか、
文に合う画像を自分で描いて添えたいけど、しょうみ、たるいな〜…とか、
色々な雑念が頭をよぎってちっとも進まない。
ショバ代(サーバー代)だけ払って放置してしまっている。

ああ、やらなければ…でも嫌だ…と、ない締め切りに追われ、
いない担当編集者にない連載を催促される、
架空の文豪の気分で毎日を送っている。
ようは毎日自分で自分の首を締めている状態に追い込まれてしまった。
1人で勝手に崖ぎわに立って、キャー!と慌てている。

そんな日々で笑いや癒しがほしいなあと思っていたこと、
文章の書き方のヒントをなにかから得られないかなあと思っていたこと。
いま「もものかんづめ」を読み始めるのはある種必然だったのかもしれない。

読み始めた。
たしかに面白い。なんて事のない日常を面白く、
でも、どや、おもろいでっしゃろ。の押し付けは感じさせずに綴れる人はどのくらいいるのだろう。
さくらももこさんのユーモアたっぷりの文章を読みながら、
電車で笑いをこらえて微振動するやつになってしまった。
ただ読み始めて思った。
これなら私でも書けるのではないか?
気軽に日常の思ったことを書いていけば、なんか、なにかが、変わるというか…なんとかなるのではないか?
と身の丈にも合わない希望を抱いてしまった。
さくらももこによって抱かされたのだっだ。
いい文章やいい作品をみると、私も何かしたい!とか思ったりするようなことがある、とどこかでみたことがある。そんな気がする。
今の私が、まさに、まんまと、である。

日常での葛藤や、いややー!と思ったことを私の視点たっぷりで綴っておく。のちに見返したときに、
当時は苦しかったことも愉快なこととして昇華できたら素敵だ。
誰にとってもなんの身にもならないが、私は楽しい。
まずはそこから始めていこう。
いきなり人を救うというのは、土台ムリがある話だった。
人を救うには、まずは自分を救うことから、だ。
どういうことだかは、私にもわからない。
なんだかこうして、作家の真似事のように文字を書いていたら、
ブログと時を同じくして停滞していたイラストのアイデアも沸々と湧いてきた。絵を描ける時間が待ち遠しい。
すごいぞ、さくらももこ。すごいぞ、もものかんづめ。

さて、いざ自分も真似して描くぞ〜と思い立ち、
さらにもものかんづめを読み進めると、あることに気づく。
普通に文章が、めちゃくちゃうまい…
情景がスッと伝わってくる語彙力の豊かさや読みやすさ、
これは一朝一夕じゃねえぞ!と私を震え上がらせるには十分すぎた。

だからといって、ここでまたビビって足掻くことをやめてしまうと、
一生筆を折ることになりそうだったので、勢いのままに書き進めることにする。
千里の道も一歩から…私はこんなにいろいろな慣用句を知っていたのだ、
小さなことから自信に繋げていきたい。
(2023.10.17)

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