安楽死の権利を得た女性にインタビューして~編集後記


12月の終わり、ある女性にお話を聞かせてもらった。
20代後半で、くらんけというtwitterアカウントを持っている。
僕が彼女のことを初めて知ったのは、あるツイートだった。

おお、英語がたくさんだ、と最初思った。

そして知らない単語、green lightと幇助許可。

自分には関係ないことかなあ、と思っていたら、「これでやっと死ねる。」という文字。

なんじゃこれ!と思ってよく調べてみたのがきっかけだった。

この英文をGoogle翻訳してみたら、ざっくりと「スイスで自殺を手伝いますよ」という内容だった。

言葉の定義がわかりにくいけど、スイスでは安楽死ではなく自殺ほう助(医師の力を借りて自殺すること)と言われている。

そこで初めて、彼女がスイスに行って安楽死の処置を受けるということを知った。

インタビューの返事はむちゃ振りの予感

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もともと、死を意識することは人生において大切だと思っていた僕。

最期の瞬間を見据えた人の、心の底から出てくる言葉を記事にしたい。

そう思ってくらんけさんにインタビューをお願いした。

恐る恐る連絡を取ってみると、「結婚してくれるならいいですよ」とのお返事。

僕がくそ真面目な文章を送ったから、気を遣って冗談めかして返してくれたのかもしれない。

パニックになった僕は、「来世でもいいですか?」と返すことしかできなかった。

大喜利する芸人さんの気持ちが、少しわかった気がした。

2人でつくった記事

彼女に直接話を聞いて、その後1か月ほどメールでやりとりをしながら文章を修正した。

最初のインタビューは、12月の終わりだった。

公開までに1か月以上もかかったが、彼女の思いをできるだけ反映した内容になったと思う。

正直なところを言うと、彼女自身ライターをしていた経験があり、文章の修正も大幅に手伝ってくれた。(先輩に指導されてるような感じだった・・・)

だから、僕が書いた記事というよりも、一緒につくった記事という感覚が近い。

彼女にしかわからない思い

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くらんけさんと話をしていて、生きることってどういうだろうってすごく考えさせられた。

彼女は車椅子で外に出かけることができ、スマホを使ってインターネットで他者との交流ができる。

そこだけ見れば、「え、それで死にたいの?」と思う人が出てくるかもしれない。

でも、それは彼女の中のほんの一部のことだ。

彼女のつらさは、長くてここには書ききれない。

というより、要約して書こうとすると、ひとつのところだけを切り取って受け取ってしまいそうで心配だ。

もし一文で表現すると、「神経難病に侵された女性が安楽死を選ぶ」となってしまう。

それだけじゃない。それだけじゃないんだよ。

その決断をするまでに、長い長い治療の日々や、いろんな葛藤があった。

人としての尊厳を奪われる日々、それがずっと続いていく苦痛。

それもここには書ききれない。

それは彼女の気持ちだ。

もしかしたら、同じ状況に置かれても安楽死ではなく違う選択をする人もいるかもしれない。

でもそれはどっちかが間違いでもなくて、「その人がどう感じるか」によると思う。(インタビューを通して、僕はより強くそう思うようになった)

彼女がこれからも生きていくとしても、それは彼女が選びたい生き様ではないのだ。

ちなみに、たぶん記事を読んでも、彼女のつらさをすべて理解することは絶対不可能だと思う。

読めばわかると思うけど、「そのつらさ、わかります・・・!」なんて口が裂けても言えない。

美談なんかじゃねえ!

彼女はよく、「感動ポルノ」という言葉をよく使う。

病気や障害がある人を「かわいそうな存在」として、「困難があっても頑張ってる」とアピールすることで感動的なストーリーに仕上げることはよくある。

例えば24時間テレビは、障害者を売りものにして感動ネタをつくっていると批判されていたようだ。

彼女もそんな風に思われるのは避けたいと考えている。

障害があっても頑張って生きていく、という美談にするのではなく、人に見せられないような汚いところ、醜い感情にもちゃんと焦点を当てるべきだと話す。

キレイな話にしたほうが、多くの人の感動や共感を誘うことはできるかもしれない。

でも、当事者たちはドロドロした思いも抱えているし、きれいごとだけの話じゃない。

「感動ポルノだけにはしないで」と僕に繰り返し伝えてくれた。

安楽死はより良く生きるための手段

僕が彼女に話を聞いて一番驚いたのが、安楽死できるとわかったことで人生が豊かになったということだ。

いつでも最期を迎えることができるという安心感は、日々の生活が少し良いものに見えて、もっと頑張れると言うのだ。

元パラリンピックメダリストのマリーケ・フェルフールト選手も、カメラマンの幡野広志さんも同じようなことを言っている。

マリーケ選手は、いつでも安楽死を遂げられる状態になった時の思いをこう語っている。

"人生の操縦席にいるのは自分"と思ったとたんに、急に楽になった。安楽死がなかったら、とっくに自殺していたと思う。

引用:ハフポスト

幡野さんは、著書「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」の中で、

ぼくが自殺を考えていた当時、自宅に所持していた散弾銃がこころの支えだった。いざとなったら、これで死ぬことができる。この苦しみに終止符を打つことができる。そう考えることで逆に、自殺を思いとどまった。

と書いている。

彼は安楽死についても、

安楽死という選択肢を手に入れることで、残りの人生を悔いなく全うできそうな自分がいる。

とも言っている。

生きるか死ぬかの2択じゃない

僕はくらんけさんに話を聞くまで、安楽死は苦しみからの解放というイメージしかなかった。

でも、今は安楽死によってもたらされる安心感や、その安心を支えにもっと頑張れるようになることもあると知った。

もちろん、苦痛を終わらせるという意味合いは大きいと思う。

でもそれだけじゃなく、命は短くなったとしても、豊かで輝く生を送るためのチケットみたいなものだと僕は思った。

彼女は、安楽死によって死ぬ、という1点ではなく、安楽死というものが人生にもたらすメリットをもっと知って欲しいと話す。

個人の感想

僕は今回くらんけさんにインタビューをして、「話が聞けてよかった」と思った。

クソみたいな感想だけど、よかったとしか言えないと思う。

「人生のためになった」とか、「もっと頑張ろうと思えた」とか、なんだかうすっぺらい気がする。

生きることを考えさせられたし、知見を広げることができた。

でもそれをうまく表現する言葉が見つからない。

だから僕の感想は、この言葉にいきつく。

「話が聞けてよかった」

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