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【民俗学漫談】年神とサンタクロース

時間的なよみがえり

神社に参拝することは、魂のよみがえりを意味しますが、その空間的なよみがえりの場とともに、時間的なよみがえりの時があります。

そう、正月です。

大晦日から正月に変わるときは、世界が生まれ変わる時なんですよ。

だから、みんな、ドキドキするんですね。

大晦日を境にして、別の世界が始まるという感覚です。

神社でも、夜中の12時きっかりに太鼓をならして、新年祈祷の儀を執り行います。ラジオつけておくんですよ。で、時報とともに、始めるという。

欧米でも、12時になった途端にはしゃぎだしますね。

瞬間で変わるっているのは、時間と言う概念が生活にしみついてしまってた感覚ですよね。

正月の朝は気分が変わります。

この時期は冬至の日に象徴されるように、一年で最も日が短い頃です。

北半球の話ですが、宗教は北半球でより発展していますので。

冬が始まると、日が短くなる。夜が長い。作物は育たない。動物はいなくなる。

どうも世界は危ういんじゃないか。大丈夫か。と言うことになる。

それが、冬至の日を底として、少しずつ日が長くなる。

もちろん、冬はしばらく続くんですが、しかし、希望は出てくる。ここらで一つ祭りをしておこうということになります。

だいたい、冬至前後にやる祭りは、冬に備えてのものが多いですね。

ヨーロッパでは、豚を屠って、保存用にしたりとか。

日本て、この時期、何してるんでしょうか。あまり祭りはないですね。

世界のよみがえりに向けて、掃除したりしていますね。

年神

昔は、大晦日に、宮中では豆まきをしていました。節分ですね。

今、2月3日にやりますが、大雑把に言うと、今の2月3日あたりが昔の大晦日だったんですね。

豆まきにしろ、掃除にしろ、それは、年神(としがみ)を迎えるとと言うことです。

日付が正月元旦になったら、新しいエネルギーで世界が満たされます。

そのエネルギーを持ってくるのが、年神様です。

エネルギーを日本語で言うと、「たま」です。

それでお年玉なんですね。

特に、日本は家の感覚が強いですから、家ごとに門松を立てて、年神様を迎えやすくするわけですね。
オフィス街ですと12月の26日に出ていますね。

梅の模造品を付け加えたり、今の時期ですから、赤い南天の実を飾ったりしますが、これはただのオレンジ色のボールですね。蜜柑にでも見立てているのでしょうか。しかも、門松を出して扉に門松用紙も張っていますね。

昔は松迎えと言いまして、12月13日に山から松をとってきまして歳神を迎える行事でもありますが、そういうわけでして、門松を出すのは当然、そのあとになるわけですが、今やクリスマスツリーが陣取っていますからね。
門松は26日以降になるわけですよ。
12月26日の朝にオフィスビルに行きますと、入口に門松、中にクリスマスツリーが見える光景に出くわします。


鏡餅を供えますね。

その対象は、年神様です。

後で自分たちで食べますからね。供犠と言うよりも、もてなしです。

それと、正月から、餅がどーんとあれば縁起がいい感じがしますね。

行儀とは、儀を行うということです。

年神様は、正月の間いて、一年分のエネルギーをもたらして、帰ってゆく。

そう言うシステムですね。

サンタクロース

このパターンで似ているのが、サンタクロースですよ。

サンタクロース。まあ、聖ニコラウスがもともとと言われていますが、それは、モデルです。

分かりやすいものにするために、昔の偉い人を持って来たんです。

では、サンタクロースは何者か、と言えば、年神ですよ。

家に来て、子供に贈物をする。

まず、子供を対象としてやってくることを考えると、子供というのは、危うい存在、半分別の世界に属しているんですよ。完全にこっちの世界に属していない。

だから、子供と親とは別の食卓、と言う文化もありました。

その子供に対してやって来るのはまた、別の世界の存在です。

子供でないと、別世界の物から、ものを受け取れないんですよ。

そして時期。

クリスマスは、ほとんど冬至です。

冬至は太陽の復活祭なんですよ。特に高緯度地域にとっては。

クリスマス自体が、もともと先住民の冬至の祭りにキリストに生誕祭をかぶせたものですから。

ちなみに、12月25日、イエスの誕生日とされていますが、伝説では、洞窟で生まれたらしいです。洞窟で冬にベツレヘムあたりでお産ができるわけがない。寒すぎます。

ま、そう言う事です。

それで、サンタクロースは、もともと、ヨーロッパの年神だったはずですね。

今のようなイメージはもちろん近代の話ですが。

年が改まるころに各家を廻って、新しい年のエネルギーをもたらせた。

そう言う存在です。

もともと、クリスマスあたりに家々をめぐる妖怪的なものはいました。

ドイツでも、フランスでも。

ただ、なまはげ的な存在ですね。

それが、19世紀になって、商業が発達し、サンタクロースと言うキャラクターを商売に加えようとする中で、今のような優しい、お年玉ならぬ商品を子供に配って渡る存在になって行ったんですね。

反証してみる

民俗学漫談では、あえて解釈をほどこしています。

正解がない所に解釈する行為は、あまりすぐれたものとは言いがたいんですが、解釈をしないと、なんだかわからないみたいなので。

で、さきほど、年神とサンタクロースは構造が同じだ、という漫談をしましたが、それがただの解釈であることをここに示したいと思います。

サンタクロース=なまはげ=年神を反証してみる。

反証すると、その先へ向えます。

冬至から大晦日あたりに世界中で現れる妖怪のたぐい。

それが、なまはげとクリスマスおやじ、後のサンタクロースの共通点で、その頃に現れるということは、年神だろう、と、そういうことでしたね。

しかし、なんで年神が刃物や鞭を持っているのか、年神じゃないでしょ、と。なんで荒ぶってんの?

荒魂(あらたま)から和魂(にぎみたま)への変化だとしたら、なまはげ=年神と言えるけれど、どこで変化するの?

人間は、通過儀礼によって、共同体にふさわしい存在となるわけですが、はなはげやサンタクロース自身の通過儀礼がないじゃん。

刃物を持って、鬼の面は、一年のケガレが具現化したものなんじゃないの?

それが現れて、すぐ去って、ケガレが消えて、正月を迎える。

荒ぶる精霊(しょうろう)流し的なイベントなんじゃないの。

個人の霊を鎮めるなら灯(ともしび)を流すくらいですむでしょうけど、共同体の一年分だからね、刃物くらいは持っているわけですよ。

あれは、年神じゃなくて、祓いの祭儀なんじゃないか。

なにもないまま穏やかに正月を迎えるのが怖い。だから、イベントを入れ込むんじゃないの。念押し的な。何もないところにあるようにして、それで、すっきり的な。

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