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【民俗学漫談】学校の成立

学校という制度の先鋭化が一つの物に集中させる

学校で、同じ考え、同じ価値観を押し付けて行ったら、皆同じ考えになるでしょう。

言わずもがなで、それが第一にあります。

それよりも深いのは、「仲間外れ」を怖れる心理をあの場が植えつけているからです。

学校で、仲間外れになれば、即、不適応者として相手にされませんし、原則として学校は、「手引き」がないので、困った時に、自分で解決するしかない。

教師は、権限を持っている以上、相談相手にならない場合がありますし、教師を教師として信頼しているわけではないわけですから。

売れる物だけ異常に売れるという現象は、「第三項排除」になりたくない、という心理からきているということがあります。

一つの集団がいて、もう一つ集団があれば、対立します。

そこで、もう一つの小さな集団を作り出す。

作り出すのは最初の対立しそうな二つの集団が作り出すんですよ。

三番目の集団の人、もしくは人たちはそんな意識はありません。

そうすると、小さな集団を異質な者扱いにして、対立する二つの集団同士がいがみ合わないようにするわけです。

「変なのがいる」と。そっちに感情を向けるわけです。

それを「第三項排除」と言います。

学校制度で起きている現象ですね。

昔から民衆がやってきたことですから、学校でだってやりますよね。

学校は、何より、人間関係を探る実験場なんですよ。

こどものころから、人間関係はすべて「現場任せ」にされています。

こどもたちしかいない「現場」で、こどもたちは、必死ですよ。ルールがあってないようなものですから。それは、「社会における人間関係を学ぶ」という趣旨から逸脱しています。手段よりも、結果が重要なんですよ。そこでは。裏技や、禁じ手を平気で使います。

こどものなかにも邪悪な者やずるがしこい者がいることを大人は見ようとしませんね。

これだけメディアが発達しているにもかかわらず。

ちなみに、「貧困層」が「発見」されたのは、新聞などのジャーナリズムが書きたてて、たとえば、ロンドンの。

それで、ようやく、社会には、どうにもならない生活をしている人々がいることに気づかされた。まあ、ほとんどの中流以上は、それでも気づかぬふりをしていたんですが。

教師といったって、最終的には自分の暮らしを守るためにやっていらっしゃる方が少なくないなら、こどもたちは必死で、「ビリ」や「除け者」にならないように自分で自分を守るしかない。それが、「学校」という制度ですよ。

神経を使うでしょうよ。人間関係に必死で勉強どころじゃない子供だっていますよ。そうして、卒業して、ほっとするだけの学校生活。二十歳になったところで、状況が許せば、引きこもりになるのは当たり前でしょう。

経験上、「他人は自分を傷つける」ということを知ってしまったわけですから。

学校制度は「国民」を作りたがったから

学校という制度を作ったのは、国民国家を成立足せるためです。

同じ年齢の物を同じ場に置き、同じ言葉で同じことを教える。

それまでは、「国民」なんて存在していなかったんですよ。

民衆がいただけ。

それぞれがその地の共同体に属して、それぞれの地域ごとに支配されていた。

行政にはまるっきり関知していなかったんです。税を納めているだけで。

それが、とりあえず、日本の場合、明治時代になりました。

富国強兵ですよ。

富国は経済、強兵は軍事力、軍隊ですよ。

これを成り立たせるには、まず、同じ言葉を使わせる必要が出てきた。

「指令」しないといけませんからね。

たとえば、当時、津軽弁と薩摩弁はまったくと言っていいくらい、通じなかったんですよ。

だから、9時に集合と言っても、すんなり通じない。ぽかんとしている。

それじゃあ、工場も成り立たないし、軍隊も組織できない。

どうしたか。

学校の登場ですね。

それまでは、藩校や寺子屋はありました。

そこでは、知識や倫理を教えていました。

しかし、肝心の、「皆がそろって同じ行動をする」、と言うことを教えていなかったんですよ。

学校の目的はここですよ。

極端な言語の相違を排して、同じ言葉を使わせて、一つの命令で一斉に動いて、チャイムに従う。

そうすると、同じような人間になるから、支配者、まあ、為政者と言っておきましょうか、その為政者にとっては都合が大変よろしい。

「皆同じ」という幻想的な「国民」が成立します。

おもしろいことに、「国民」の方も自分たちは「国民だ!」と、思い込むわけです。

ヨーロッパも同じです。アフリカも同じです。国境で線引きするまでは、同じ「民族」が同じ民俗で暮らしていたのに、国境を引いてしまうと、あっちは別の「国民」だ、と言うことになって、争い始める。

人間の脳はどうなっているんでしょうか。

現在という不安定な状況にたえきれないんでしょうか。

何でもいいから、手近なもの、具体的なもので 現在を固めたい欲求があるわけですよ。

近代型の権力は嫉妬深い。
それは自分の内部に「公の権力」がおよばない自由の空間が残されてあることを好まない。
それがたとえ宗教のように心の内面にかかわる領域であったとしてもそこに起こっていることをたえず知っておきたいとこの嫉妬深い権力は欲望する。そのためにいちばん有効な方法は権力の力によって社会と人々の精神構造を理解の及ぶようなかたちに作り替えておくことである。
こうして近代型権力は教育を発達させる。人々を集団で訓練する。そして、宗教の領域ではそこをあらかじめ「登録済み」の神々だけで構成される体系の世界に作り替えておくのがよい。
そうでない部分は遅れたもの、有害なものとして切り捨ててしまえばよい。
そうしておけば権力は精神の見えない闇の中にまでその力を浸透させておくことが可能になるだろうし、人々の精神にいっせいに強力な方向付けが必要な時でもその下ごしらえは絶大な効果を発揮するはずだ。
中沢新一 森のバロック

ただ、学校は国家にとって都合よく国民の思想を均質化しようとしているというより、国民は労働力としてまともに暮らしてもらう必要性もあるということです。

あるとき、図書館の棚の民俗学の棚を見ていてファッションの本を眺めていました。並びには食に関する民俗、住まいに関する民俗が並んでいました。

その時、この辺を読んだら面白そうだと思いました。

別の日、商業の本棚を見たら、その向こうの棚に、ファッションに関するもの、食に関するものね住まいに関するものがありまして、ラベルを見たら家政学とありました。

そこで、民俗学の衣食住と家政学の衣食住はどこで分類されるのか。

歴史的なものというわけでもなさそうでして、考えましたら、その違いは衛生という観点にあるのでしなかろうか、と思いました。

家政学の衣食住は、その原点に衛生観念がある気がします。

近代以降、都市が都市として機能するためには、そこに住む人々の健康が保たれる必要があります。それには栄養を取り、寒さを防ぎ、衛生的に暮らす必要があるわけで、家政学はその流れで来ているのではなかろうか。

家政学の基礎が始まったのは、19世紀半ばの女子寄宿舎からだそうですし。

その点、民俗学や人類学の方は、人間の衣食住に関する事柄は、人間の心に潜む何がもたらしてきたものなのか、という観点から考察しているものが多い気がしました。

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