のだ
パッケージされた地面 どうして自分の周りを抑圧して、痛々しく力任せに変形させているのだろうか。 いつもと同じ地面を歩いているはずなのに、歩くとかかとが痛いことに旅にでたら気がついた。美しく、歴史情緒ある街だと思って思っていたのに、何日も前の食べかけのおにぎりがコンクリートの上に落ちていた。 もっと”地面”を近くに感じた方がいいと思う。例えば、そこを覆わなければ存在していたはずの植物を見つめてみた。 1400×1400×350mm アクリル板、土、映像 学生時代に作
高知は中学時代からなぜか行きたい場所で、大学生になってからは住んでみたい場所になっていたところ。9月13日〜9月15日行ってきた。 今回は一人旅。一人旅はいつも夜が長くて最終日にはバテバテになるけど、自分に問い合わせる回数が多く、整体で身体のバランスを整えるように、自分で自分の調子を整える感覚があって、少しスッキリするし楽しい。 岡田喜秋さんの「旅に出る日」では、一人旅は意思決定と判断が一人で行わなければならない。と書かれていた。 確かに友人と行くと、なるべく行きたいところを
つい先日iPad を買いまして、諸々の同期をし終えてさぁiPadライフを楽しむぞ!と思ったところでメモ帳を開いたところでびっくり。 なんだこのメモたち……わけがわからない……というメモがずらっと同期されていました。普段はiPhoneで新規メモを作成して、かいたことに満足してまた次の新規メモへ…… これはカビが生える前に一度どっかに吐き出して、わたしの記憶や誰かの心に波紋を呼んだりしよう!と思い公開します! ※事前注意です。 自分が書いたことなのか、どなたかが書かれたものを
チャットアプリを作ってると、いつでもどこでも触れるからこそ愛着が湧いて欲しいと言う気持ちもあるけど、その反面、チャット内のコミュニティに依存してしまっているような気がして悲しくならないかなと心配になる。開発時にどこまでをストーリーとしておくのかがすごく広大になって来るんだろうなぁと思う。 ふとした時に開いちゃう、そのあとに悲しくなる。 これが面白い。愛着なのか依存なのかはさておき、想像してなかったストーリーまで。 便利=欲しい情報がコミットされているからついつい開いちゃう
私はなんのために旅をするんだろう。という問いに対して毎回答えようとしている。 大学時代のとある友人は、(暗い話ではなく)死に場所を探し求めるために旅をしている。といっていた。 私は、一人で深呼吸ができるところを探し求めている気がする。 意識的に深呼吸はできるけど、一時しのぎのような気がして。 深呼吸って景色と匂いと気温と雑音と、すべてが自分にあってる時に身体の中の空気をすべて入れ替えるような深呼吸を無意識にすると思うんです。 朝イチのフライトだったため、高速バスで向かったが
MATERIAL DESIGNのこちらのページ読んで思った。 https://material.io/design/interaction/gestures.html 今までのUIは人がスマホに近くような操作感だったのに、 スマホが人に近づいてきたなと。 昔から道具は一度産まれると手の延長から別の生物のようなモノになり、もう一度手の延長に戻ることが多い気がする。(あまり歴史に詳しくないので根拠はない) どちらが先かはわからないけど、 ・道具ができる範囲が広がる ・道具
社会人になり会社員としてデザインをし始めて早数ヶ月がたち、後輩たちの展示会Open Conferenceに行ってきました。大学時代の私の疑問の一つで大人たちはどうしてこんなに私たちに構ってくれるのか?評価してくれるのか?ということがありました。 そして、展示会にって 私とは、人間とは、どう暮らし、そして何者か?というテーマで哲学とサービスデザインを揺れ動いていた子達だった / んだなぁ。 と思いました。 そして、確かにこういう子がいると構いたくなるんだ!って少し気持ち