【ライブ・レビュー】アンダーグラウンド・シーンの現場から⑳ Kirsten Carey , 松丸契, 山本達久

2024 / 03 / 11 (月)
POLARIS(小川町)
Kirsten Carey (guitar), 松丸契 (saxophone), 山本達久 (drums)

相場より高いチャージでドリンク代も別にかかるのだが、30~40代の客が中心に20名弱程度でテーブル席は満席でした。ファーストセットは山本がドラムにいくつか金具やおもちゃを乗せたり、松丸も機材を試すような面があり、実験色が強く、間合いの多い演奏で、途中でいきなり演奏を終わらせたりもした。山本と松丸はおそらく旧知で息があっており、共通のパターンでノルこともできるが、そっちは控えめにして、ギターにスペースを与えたり、未知のCareyの指向を探るような演奏に見えた。ドラムと片方とのデュオの局面も何度かあった。

というわけで、本番はセカンドセット。これは陶然とするような良い演奏でした。Careyはバックにじゃりじゃりとしたノイズを走らせながら、執拗にパターンを反復しつつ変調させていくという、自分の演奏に徹する。その波形を変動させる揺らぎの作り方がちょっと変わっていて面白い。彼女のギターは決して受け入れられやすいサウンドではなく、「悪い」「ちょっと気味の悪い」音を意図的に狙っているので、ジャズっぽい要素とは対極にある。どこからともなく宇宙生物が語り掛けてくるような異物感にも似たギター。予定調和に陥らない組み合わせ。

サックスとギターがフレーズを交換するような場面もあったが、この両者はあんまり作用が起こらず、基本的にドラムがどちらかに寄せていくことで展開が回る。ドラムがカギを握ってます。ただデュオだとどうしても単調になりがちなところで、もう一人が全然別のことをやってることが、目先の広がりを担保する。

とにかくドラムが心地よく、全開で叩きまくるとさらに最高なのだが、マイクも使っているのでそうすると他が全然聴こえなくなるせいか、抑えたプレイが多かった。そしてCareyが共演者に合わせすぎたりせず、適度に距離を取りつつも、どこでどう同調させてくるか、すぐには読めない部分が刺激となって、三者ともなかなか他日にはない演奏になったのではないか。三人が「一体とはなっていない」がゆえに、「盛り上がりと鎮静」というパターンには収まらず、先行きの見えないスリリングさと、明晰夢を誘うような不可思議な音の揺らぎと響きがあった。心身の疲れがリフレッシュされ、会場を出たら歩いて家まで帰れるような気になったものだ。

山本達久のドラムはすごいですね。さすがに名の通った人は一角のものを持っている。手数と切れ味で勝負するタイプなのだが、とにかく速い。マイクで拡張した演奏なんで比較対象はできないが、おそらく速さでは私が今までに聴いたドラマーの中で一番かと。そして精密。完璧に制御されている。軽やかだが、音の粒が凝縮されている。打楽器としての響きの豊かさを犠牲にしてでも、「点」の密度を追求した演奏。一見するとマシンのようだが、決して味気なくはなく、熟慮された奥行きのあるプレイだ。おそらく出自はジャズではなくロックなんだろうけど、ジャンルの枠を離れた独自の音楽になっている。斬新ですね。彼との共演はいろいろな奏者にとって可能性を感じさせるものだろう。変則的な奏法を狙っている若手のドラマーが目指しているのは彼のようなプレイなのかも。でも、まだ他の人は足元にも及びません。こうやって小さい音を自在に操れることで、エネルギッシュな局面ではけた外れのポテンシャルを発動する。アイデアも豊富だし、反応も的確。たしかに彼は現在の日本で最良のドラマーの一人に違いない。

山本達久がやってるような変則的なドラムは、従来のドラマーが用いてきた遠心力・求心力や間合いの伸縮とは発想が違い、拡散的で同時多発するリズムで、電子レンジ内でマイクロウェーブが水分を揺らすみたいなイメージだ。それはイクエ・モリがドラムマシンで開発し、ラップトップで実践しているようなサウンドに源泉があるとも考えられる。たとえば、ゴキブリがかさこそする音をマイクで拾うとか、あるいは歯ブラシをグラスに投げ込んだ時に思いがけずいい音がしたりするのを、人為的にエディットできたら面白い、ということ。コンピュータを使うと、人間では思いつかないし、できないようなパターンを作り出せるのだが、ただ機械だとどうしても音色は限られるし、個々の音の響きは貧弱なので、それを生のドラムでできたらもっと可能性が広がるよね。

そんな演奏をするには、まず通常のドラマーとして一流といえるテクニックを身に着けたうえで、それとは全然違う特殊な練習とか修練を積む必要があり、雑味を全部捨ててオイシイ部分を「点」に凝縮しなくてはならない。それって言い換えれば普通のドラマーとしての成功とか音楽性を捨てることでもあるので、よほど覚悟がないとできないことだと思う。

松丸契というサックス奏者もたまに名前を見かけたので、若手の注目株だろうと思っていた。この日はエフェクターを駆使したプレイ、というか機械が主でサックスはそのための音源といった演奏でした。機材の使い方はまずまず巧みだ。エレクトリック・トランペットに比べるとサックスではこの手法で成功した者はまだいないので、やってみる値打ちはあるかもしれない。

サックスそのものはきれいな澄んだ音色で、コニッツとかヤン・ガルバレクとかそういう「白っぽい」音。セカンドセットの後半はわりとサックスそのもので挑んでた。プレイ自体はまったくフリージャズ的なものではなく、モードジャズで用いられる音列に似た短いフレーズを繰り返しながら、少しだけ変化させるというのが多かった。おかしなたとえだがスティーヴ・コールマンとマイケル・ブレッカーの中間地点ぐらいが狙い目か? こっちはわりと予想通りという感じでした。いろいろと器用だが、まだ模索中の奏者で、自己にオリジナルなものを発見しているとはいいがたい。とにかく彼は新しいことに挑戦しているので、ここから確立していけば新しい局面を開けるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?