【平日の夕方に神社へ参るシリーズ】氷川女體神社
関東有数のパワースポットとのことで、埼玉県の氷川女體神社へ。
武蔵野線の東浦和からバスに乗る。
10分くらいで、『宮本一丁目』というバス停で降りる。
帰りのバスの時間を見ると、最終バス迄あと15分しかないから、帰りは歩く。
しかし、この時刻表、朝の5時台、6時台にやたらとあるのに、夕方の少なさと、終バスの早さはどういう土地柄なのだろうか。
住宅街に入ると、上り坂になっている。
ということは、その先に神社があるはずである。
二度ほど曲がって、児童公園に入る。誰もいない。
どうも神社の裏手にいるような気がする。
公園を出ると、森に入れそうな道があったから入ると、祠がある。
どうも境内に入った気がする。
進むと社がある。
本殿だろう。
この日は十四日の月で、明日は満月ですが、日中の猛暑と打って変わって、曇ってまいりました。
月明かりだと、もう少し美しい雰囲気だったのでしょうが、宵闇です。
【平日の夕方に神社へ参るシリーズ】ですが、今回は少しばかり遠くに来まして、もはや夕ではありません。夜です。宵闇です。
関東有数のパワースポットらしいですが、誰もいません。
参拝を済ませて、振り返ると、鳥居があります。普通の参拝なら、あそこをくぐってくるわけです。
『彩のかがやき』と『こしひかり』との札が立ち、お米が植えてあります。
新嘗祭のお米を境内で育てているのでしょうか。
家の前に人形が並んでいて、土産物売り場みたいなのがあるなとうかつに近づいたら、奉納された巫女人形らしく、慌てて離れました。
こちらは竜神様を祀っているようです。
そういえば、大学の時に、『水の伝承』という石上七鞘先生の授業で竜神についてのレポートを書いた気がしました。
こちらは神楽殿ですかね。
iPhoneSE(初代)ではこの辺が精いっぱいです。
こちらは手水舎です。たぶん。神さびていい雰囲気です。
境内を出ます。
鳥居をくぐって階段を下りて、ほとんどまっすぐ進み、橋を渡ると、正面に森に入るような道があるが、鎖が張られている。
人は入れるようだが、よくわからないから、右に進むと、公園のようになっていて、広い草原(くさはら)に出る。
磐船祭祭祀遺跡はどこだろうか。
氷川女體神社では、古来、見沼にて御船祭が執り行われていた。
江戸時代になって、見沼が干拓されると、見沼に入っての御船祭が執り行えなくなる。
そうして、元の見沼の一部分に丸い島を築いた祭祀場を設け、御船祭の代わりとなる磐船祭を行うこととなったらしい。
google mapを見ると、池の中に丸い場所がある。
そこを目指すが池に囲まれてていて、周りを歩く。
歩いていると、職員のような人々が携帯のライトを片手に木のあたりを照らし、『いないなあ』などと言っている。
歩くうちに一周してしまい、もとの鎖の前に戻る。
そういえば、ここが半ば人工的に作られた祭祀場ならば、鳥居から出てまっすぐに一本道でしか行けない場所に作るはず。
かつては、本殿から船をかたどった見越し、もしくは船そのものを担ぎ出していたのではなかろうか。
そうなると、やはり、鎖の向こう側に祭祀場があるはず。
立ち入り禁止とも書いていないから、進むことにする。
街灯など、あるわけはない。
磐船祭祭祀遺跡に着きました。
この写真、何も写っておらず、真っ白なんですけど。
島の真ん中に、木が4本、正方形を形作るように立っている。
近づくと紐が張ってある。くぐれば入れるが結界のようだから入らない。
しばらく佇んで戻ると、来るときには気づかなかった小さな橋が脇に突き出している。
向こうは暗くて見えないが、渡ってみると、いきなり祠があったので、驚いて、すぐに戻ったが、池にあるから弁天様を祀っているのだろう。
帰ることにする。ざっと徒歩40分らしい。
iPhoneのバッテリーがなくなったらどうにもならない気がする。
畑からはまだ月がおぼろに見え隠れしている。
畑を歩いている間に雷の音が聞こえだす。
住宅街に入ると、稲光が走り、犬を連れていた人が屈みこむ。
駅には向かっているのであるが、途中の大牧氷川女體神社にも寄る。
出てすぐに、住宅の端に祠のような社がある。鳥居もある。
この辺で傘が必要になってくる。
どうも、御利益がありすぎて、帰り道の20分程度は雷雨ですよ。
昼間は日差しが痛かったほど晴れていたのに。
神社の公式サイトが見当たりませんでした。
最寄は、東浦和駅(JR武蔵野線)から、国際興業バスで「朝日坂上」バス停(浦04-3)下車 (下車後徒歩約5分)か、
「芝原小学校」バス停(浦04-2または浦04-3)下車 (下車後徒歩約10分)
だそうです。