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わたしが確かに、わたしであるために-書籍紹介-

私は、利他的だとか自己犠牲的だとか言われることが割とある。こうしたいという意見を持ちながらも、他人の気持ちとか社会の事とか咄嗟に考えて譲ったり、空気を読んで調和を取ろうとすることが多いからだと思う。

「他人軸で生きているんじゃない?」と言われたり、「他人の事に、なんでそこまで本気になれるの?」と言われたりする事もあった。そもそも他人のため/自分のためと分けて考えたことがなかった。私にとって自然な事だったので、どこか腑に落ちないまま何となく悩んでいた。

とりあえず利他の反対について考えてみた。
思いついたのは、利己という言葉。

利己的な人を想像すると、自分勝手だとか自己中心的なイメージが大きく、あらゆることを敏感に感じ取ってしまう私にとっては、なぜ平気でいられるのか不思議で気になる存在でもあった。

しかし、私は、あらゆることを敏感に感じ取る性質を持っているから、周囲が幸せでないと自分も幸せになれないという恐怖心がある。だから利己的に振舞おうとしても、難しい。自己犠牲的に見える行動も、ある意味、自分の為にやってきた事だ。

だけど、そんな性質を持つ自分でも、最終的には自分自身の心に耳をすませて、そこに誠実でありたいという願いを持っている。そんな私は、利他でも利己でもない、フィットする何かを探していた。

そんなときに読んだのが、
「自己肯定感の低い人たちへ」夏目漱石が100年以上前の大学生に伝えたこと
という記事だった。


「個人主義」というキーワードが気になって、この記事を読んだ後、図書館で夏目漱石の「私の個人主義」を借りてきた。併せて、記事にある「14歳からの個人主義」を購入して読んでみた。

皆さんは、「個人主義」という言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。ひとりよがりな、英語で言う(selfish)とか、身勝手な(egoism)といった利己主義的な意味合いを思い浮かベた人も多いのではないだろうか。

しかし、夏目漱石が伝えたかった本来の意味は、
「個人主義(individualism)」だ。

私は、今、利己主義でも利他主義でもない「個人主義(individualism)」という在り方に興味を持っている。これが今まで悩んでいたことに対してのヒントになり得るような気がしている。

そんな私が調べて興味を持ったことを、これからシェアして、話し合いたいと思ったので、これから少しずつ思考を出していきたいと思う。

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