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【民俗学漫談】マレビト

今回は、思い出話をします。

中野新橋の駅から十分少々歩いたところに「川島商店街」という商店街があります。長さが一キロくらいですかね。端の方は、大江戸線の西新宿五丁目駅の方も近い。いったいいつごろかあるのか調べたことはありませんが、私のこどもの頃は今よりもにぎやかでした。

わたしは、そこの商店街で育ったんですけどね、昔は、商店街の「売り出し日」と言うのがあって、毎月、6のつく日でしたか。スーパーの特売日みたいなものですよね。

昔の商店街は、一つの共同体でしたから、個別の店で特売をするというようなことはなく、共同で特売日を決めていました。特売日には、新聞に折り込み赤の一色刷りのチラシを入れるんですが、そのチラシに、それぞれのお店の特売の品をのせると。と言っても、一軒当たりのスペースが三行広告程度ですから、たいてい、「全品一割引き」とか、そんなんでしたね。

うちは、魚屋でしたが、「本日特売日」と書いてありましたね。コピペですよ。お店の中でいちばん文字数が少なかったんじゃないでしょうか。

昔の商店街って、特売日にチラシのほかにも、宣伝として、「ちんどん屋」を雇っていたんですよ。

ちんどん屋が来ると、必ず見に行きました。今でも、アーティストのプロモーションなどでアーティストを描いたトラックが音楽を鳴らしながら繁華街を走ったりしていますが、昔は、ちんどん屋と言って、三、四人の男女が歌舞伎役者のような恰好をして、ラッパや太鼓などの楽器を鳴らしつつ、商店街を練り歩く宣伝業の方がいました。

こどものわたしが、魚屋の前で遊んでいると、にぎやかな音楽が流れてくる。見に行くと、ちょんまげ頭や芸者の恰好をした人々が歩いてくる。楽器を鳴らしているが、歌ったりはしていませんでした。商店街の特売日の宣伝で来ていたはずなんですが、そのころは、ただ、「ちんどん屋」を見ていただけでした。

私に対しては、宣伝効果ゼロです。

なんというか、それは、面白い、楽しいとかいう感情ではなく、ただ、少し離れたところからじっと見ていただけで、戻って、誰かにその昂奮を伝えることもなかったんですよ。そもそも昂奮して見ていたのではないと思います。

私は世界の不思議なものを見ていたのだと思います。商店街の向こうから、正体不明の人びとが派手にやって来て、そのまま素通りして去っていく。その「現象」は、そのころは、まだ考察しようもなかったんですが、こどもながらに社会の世界の仕組みを知りたいと思っていたから、「解明」できるまで、毎度見に行っていたのだと思います。

マレビト

この、ちんどん屋さんの構造を見てみます。

まず、尋常ではない派手な衣装。

共同体の外からやってきて、しばらく練り歩いて出てゆく。

楽器を鳴らす。

この構造は、マレビトですよ。

マレビト。まれに来る人、つまり神ですよ。

それを人間が演じている。

私が見ていたのは、男女混合の三人組ですが、はっきり言って、男だか、女だか、わからないような、化粧と衣装をしていました。

人間の逸脱ですね。

加えて楽器は、太鼓と、鉦(しょう)を組み合わせた、まあ、ドラムセットですね。

打楽器系のパフォーマンスです。

この楽器ですが、太鼓と鉦。太鼓はわかるでしょうが、鉦というのは、銅などでできた打楽器です。ばちでかんかん叩いて鳴らします。

この二種類は、ただのリズム楽器ではないんですよ。

のっていくため、もあるんですが、叩いて、場を仮に別の世界にしてしまう効果があります。祭儀に使われる楽器なんですよ。

決して、宣伝に使う楽器ではない。

太鼓と鉦を使うってことは、鎮魂舞踏にほかなりません。

ちんどん屋って、鎮魂舞踏なんですよ。誰も意識していないと思いますが、始めに参考にしたのは、鎮魂舞踏のはずです。

別の世界からやってきたマレビトが、共同体のざわついた霊を鎮める。構造的には、そういうことです。効果はないでしょうけど。修行していないでしょうから。

日本には、マレビト信仰っていうのがあります。

これは折口信夫という、かっこいい民俗学者が言い出したんですけどね。

日本では、共同体の外から、霊力を持った存在がやってきて、共同体をよみがえらせて、また戻ってゆく。それが日本における神の役割だ。と。

だぶん、こんな感じだと思います。

神を呼ぶために、仮に神殿を作る。去ったら、また壊す。

神道の成立は、その辺じゃないでしょうか。

稲に対する、農耕に対する信仰というよりも、神がやってきて去る、という信仰が日本人の信仰の底にあると思います。

とってだしですね。違いますね。

抽象的で世界をまとめ上げるような神とはまったく違う、神の観念があります。

後に、どっかに行っちゃうのに耐えられなくなった人間が、いつもいてもらわないと困ると思った既得権者が神社を作ったんですね。

それが後に、本物の神ではなくて、人間がその役割をするようになったんですね。

神は、すでに神社にいるので、また別の存在としての価値が生まれたんです。

遊行(ゆぎょう)者と言われる僧侶とか、信仰を商売にしている方とか、その他、流浪している方とか、そういうのも、マレビトとして扱われて、共同体の「ヨミガエリ」に役立てられました。

まあ、よどんだ水を流す役割を求められたんですね。

それは、アウトサイダーの役割です。インサイダーにはできません。しがみつきますから。

ちんどん屋とゆるキャラ

最近は、ちんどん屋さんを見ません。

しかし、マレビトは必要ですから。

そのかわりを「ゆるキャラ」がになっています。

名付け親のみうらじゅんさんは、「八百万の神」とおっしゃっていましたが、マレビトとも言えるでしょう。各種イベントにゆるキャラを呼びますよね。

イベントが終われば、常世の国ならぬ地元に帰ってゆく。

構造としては、マレビトです。

その点、ゆるキャラは、妖怪とも違いますね。

妖怪

妖怪って、「神の零落した姿」と言われていますね。

それもあるんでしょうけど、妖怪と言うものは、よそ者が見た神だと言えます。

キリスト教なんて、その手法を布教に利用しましたね。

「異教徒の祀っている神は悪魔だ」として。

絶対神以外は、すべて悪魔だというのがキリスト教です。

サンタクロースもフランスでは、一時悪魔扱いですから。

言われるうちに、子孫が信じちゃった。

そんなところでしょう。

それと同じように、ある人々、ある共同体にとっては、神様なのに、他の意地の悪い連中が、あれは妖怪だ。とか言ったんじゃないんですかね。

で、妖怪って、現代人が解釈をすると、合理的な解釈をしますよね。

たとえば、唐傘お化け。

唐傘お化けって、一本足で、一つ目ですよね。

イメージがはっきりしている時点で、やはり神ではなくて、妖怪なんでしょうが、その唐傘お化けは、蹈鞴(たたら)製鉄と結び付けられています。

昔の製鉄は、蹈鞴(たたら)を用いていました。蹈鞴は、空気を足でひたすら送り込んで温度を高める機械ですが、片足で行われる。

さらに、火の温度を見るために火の色で判断した。目によくないですね。昔は、温度計なんてありませんでした。16世紀ですね。開発されたのが。日本に来たのは、18世紀の中ごろですよ。

で、そうした昔の製鉄に従事していた人びとのイメージが唐傘お化けになったんだ。

これ、けっこう、定説なんですけどね。なんか違う気がします。

唐傘お化けの伝承が「蹈鞴製鉄」をもとに生まれたという解釈は、合理的ではあるんですが、たとえそうだとしても、唐傘お化けを考えた者は、蹈鞴製鉄をヒントに新たなメディアと、そのキャラクターを作ったんであって、解釈の方向が逆ですよね。名もなきクリエイターが作ったんだと思いますよ。

魚屋の裏には両隣何軒かを結ぶ狭くて暗い通路があって、むき出しの土に踏み石が並んでいました。魚屋の裏は、もっとも広くなっていて、幅は二メートルくらい、そこだけ空が抜けていました。魚屋の樽や箱やらが置いてあったんですが、私は、その土に飼っていた金魚を埋めていました。魚屋の息子が金魚のお墓を作っていたんですよ。アイスの棒で墓標をつくるんですが、作るたびに、墓標は捨てられてしまう。捨てられないレベルの物を作らねばならなかったんですが、そのころの私は、まだクリエイターではなかったのですね。

今回はわたしの子供のころのお話をしました。わたしにもこどものころがあったんだな、と少しセンチメンタルになりました。

過去の事を私小説化してきたが、書いた後は、もう見ないことにして、手元からも離していた。
それは、精霊流しのような行為だったのかもしれない。


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