【ライブ・レビュー】アンダーグラウンド・シーンの現場から㉑ 「Tribute to 解体的交感」加藤一平、斉藤圭祐

2024年4月16日(火)   大泉学園 in”F” (インエフ)
「Tribute to 解体的交感」加藤一平(g) 斉藤圭祐(As)

これは「いい演奏」という以上に一つの「事件」でしたね。その目撃者は店主を除くと私を含め3人でした。「解体的交感」というのは1970年に出た高柳昌行と阿部薫のデュオ・アルバムのタイトルです。ノイズ・インプロの元祖ともいわれる内容。ぶっちゃけ、今やってる人は、海外勢も含めて、ほとんどはこれの模倣です。それの延長。そういう歴史的名盤の名前を出してくるというのは、その向こうを張ってやろうということで、21歳の斉藤の若さゆえのヤンチャでしょうね。自信か、虚勢か。聴いてみればわかる。

ファーストセットはあえて馴れ合いを排したような、お互いの激しいソロをぶつけ合うような展開が延々と続く。加藤は大友良英らの「ground zero」以降の成果をコンパクトに集大成したような、奇怪なエフェクトを用いつつタッチ・アンド・ゴーを繰り返し、コラージュ状の畳みかけるようなパターンを高速で弾きまくる演奏で、圧縮した時間に過剰な情報量を詰め込むことで聴き手の現実認識にめまいを引き起こす。対する斉藤は阿部薫の語彙と音質を十二分にそしゃくした上で、要所でジョン・ゾーン以降に開発されたさまざまな異音を吹きかけるという、ひたむきに激越なブロウで、何だか時代区分が混線するかのような好対照の二人。

セカンドセットが秀逸でしたね。「まあ座って話せや」とでもいうような、スローダウンした展開で、お互いの音をていねいに聴きあいつつ対話を重ねるが、唐突な奇襲なんかもあり、油断も隙も無い。ファーストセットが高柳コンセプトの「集団投射」ならこっちは「漸次投射」のようでもあるが、妥協や怯懦を瞬時も許さず、のっぴきならない熱のこもったインタープレイが積み重ねられる。まさに「真剣」の刃渡り。ギターがあらゆる技を駆使して矢継ぎ早に場面転換を図り、サックスに込められた「含意」を引っ張りだし、受けとめようとしていたし、その中で何とも言えぬような硬質な抒情性もあった。

ジャズのコール・アンド・レスポンスをどこまでも拡張しようとする試みを通して、ついに求めていた対話相手を見出したかのような新鮮さがあり、お互いのすべての技法を駆使したうえで、その先にある「何か」を探し求めるという、最高のプレイを生み出した。その両者のとてつもないポテンシャルを感じたステージ。手放しに感心したし、興奮しました。私はここで斉藤を「日本一のサックス・バカ」と認定する。もちろんほめてます。ここまで徹底的にやるというのはわれわれ常人の理解を超えている。しかも若い。ここから自分の音楽をどう作っていくのか、まだ本当の勝負は始まったばかりだ。

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