乃田吊

乃田吊といいます。歌をうたっています。ゲーム会社で仕事しています。 https://w…

乃田吊

乃田吊といいます。歌をうたっています。ゲーム会社で仕事しています。 https://www.nodatsuru.com/

最近の記事

自殺ちゃん

 有名人じゃなくても、自殺のニュースをみると考えてしまう。死ぬ人の気持ちと、遺された人の気持ちを。  鬱の果ての自殺は、頓服薬では避けられない。鬱は少しずつ沈殿する毒のようなもの、その人の器が壊れる前に多くの小さなことをしなければいけない。鬱で器が満たされた人の前で小さなことを一度二度して見せても、遅い。足りない。救いにはならない。  金や立場があるから死なないということはない。自死は自分を救う行為だ。金や立場では救われぬ絶望がある。  絶望はまわりが嫌で仕方なく、何より自分

    • 夕闇ノート

      序 1年以上かけて作った「夕闇ゆき」のCDが納品された2020年8月の頭、気持ちに変化があり、ひさしく放っておいた父と母の骨がある棚(仏壇と思っている)を掃除をした。  過去の自分のCD、乃田吊ユニットをやっていた頃の新宿Motionの自主企画前売り券、三角さんらと作った、初めて乃田吊と名乗った現代詩の同人誌、転職ごとの名刺、あまつさえ早川義夫さんが書いたメモ(もてないおとこたちのうた、にまつわるメモ)など、他愛ない冗談さえ死者に聴いてほしいかのような献上ぶりと言うか、飼い主

      • そぼくなこと

        今朝96歳の祖母がなくなったと連絡があった。先週末に危篤と知らせがあって急いで帰省したら、すこし落ち着いた状況で言葉を交わせた。 曰く「香典は◯万円でいいぞ、おまえのお父さんがじいちゃんが死んだ時いっぱい包んでくれたからな。あと兄貴はもっと多く包んでもらうからな」「通夜の夜は孫の男連中は葬儀場に泊まってそばにいるように」等々。 車谷長吉のデビュー作「なんまいだあ絵」という、死期をさとった老女が死ぬ準備をする小説があるが、現実はもっとストレートだなと思った。 祖母は田舎の人で

        • ミチロウ

          去年の春ぐらいからミチロウの「カノン」をカバーしていた。昔から好きな曲だったが、自分の中でド本命すぎてカバーできないのがミチロウの曲だった。いつまでもそんなこと言ってるのがバカらしいので歌いはじめた。 ぼくは今日フタのついた瓶の中で泳ぐ 玉虫色の光をきらりきらりさせながら 腹を出し尾っぽをながして 泳ぐ赤い金魚 --- 泳ぐことは頭をぶつけることだ 見ているあなたに痛さはわからないだろう --- ああもういやだと思うことだけが まだこうしていれる力なのです だからぼくをアイ

        自殺ちゃん

          私の中の猫2

          4/21(日)のCobaltさん個展ライブ、メンツが増えておりました。 4/21(日) 高田馬場ロケッティーダ Cobalt個展「私の中の猫」 出演 藤井政英、komori+yusa(壊れかけのテープレコーダーズ)、乃田吊、Cobalt、酒井泰明(moools) 入場2,000円 ※ドリンク付いているようだ ぼくは今日生アコに弦をはり、その暴力的な鳴りにオオゥ…と驚きながら、曲を選んでいた。 絵を描くこと、を以前から曲にしてみたかったのと、夜中ににゃんにゃんの絵を描い

          私の中の猫2

          私の中の猫

          4/21(日)高田馬場ロケッティーダにてCobaltさんの個展のクロージングアクトで少し演奏する。事前に「テーマがあれば教えてください」とCobaltさんに伺ったところ、表題のテーマを伝えられた。 猫と高田馬場について考えていると、昔のことがいくつか思い返された。 高田馬場のポリスはやさしかったぼくは早稲田大学に6年間通っていたため馴染みのある街である。やらかした思い出ばかり胸に浮かぶ。 馬場の車道で酔っ払って、友達とウェイウェイしていたら巡回しているポリスにたしなめられた

          私の中の猫

          ゲームで飯を食うこと

          「か、金がねえ」 2014年の年末頃、金がないことへの不安と季節的な寒さに震えながら、ぼくは園長先生に頭を下げて保育所を退職した。 職場次第だが、基本的に保育士でメシは食えない。東京都最低時給を積み上げても身の震えも、心の荒廃も止まらない目算があったので、社会改革や待遇改善を叫ぶ気にもならず、目近の現金を掴むことにした。 業界経験がない自分でもゲーム開発会社にはするっと入れた。マネージャーにすぐなれたし、収入も良くなった。この春、もっとやりたいことのために大手へ転職することに

          ゲームで飯を食うこと

          中二病再考

          斎藤かよこ「これが私の中二病」という漫画を読んでいて、あらためて中二病とは何だろうと考えていた。 14歳ぐらいの思春期に自分は人とは違う何かがあると強く信じ込み、そのように振る舞うこと、という定義をネット上でみて、あッと思うた。ぼくは未だに中二病だという、半ばわかりきっていることなのに戸惑いがあった。 中二病の発現は人により違う。ぼくの場合厄介なのは、「時間は無限にある」と思っちゃうこと。甘い夢の中でいつかこの道は天竺に通じるだろうと茨道をせっせ歩いている。この道は違ェだろと

          中二病再考